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「『ひらめき』を生む技術」伊藤穣一

大学を3回も辞めている、日本で言えば「肩書きがない」ということで表舞台に連れ出されることはないだろう。アメリカは懐が深い、実力さえあれば採用する。伊藤穰一さんはMITメディアラボの所長として迎えられる。

 「『ひらめき』を生む技術」で知的イノベーションンの起こし方を紹介している、この本は今まで読んだ「イノベーション」について書かれた本の中でも秀逸な一冊だった。

 冒頭で伊藤(2013)は、セレンディピティーについてこのように語る。

 例えば、森へりんごを拾いに行くとしましょう。
 ラッキーな人は、出かけるたびに違う場所を探し、毎回たくさんのリンゴを見つけます。アンラッキーな(と自分で思っている)人は、どうでしょうか。知らない場所に行く(冒険する)のをためらい、いつも同じ所をぐるぐる回るので、初めのうちこそたくさn見つけられるものの、行くたびにその数は減ります。
 そう、ラッキーな人とは、「どこに言っても何かは見つかる」「探しているものは見つからなくても他のものがある」と思える人なのです。(p3)

 リスクをとってジャンプしないと新しい世界は見えない。さらに伊藤(2013)は次のように続けている。

 人生も、「こうだ」と決めつけてしまうと、そこから少しでもそれたらアンラッキーということになります。でも、「何が起きるか分からないが楽しい人生だ」と考えていれば、結果的にそういう人生を送るのです。
 日本人は、計画好きです。決められた道筋を予定通りにきちっとこなすにはどうしたらよいかを考えるのが得意ですし、会議も好きです。でも、定例会は、セレンディピティーを殺します。定例会だけで一日が終わってしまったのでは、偶然性が入り込む余地がありません。(p4)

 そうです、昨日と明日を生きすぎると予期せぬ幸運が見つからないのです。今を生きる、今ここの刹那を懸命に生きること。リスクだって取ろうじゃないか。伊藤穰一さんの「知的イノベーションの起こし方」について、もう少し触れていきたいと思います。本日はここまで。


伊藤穰一(2013)「『ひらめき』を生む技術」(狩野綾子訳)角川学芸出版初版


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