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【高校物理】勉強の果てしなさをv-tグラフと仕事の計算で和らげる【授業で話したこと】

高校生や高卒生に物理を教えています。特に苦手な生徒が感じる「勉強の果てしなさ」について授業で話していることを簡単にまとめます。

■ 苦手な生徒は勉強に「果てしなさ」を感じている

物理を苦手としている生徒は、たったひとつのことを理解するだけでも、けっこう体力を使います。「たったひとつのこと」といっても色々なことが絡んできますから、時間と労力が必要になるのは仕方がありません。

例えば「v-tグラフの面積が移動距離※になる」ということを飲み込むには、次のようなことが必要になるでしょう。(※もちろん正確には「変位」ですが)

 ・速度の定義の確認

 ・v-tグラフの具体例での計算

 ・一般化

速度とはこういうものでしたね。例えばこんなグラフがあったとします。じゃあこのことはどんな場合にも成り立つんだろうか。

「v-tグラフの面積が移動距離になる」という「たったひとつのこと」を理解するために必要ないくつかの項目に対して、苦手な生徒はひとつひとつぶつかっていきます。ひとつひとつに悩んで理解して、でもやっぱりよくわからなくて…の繰り返しでようやく納得します。納得したころには生徒はヘトヘトです。

すると生徒はこんなことを考えて絶望しかけます。

たったひとつのことを理解するのにこんなに苦労するのか。理解しなくちゃいけないことはまだまだあるのに……いったいどれだけ勉強すれば物理がわかるようになるんだろう……果てしない……物理を理解するなんて自分には無理なんじゃないか……

勉強の果てしなさを感じてしまうのです。特に「入試というタイムリミット」※を感じている受験生などは、余計に果てしなさを感じて焦ります。

(※もちろん入試があろうがなかろうがいつだって物理を学ぶことはできますので、必ずしも入試がタイムリミットになるわけではありませんが)

■ 果てしなさを感じている生徒に教師ができること

物理の勉強に果てしなさを感じている生徒は、なにかしらのフォローをしてあげないと、勉強をやめてしまうかもしれません。

そうした生徒が「果てしなさを気にしなくなる」ために私が話しているのは、次の3つです。

「まだできていないこと」よりも「できた」ことに目を向ける
「たったひとつのこと」は「たったひとつのこと」ではない
そもそも「学ぶ」ということは果てしない行為である

今回は、この2つ目について取り上げます。

■ 「たったひとつのこと」は「たったひとつのこと」ではない

生徒が勉強に果てしなさを感じてしまうのは、苦労してようやくできたことがちっぽけなことのように思えてしまうからです。

そうではないよ、と私は話します。

いま理解した「たったひとつのこと」は、「たったひとつのこと」ではなく、「別のなにか」につながっていくんだよ、と。

もちろん、こんな抽象的な話だけをしても、生徒は「きれいごと言いやがって。オレの感じてる果てしなさはそんなちっぽけな言葉じゃ消えねえよ」としか思えませんので、具体的なことを示してから話します。

■ 「移動距離をどう求めるか」がそのまま「仕事をどう求めるか」に

題材は次のようなものです。

力の大きさが変化するときに、その力がする仕事をどう求めればよいか

力の大きさが変化しているのであれば、【力×移動距離】では仕事を計算することができません。では、どうするか?

私は「でもね、この問題は一度すでに考えているよ」と言って、次のような問題を出します。

4 秒間に、物体の速さが10 m/sから20 m/sまで一定の割合で変化した。移動距離を求めよ。

ざっくりとした流れですが、初めの速さだけで計算した【10 m/s × 4 s】と、後の速さだけで計算した【20 m/s × 4 s】との間に、実際の移動距離があるはず。v-tグラフではこれらは小さい長方形と、大きい正方形の面積で、実際の距離はその間の台形の面積であることを確認します。

速さが変化する場合でも、v-tグラフの面積を考えれば移動距離を求めることができるんだったね、と確認して次のような問題を出します。

物体が4 m移動する間に、加えている力が10 Nから20 Nまで一定の割合で※変化した。この力がする仕事を求めよ。

初めの力だけで計算した【10 N × 4 m】と、後の力だけで計算した【20 N × 4 m】との間に、実際の仕事があるはず……(その後の流れはお察しの通り)

「速さが変化するときに移動距離をどう求めればよいか」という問に対して「v-tグラフの面積」が解決策になった。それと全く同じようにして「力が変化するときに仕事をどう求めればよいか」という問に対して「F-xグラフの面積」が解決策となる。

「v-tグラフの面積が移動距離になる」という「たったひとつのこと」は「たったひとつのこと」ではなく、仕事の計算にもそのまま当てはめられる

この事実を「勉強の果てしなさ」にぶつけてほしいのです。

※「一定の割合で」が、時間に対するものか、位置に対するものか、というのはごまかしてます。

■ 果てしなさを和らげる

上のような例を話したあと、このような図を描いて、生徒が勉強に対して感じているであろう果てしなさを和らげます。

iPad miniのEvenoteに手書きで(タッチペンではなく!)描いたものです。と、汚い字の言い訳をしておきます……。

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理解すべきことがこれだけ(大きな枠)あったとして、今日理解したことはそのうちのこんな小さなものかもしれない。「は、果てしない……」

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でも、その小さなことの理解は、別の何かに直接つながっている。

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例えば今日やったように、v-tグラフの面積についての理解が、そのまま仕事の計算につながった。この仕事の計算はそのまま電位の理解につながる。

こんな風に「たったひとつのこと」は「たったひとつのこと」ではない。だから、物理の勉強が果てしなく感じたとしても、実際はそうではない。

ただし、こんな風に「たったひとつのこと」が、別の何かにつながることができたのは、その「たったひとつのこと」を理解して納得したから。単に表面的なことを覚えただけでは、こんなことは起きない。

だから、遠回りのように思えても、果てしなく思えても、まずは目の前のひとつひとつのことに対して納得していこう、と話しています。

こんな話をすると、生徒も少し安心して、目の前のことに集中してくれます。特に焦っている生徒ほど「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」と先のことを考えがちで、目の前のことの理解をないがしろにしてしまいがちです。

なので授業では私もことあるごとに(極端に言えば何かを学ぶたびに)同じような話をしています。

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