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こんにちは!
【家族が幸せに過ごしていく為に】を追求する
ココリリのパパです🍀
今日は

「父としての命の責任」

というテーマでお送りしようと思います。

🌈体に異常を感じてみて🌈

本日の初体験チャレンジシリーズで書きましたが、僕は眼に異常を感じて病院へ行きました。

簡単に言うと、僕は自分の左目が暗く見えづらくなり、網膜剥離ではないかと思い、病院にいったわけです。

網膜剥離というと、日常聞き慣れませんが、ドラマなどで格闘技をする人が選手生命を脅かされる病気として出てくることがあります。
失明する恐れのあるような眼の病気で、特にボクサーはこの病気と隣り合わせです。

僕は全くそんな経験がなければ、ガラでもないですが、一般の方に比べて、目を使っている時間は確かに多いという自覚はありました。

だからか、眼にあきらかな異常を感じて、症状を調べてみて、良くない予想を自分でしていました。

もし失明したらどうしよう。
から始まり、いろんな想定ゲームを続けていくと、最終的に自分が死んだらどうしよう。
まで行きつきました。

🌈自分の死の手前を意識する🌈

これまでも自分の死後に関しての準備は少しはしていたつもりです。
仕事柄、たくさんの家族と向き合う時間が長いので、家族の生きていく時間に対する相談や会話をお客さんともよくします。
そこで、話していたのはいつも、保険に入っているかだとか、誰かが死んだ後の衣食住は足りてるかなどの最低限の話しでした。

どれも死後の話です。

でも突然死のような事故であればそこがスタートになるから良いのですが、僕が今回感じたのは、死が発覚したりした場合の余命期間をどうするのかということです。

今回の眼の異常によって、次にこんなことが起きたらとか、似たような形でこういうことが起きたらとかなんとかかんとか考えるうちに、余命期間の過ごし方を決めておかないとと思いました。

その時真っ先に思い浮かんだのが、子供たちの顔でした。
僕は父です。
2人の娘の父親です。
この子たちの生きる世界で、余命期間に突入する僕はどういう過ごし方をした方がいいのかを考えました。

例えば急に言葉が発せられない病気になり、半年の時間しか残されていない病気に明日なってしまったら、僕はどうするんだろう。ということです。

自分の死後は考えたことはあっても、死の手前を意識することがなかったのです。
だからこの機会に、たらればですが、僕が仮に半年の余命期間に突入してしまったらどうするのか考えました。

🌈僕はずっと家族に甘える🌈

シンプルにそういう答えになりました。

迷惑だとか、苦労をかけるだとか、精神的に残された側が大変だというリスクとの戦いになるかと思ったのですが、
突き詰めていくと「終わりがみえているものに対してどう向き合うのか?」という質問に変わってきました。

そうすると、やっぱり「大切な家族みんなで、その距離は走りきってゴールテープを切る」という答えになるんですね。

みんなの心が救われる唯一の方法かと思います。
特に僕たち家族の絆はとても強いものがあるので、離れることも出来なければ、諦めることも選択肢にありません。

妻が家事たくさん重なる時は、僕が手伝うし、娘がダンスでチャンピオンになろうとすれば、毎日のルーティーンに組み入れるようにパパママが協力します。

みんなで支え合って、崩れそうな何かがあれば、それが誰であろうが繋いだものを離すことがありません。
それが僕ら家族の唯一ルールかと思います。

だから僕がもし、崩れそうな時は、差し伸べられる手をなんの遠慮もせずにガッチリ握り返して、決して離さないことが僕たち家族だと結論付きました。

今回、命の危機に瀕したわけではなかったですが、いろいろと考える機会があり、良かったです。

これも妻と早速共有しておきます。
ただ、まぁずっとみんなで健康に過ごしていければと改めてここで願っておきます。

🍀全てのファミリーに幸あれーー🍀

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