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成績がいい→生徒会

部活動に明け暮れていたある放課後、 ある関わりのない男の子に生徒指導室に来るように 言われました。 行ってみると、生徒会に入らないかというのです。 生徒会とは・・・?を説明してもらいました。 転入生の私には馴染みはありませんでしたが、 隣りにいた指導教員の「成績の順位がいい人から 入れているのだ」に妙に納得して入ると答えました。 当時私の成績は2位で、その男の子は1位だというのです。 同意した私を見て、教員が「ね、成績がいい子に声をかけてみろと 言っただろ」といっていた

    • ”部活”は修行!?

      転校前の学校ではクラブ活動はありましたが、 授業の一コマでした。 土日に行われることはありませんし、 クラブによって活動時間が違うなんてことは なかったのです。 ところが、私の吹奏楽部は8時の授業前の朝練、 15/16時前後から20/21時までの長時間活動していました。 遅刻や早退、欠席は理由を音楽室の黒板に書きだされていました。 最後の授業からしばらくたっても来ない子は 校内を捜索されました。 2年生だった私は3年生が怖くてさぼりませんでしたが、 3年生になったとたん、放

      • ”部活”という連帯責任制度

        転校からしばらくして私は、吹奏楽部を見学しに行きました。 音楽が好きでもっぱら運動神経のない家計の父から 猛烈に勧められていたからです。 当時の私の認識には日本の学校には部活があり、 授業以外に好きなことができる、という認識。 小学校では、完全なる自由参加で金管バンドでトランペットを 1年ほどやっていた私。 学校からは特に正式な部活案内はありませんでした。 どんな部活があるのかも知らず、一人小学校時代の親友が 吹奏楽部だと知った私は、違うクラスだったその子に「久しぶり!」 と

        • 日本では女子と男子は会話しない!?

          私にいつも忠告してくるのは女の子でした。 異様な距離を感じていた私は誰にも話しかけませんでした。 正直言って私にとって学校は勉強するための場所であり、 誰かと交流したり、集団行動のために時間を過ごす場所という 認識はなく、ただ授業に集中して先生に質問する場所という 感じでした。 まず驚いたのは、授業中に先生が質問したとき 手を上げるのがほぼ私だけだったということ。 前の学校はほぼみんな手を上げていたのではないかと思います。 後で理解しますが、日本では人前で目立ったり間違えた

        成績がいい→生徒会

          逆カルチャーショック

          海外の楽しかった3年間 いつかはかけたらと思いますが、今回は人生の生き辛さのために 振り返っているため、帰国後について書きます。 さて、海外から帰った私は、人生で一番長く過ごしている地元の いじめられていた校区の中学校に転入します。 初日、私は白のスニーカーを履くよう聞いていたため 履いていきましたが、挨拶するなり担任の先生に注意をされます。 靴紐が水色だという理由でした。 その他、髪は二つ結び、前髪は目に掛からないように 眉毛はそらないように・・・など無数の目的不明の校

          逆カルチャーショック

          自由すぎて楽しかった海外生活

          私は小学5年生~中学1年生まで海外で過ごした 海外では校則もなく、制服もなく、 いじめもなく、目立つことに羞恥心などもなく、 とにかく自由に過ごした。 日本では、なぜか好かれないことが多かったし、 とにかく目立つと叩かれるというのを 雰囲気で理解していたと思う。 海外で私は、学級委員長などリーダーをこなすほど 目立つ存在となった。 日本では実は、トイレに行きたいことが言えずに 粗相したことが3回あるほど内気で人と話せない子供だった。 今思えばどちらが本当の私なのか 目立

          自由すぎて楽しかった海外生活

          いじめ~別れも言えず転校

          小学校の頃いじめられて、クラスの誰一人とも話せなかった。 影で声をかけてくれる子が3人いた。 私はたまたま家庭事情で転校することになり その3人からもらった別れの手紙が残っている。 実際に4年間仲が良かった3人はいじめの中心人物だったが 私が転校する直前お母さんたちづたいに遊んだときの 写真を写真立てにしてもらった。 バツが悪かったのか話した記憶はない。 転校することもめずらしかったその頃 私は対して関心を持たれることもなく学校をあとにした 転校先は海外 地方から東

          いじめ~別れも言えず転校

          いじめで一番強烈だった事件

          私がいじめられた時の一番強烈な記憶 私はいじめられる前4人で仲良くしていた子がいた みんな同じクラスに2年在籍し、習字教室も一緒だった 先生に「仲良くしなさい」と言われた日 渡り廊下からこっそりのつもりで私達が一緒に下校するかを 監視していた先生を見つけたYは学校の門を出るまでは ピッタリ4人引っ付いて歩こうと言った Yは一番いじめに賢かった そして、「後でXの家集合ね」と言った 集合してから一緒に習字教室に行こうというのだ 元々集合なんてせずにそれぞれが行ける時間に

          いじめで一番強烈だった事件

          父も障害やトラウマ持ち!?

