文春の内部通報的役割からみる、報道や言論の自由

文春砲が当たると、すぐ喋ってくれ、謝罪してくれる。政治には文春は効く!と思われる構図を作り上げているこの昨今。

特に今回の総務省関連の文春砲は命中すると、官僚も話が変わる、大臣も答弁を変更するといった、元々省内(もしくは政権内)の内部通報制度がうまく行ってませんよ、と言わんばかりの態度変化である気がする。

そして毎週水曜に回る週刊文春のゲラ版にオドオドしている政権や官僚、少なくとも国民には、そう見えてしまうだろう。皮肉にも、野党議員も認めるほどのリサーチ能力、だそうですし。

「残念ながら野党よりも週刊文春の調査能力のほうが相当先を行く」との現状を認めた。

また文春砲は、オリンピック開会式の演出統括役の佐々木氏へも命中し、辞任となった。女性蔑視の演出案が1年前にあったから、ということが理由だそうだ。

確かに女性蔑視は許されないという流れは重要であると考えられるが、どこまでプライベート(LINE上)の1年前の会話内容が簡単にリークされる、という事実(内部分裂なのか、内部通報がうまくできてないのか)、またそれを報道してしまう文春の態度にも厳しい意見があるのも事実でしょう。

話変わって、今軍部によるクーデターが起こっているミャンマー。2021年2月1日から始まったクーデターの大義は、国民の為、だったような記憶があるが、ミャンマーの現地主要新聞は全て休刊、となった模様。

2011年の民政移管以降、ミャンマー政府は報道の事前検閲を廃止し、民間の新聞社による日刊紙発行も解禁した。最大都市ヤンゴンに住む元記者の男性は「軍事政権が始まった1988年以来、25年間にわたって国営紙しかなかった。その時代に逆戻りしつつある」と話した。

また下記記事のように、中国では海外からの記者へのビザ発給がされにくかったり、英国のBBCは中国で放送が禁止されたり、と報道や発言の自由が以前より制限されていることが、外国人の立場からでも理解できるレベルになっている模様。

報道や言論の自由は人権保護の面でも守られる側面であるだろうし、それを享受し文春砲が成立しているわけである。一方でその自由が守られるか分からない国や事情もあるのだろう。文春の報道の中身も行き過ぎると社会的な制限を受けかねないだろうが、まず報道や発言が自由にできるという基盤を守りつつ、行き過ぎた「自由」乱用とならないようにバランスをとる必要があるのだろう。同時にそのバランスの中心は社会の変化と共に常に動いている、とも言える。

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