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ニジェールのドクター・タニ 外科医 谷垣雄三物語

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谷垣Dr.の同期生(信州大学ワンダーフォーゲル部)川本Mr.が谷垣Dr.の関係者(協力者、友人、知人そして家族)のお話を伺い、冊子にまとめた「ニジェールのドクター・タニ 外科医 …
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#松本市

外科医 谷垣雄三物語

外科医 谷垣雄三物語

信州大学のワンダーフォーゲル部で谷垣Dr.の同期生、川本Mr.が谷垣Dr.の関係者(協力者、友人、知人そしてご家族)のお話を伺い、冊子にまとめてくれた「ニジェールの外科医 谷垣雄三君」。谷垣Dr.の生きた道を経年的にたどることができ、時間と場所が異なりながらも各々の出来事のつながりも見出すことができます。約80ページの長編です。

文中の氏名や写真については、承諾を得た方を除いて、A Mr. ,

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第二部 信州大学時代

第二部 信州大学時代

信濃の国のWV(ワンダーフォーゲル)
新入生を迎える4月、松本平の西方に連なる北アルプスの連山は、春の声をよそに雪化粧して輝いている。
しかし、東方の美ケ原の王が鼻、王が頭の雪化粧は薄れ、そこを源流に信州大文理学部の南側を流れる薄川の雪溶け水は勢いを増す。
ワンダーフォーゲル(WV)部の新人歓迎山行(さんこう)がその頃、美ケ原をめざして行われる。パーティーを編成して扉温泉や三城牧場などを経由して登

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第三部 病院勤務時代と山

第三部 病院勤務時代と山

勤務病院でウデ磨く試験会場に行きながら、信大受験生うちただ1人、1968年6月の旧制度による医師国家試験をボイコットした谷垣雄三君。安田講堂事件のあった翌年の1970年(昭和45)、受験して医師の資格を得た。登録番号から同期生がそう断定する。通算3回、ボイコットしたことになる。ところが、そのあとの谷垣君の足跡は1970年暮れ、小川赤十字病院(埼玉県小川町)に姿を見せるまでの約1年余の足跡ははっきり

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第四部 西アフリカ・ニジェール

第四部 西アフリカ・ニジェール

砂漠の嘱託医に応募医師向けの「医事新報」という定期刊行物がある。医療に関する記事や論文、医師の求人などの情報が掲載されている。その中にアフリカ・ニジェールのウラン探査活動の嘱託医を求めている広告が掲載されていた。
「広大なアフリカで活動しませんか、と夢を誘うかのような内容だった」と、広告を出したNPO「アジア・アフリカにおける医学教育支援機構」の理事長の熊谷義也さんは話す。
慶応大医学部を卒業した

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番外編 その1(後日談)

番外編 その1(後日談)


谷垣雄三君の死の悲しみは、畏敬の念と共にニジェール全土に広がった。
ニジェール保健省は「テッサワ・パイロットセンター」を改修して県病院として開院させ、病院名に「ドクター・ユウゾウ タニガキ」の名を刻んだ新たな看板を正面に掲げた。また、近くの自宅も改修し、「保健センター」として同時にオープンさせた。産科施設を併設し、「マダム・シズコ」の名を看板に入れた。谷垣君が亡くなって2年後の2019年3月15

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