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雑記 13 私と猫 猫を飼うということ-3

猫と暮らして一番辛いことは、その猫が死んで別れなければならない時だ。そもそも寿命が違うのだから、送ることになるのは決まっている。猫を遺して自分が先に死んで世話が出来ない心残りと比べれば、送れることが幸い、と思っているが、その死が突然で、死に方が理不尽であると、失う悲しみは筆舌に尽くし難い。

爪を切ることについては、うちの貓は従順だった。
一匹の爪を切っていると、次は誰の爪を切ってくれるの? とばかり、行列が出来る。自分でない一匹が私の膝に乗るのが羨ましいのである。

はい、次! はい、次!

という要領で、爪を切っていく。
部屋の中で飼っているので、爪は伸びるのが早く、しかも鋭い。
先の尖った婉曲したカーブの美しい爪。柔らかい肉球を押し、爪を切りやすく出して、爪切りで切って行く。

ところがタロウの爪を切ろうとすると、羨ましくて近くに寄ってくるくせに、膝に乗せると途端に、咳き込んで、暴れる。嫌だったら、行列に並ばないだろうに。

膝に乗せ体勢を整えようとすると、コフコフと乾いた咳をして、暴れる。

やっぱり何か変。

後日、我が家から歩いて1分ほどの動物病院に連れて行った。
幾つかの検査の後、肺に水がたまっている、と言われた。
かかりつけではないが、評判は悪くない動物病院である。家には脊柱管狭窄で寝ている義父がいて、私が介護をしているため、長く猫の治療に通うことになったら、電車で駅2つ先のかかりつけの動物病院には通いきれない。

胸水は抜かなくてはいけない、大した処置ではない、20分ほどで終わる、と言われ、うちに帰って待機しているよう言われて、一旦帰宅。

1時間ほどして、まだかなぁ、遅いなぁ、長いなぁと思っているうち、電話がかかり、容態が急変したから来てくれ、と言う。

家を飛び出し医者にかけつけた時には、タロウはぐったりしてもう息はしていなかった。

看護婦さんが、
今まで歩いていたんです、オシッコをしようと力んだ途端倒れたんです、今まで歩いていたんです、
と言う。
身体は、まだ温かく、抱き上げたらグニャリと撓んで、ずっしり重みが手に伝わった。
ゆすっても頬を叩いても、もう目を開けてくれることはなかった。
あまりにも突然の別れ。一体何がどうなったのか。
獣医は無言。
私もどうしたらいいか、気持ちの持って行き場所もなく、言葉が出ない。

私の大事なタロウ、行かないで! 行かないで!
頬ずりして抱きしめる。
だが、死んでしまったものは、生き返るはずもない。
腕の中で刻々とタロウの体温が失われて行く。

その日、その後、新宿にさまよい出て、伊勢丹前の丸井の二階にあるスタバの窓際で、明るく燦々と太陽が降り注ぐ時間から、日が陰って道路を挾んだ反対側のショーウィンドウに明りが灯るまでの時間、信号が何度も何度も赤、青、橙、と繰り返し繰り返し変わって、人々が忙しく行きかう大通りを眺め、涙が出なくなるまで長いこと座っていた。

あまりにも大切な存在が、突然目の前から消える。そんなことがあっていいのだろうか。心構えもなく、覚悟もなかった。
出来ることは、ただ呆然と座り続け、耐えるだけだった。

タロウとの別れは、思い出す度に悲しい。
タロウ15歳。有難う。

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