          一つ前の投稿で父に虐待された経験を書いた 実はそれ以外にも父にはよく手を挙げられた 一番多かったのは往復ビンタと家の外に立たされること おもちゃや教科書をすべて捨てられる・・・かな 往復ビンタで覚えている理由 1 妹1歳、私3歳の時家で留守番をしていたら   妹がフィルムケースの中に入っているボタンを食べたこと   「お姉ちゃんのくせに目を話すな」と言われた記憶がある   往復と言わずビンタされた私がもたれかかっていた   籐の棚、鼻に残った傷を覚えている 2 父に「ム

          父も障害やトラウマ持ち!?

          同居中の記憶

          noteの使い方がいまいち分からないが、投稿日順に表示されるため 同居解消後の話に移る前に思い出した祖母との同居中の記憶を いくつか整理しておこうと思う 1 母と祖母が洗濯物をたたみながらの戦争 母と祖母の叫び声が聞こえた 言ってみると、一緒に選択を畳んでいたのだが 祖母が今にも母を殴り倒そうとしている 入れ歯が取れそうだ 何の事で言い合いをしていたのか分からないのだが、 包丁でも持ち出しそうな両者の剣幕に、私は思わず 「やめて!!!」と叫んで間に割って入った その後の

          同居中の記憶

          自由な生活といじめ 10歳

          同居を解消したこと、その頃受けていたいじめの前後関係は不明だが ちょうどその頃学校でいじめを受けていた。 家でも自由になったから楽しかったかというとこの後の海外生活に向けて 両親は忙しくてイライラしていたように思う。 ある日クラスの全員が私と口を利かなくなり目を合わせなくなった。 数カ月後先生に呼び出されて仲良くしなさいと言われた時に いじめた側が述べた理由は、「鬼ごっこをした時に鬼になった私が 勝手に先に鬼ごっこを放棄した」というものだった。 私にはそういう自覚はなかっ

          自由な生活といじめ 10歳

          同居解消 4ヶ月後 外国へ移住!?

          祖母との同居を解消し、すぐ近くの中古住宅に移った。 転校はせず、学校にはかなり近くなった。 ところが私が知ったのは転居後だったと思うが、 既に海外に移住する計画となっていた。 恐らく同居に問題があり、いろいろと地元や日本では縛りがあるため 父がだいぶん前に海外派遣に申し込んでおり、 3年間行くことになっていた。 ただ思ったよりも家庭が崩壊するのが早かったため海外派遣直前に転居した。 最近母に同居を解消したのは、同居も影響し私の性格が悪くなっていたからだと聞いた。 これを聞

          同居解消 4ヶ月後 外国へ移住!?

          姑との別居 子供目線でみたエピソード

          ある日親戚が一堂に会した 私の家族が父方の祖母との同居を解消するとの報告の会だったようだ いとこの中で一番年上だった私は、締め切った親戚会議の部屋の周りで子守だった やぶれた障子からのぞくと、父の弟の妻が「残念です」といって引き留める 父の弟の家族はほとんど状況を知らなかったのもあるけれど 後で母に聞くと借金まみれだった祖母は、取り上げられた家を再度建てたかったので、ブラックリストに載っていない長男の父を利用しただけで 同居するつもりなどなかったと言ったらしい そしてお前

          姑との別居 子供目線でみたエピソード

          忘れもしない私の誕生日

          小学何年生だったか私は誕生日に自転車を買ってもらう約束だった でも、その日母と父は大喧嘩をし、父が部屋を蹴りつけながら しばらくしてバックをもってぶっきらぼうに「自転車買いに行くぞ」といった 道中は無言 半ば投げやりに選んで家に帰る 色の希望でも言おうものなら怒鳴られそうだった 母や部屋から出てこない 誰にもおめでとうも自転車良かったねも言われなかった 私は3兄弟の長女だがほかの兄弟がどうしていたのか その頃の私に記憶がない きっと自分のことで精いっぱい もしかした

          忘れもしない私の誕生日

          嫁姑バトルと挟まれる旦那

          私の母の同居姑との戦争は日々激化 後から聞いたが、父の家庭は借金まみれ、犯罪者あり 母はその時点で独身時代の貯金100万円を貸しており そもそも心証が良くないのに、私の記憶の中の祖母は いつもヒステリーについて回っては小言を言う人だった 毎週末泊りに来る小姑家族 祖母が毎日電話で聞こえるように叔母に言いつける悪口 我慢限界の母とほぼ不在で理解が追い付かず、 そもそも家族を助けるのは当たり前、仲良くするのが当たり前、 男のほうが偉い、男の家族に女は入るものという考えの父は

          嫁姑バトルと挟まれる旦那

          嫁姑バトルを眺めながら引きこもる発達障碍児

          とにかくけがが多く、走るのが遅い子供だったらしい 言葉だけは達者 小学生になると母を攻撃する同居の父方の祖母にちょいちょい言い返すように 祖母は別居の私の父方の叔母の子供はかわいいらしく 毎週末泊りにきて部屋を占領してキャンプ状態 聞こえるように母の悪口が聞こえてくるため、私たち家族はどう過ごしていたのか記憶がない 父はほぼ家には不在 叔母とその旦那さんはたまにボーリングに連れて行ってくれたりするのだが、母がいい顔をしない

          嫁姑バトルを眺めながら引きこもる発達障碍児