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答えの出ない事態に耐える力 ~ライフキャリアデザインの場面で~

突然ですが、みなさんは「問題解決」の圧力に疲れることはありませんか?

私たちは、大抵の教育機会において、旧来の3ステージ(教育・仕事・引退)のキャリアに適合するべく様々な学習経験を与えられてきています。「とにかく、早く答えを出す」ことを奨励され、さらにはそうすることで高い評価を得られることにどっぷり浸かってきています。

 「問題解決」でどうにかなる「技術的問題」ではなく、その時の状況に合わせて柔軟に変化することが必要となる「適応課題」について、区別して考えられる力があればよいのですが、これまでの学習経験から、何でもかんでも「問題解決」志向で正しい答えを出さなければならないというパターンにはまってしまっている方は少なくないのではないかと思います。私自身もついつい、陥ることがあります。

 すでに成熟期を過ぎて衰退の時期に入っていると思われる、大量生産・大量消費の時代でしたら、過去の成功体験から解決策を導き出すような「問題解決」で大抵のことは処理できたでしょう。しかし、不確実性が高くなり混とんとしている現代では、自分自身も当事者となり「答えの出ない事態」に向き合う場面が多くあるはずです。そのような場面では、「問題解決」を用いようとすると歯が立たないことがあります。ものの見方を変えたり、周囲との関係性を見つめ直したり、あるいは自分の内面を探ったり、という風に様々な「適応的な」試みをする必要が出てくると思います。

 そのような試みに必要な、「答えの出ない事態に耐える力」をネガティブ・ケイパビリティ(陰性能力)といいます。精神科医の帚木先生によれば、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」とも意味付けられています。ネガティブ・ケイパビリティは、19世紀の始めに夭逝した英国の詩人キーツによりその概念が刻まれた後、20世紀、英国のタヴィストック診療所で集団治療を試みた精神科医のビオン博士により1970年の著作で引用され、現代に甦りました。

 ビオン博士は精神分析のあり方について、ネガティブ・ケイパビリティを引用し、「記憶も欲望も理解も捨てて」この非存在の存在の状態を保持するに行き着く、としています。つまり、精神分析学の知識で患者を診、理論を当てはめて患者を理解しようとするのではなく(問題解決志向)、目の前の患者との生身の対話を大事にし、患者の言葉で自分を豊かにする(適応的態度)、ということを示唆しています。

最近のことですが、ライフキャリアデザインについて話す場面において、ある人から「資産形成の話は正解を伝えられるからする価値があると思うが、何故答えが無いようなキャリアの話をする必要があるのか理解ができない。」といった主旨のことを言われました。言われた私は一瞬ポカンとしてしまったのですが、気を取り直して、そうか、この人は答えが出ない状況に耐える習慣がこれまで無かったのだな、と考え、「キャリアの話をする理由は、その人にとっての、より豊かな人生のあり方について、その人自ら主体的に考えてゆくための機会をつくることであって、私がその人に正解を与えることが目的ではないのです。これは問題解決ではなく、適応課題に共に向き合うということなのです。」と応じました。

その人にすぐに分かっていただけたようには感じることが出来ませんでしたが、この出来事を通じて、キャリアの話をするということは、私にとっても相手にとってもまさにネガティブ・ケイパビリティの涵養そのものではないかと思いました。ビオン博士は、“The answer is the misfortune or disease of curiosity ― it kills it.”(答えは好奇心を殺す)とまで言ったそうです。

帚木先生によれば、「ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐え抜く力であり、その先には必ず発展的な深い理解が待ち受けていると確信して、耐えていく持続力を生み出す」と言います。私は全くキャリアの話をするときにおいても、このような態度でいられることが大切であると賛同します。このような態度で、相手にそっと寄り添い、待つことこそが、その人の本当の力を引き出すことにつながると信じることだと思います。

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さて、ネガティブ・ケイパビリティの反対側にあるのがポジティブ・ケイパビリティです。いわば、問題を早急に解決する力としての問題解決能力です。教育の世界ではまだまだこちらが主流でしょう。義務教育から高等教育の場で繰り広げられる試験、はては就社のための試験、昇進のための試験に至るまで、試験で問題解決能力が測られ、序列や合否が判断されています。

 私は社会生活を送る上でポジティブ・ケイパビリティは必要だと思いますし、否定もしません。実際、私もその能力を発揮して生きています。ただ思うのは、ネガティブ・ケイパビリティの発揮との往還ができてこそ、この時代を生き抜くことが楽しくなるだろうということです。曖昧で答えが分からないものでもすぐに捨ててしまうのではなくて、「答えを考え続ける」ことと、「抱いて、放っておく」ことを、両方やればいいのだと思います。

 蛇足になりますが、重要度・緊急度を縦横に配置したアイゼンハワー・マトリクスはタスク管理のツールとして用いられることがありますので、ご存じの方は多いと思います。緊急度の高いものはポジティブ・ケイパビリティで対処してゆくべきでしょうし、緊急度の低いものはネガティブ・ケイパビリティを発揮して保持する、ということが想像できます。重要度の高低は慎重になった方がいいでしょう。このようなフレームワークそのものがポジティブ・ケイパビリティを過剰に発揮してしまいがちなので…。ネガティブ・ケイパビリティを適度に発揮することで、重要度の高低が変わる可能性だってあるのですから。ネガティブ・ケイパビリティとポジティブ・ケイパビリティを二項対立で捉えずに、両立を目指すことで不確実な時代を生き抜く知恵となるように思います。

今回は、答えの出ない事態に耐える力、についてお話しました。私は会社勤めとの複業でライフキャリアデザインカウンセラーとして個人や世帯の職業生活設計や資産設計のお手伝いを志しております。保持資格としては国家資格キャリアコンサルタントとAFP(日本FP協会会員)をコアスキルとして、これまでの会社生活や人生経験で学んできたことを活かして会社内や地域社会に向けた価値創造につなげてまいります。ご関心を持っていただいた方、ご相談事がある方は、どうぞお声がけください。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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