見出し画像

島根県に移住するまでのお話

最近は医療職の方々のみならず、他職種の方々との出会いが増えてまた新しいワクワクを感じている安田です。

今回は「なんで島根なの!?」という移住に関する質問が増えたため、
島根県に移住するまでの経緯についてお話しようと思います。

コーヒーを片手間に流し読みしていただけたら嬉しい。w

#1 島根県との出会い

私がお世話になっている三沢地区の街並み。島根県仁多郡奥出雲町三沢の通り。
写真は夏祭りの時のものです。いつもは静かな町通りが賑わっていました。

2022年3月私は医療職のライフキャリアをテーマに発信をしており、理学療法士の養成校でキャリアに関する講演をする機会を探していました。

そんな中一緒にお仕事をしていた方からご紹介いただき島根県仁多郡奥出雲町にある島根リハビリテーション学院でキャリアマネジメント概論の特別講師をさせていただくことになりました。

正直なところ、「島根県!?」と頭がついていかなかったですね。笑

私は四国と中国地方に行ったことがなく全く縁もゆかりもない地域。

1回授業をしたらその後の繋がりは作りにくいだろうと思っていたというのが本心です。だって東京から島根って740kmもあるんですよ!!w

私が初めて島根県に行ったのは4月。
山間地域のため春といっても寒い。
コートに身を包みながらパンプスでコツコツ田舎町を歩いてた。

ザ・都会でバリバリ仕事してます✨感出しまくり。

何もないし(失礼。笑)、車でしか移動ができない土地では生活は無理だなあ〜なんて思っていました。

当時ペーパードライバー歴3年。

しかし、ここ時から約7ヶ月後の11月、

私は「移住」しちゃうことになるのです。

#2 移住を決めた理由

県外から知り合いを招いた時に、地域おこしのお兄さんたちとゴミ拾いをした後に
撮影したらめちゃくちゃエモい写真になりました。

一言で表しにくいけど、
「好きな自分でいられる」環境に出会えたから。

というのが一番しっくりくる気がしました。

私は大阪に移住したこともあったけどその時は「やりたいこと」、つまり当時尊敬した上司のいる会社に転職するために移住したのです。

だから今回、「なんで移住するの?」とか「移住の決め手は?」とか聞かれても正直コレです!と言い切れるものがない。。笑

しかも直観型の私が半年以上毎月東京から飛行機で通って長期的な関わりの上で移住という大きな行動を決めるのも珍しい。

大阪の時は即決でしたからね。笑

ただそこが理由なんです。

半年間は仕事も兼ねてだったから島根に行く理由が一応あったわけだけど、9月で仕事の関わりがなくなるとなった時、私の中でぽっかりと穴が空いた感覚がありました。

「私が今後もこの地域にくる理由ってなんだろう・・」

そこで気づいたのが「好きだから」が理由だということ。

今まで何でも目的、目標、やりたいこと、夢とかそういう理由で決めてきました。

ただただその地域が、
そこにいる人たちが、
その環境が好きだから行きたいだけなんだと分かった時、そこにいる自分が好きであるということに同時に気づいたのです。

#3 関わりと暮らしの違い

有名な鍛冶屋体験をさせていただいた時の写真。
髪の毛ボサボサですっぴん(笑)

好きな自分というのは、どういうこと?

説明が難しいけど、自分の立場や職業、過去とか色んなタグを外して「東京から来た20代の女性」というだけで関われていることが自然体でいれたということかな。

常に自己紹介は「理学療法士の安田です。」
「将来はキャリア支援をしたいと思っています。」と自分の仕事のことばかり話しがちであることを変えたくてそうじゃない自分を探していました。

しかし自分のことをあまり知らない人たちの環境に行くと、そんなことはわりとどうでもよくて笑

私がうまくいかない時も、出会った当初と違う状況になったとしても、この街を好きで何か一緒にやろうと思ってくれるだけでいいんだと。

そういっていただいた時、私は甘えているんだろうなとも思ったけど「何かができる私」ではなく1人の人として受け入れていただけた感覚がすごく暖かい気持ちになったのです。

承認欲求が強くなる時期でもあり、そういうお年頃だったのかな。笑

好きな自分でいられる理由のもう一つは、縛られないからこその「クリエイティブさ」が生まれること。

こうでなければいけない、と自分で縛ってしまいがちな思考が、
自然に囲まれ、あれいいじゃん、それもいいね!なんて街の人たちと話している時間が私ってそういえば妄想好きなアイディアマンだったなーなんて思い出す。

環境に左右されず自分でいい環境を作る力は必要だけど、どんな環境に自分を置くかも私にとっては大事。

これからの時間をここで「過ごしたいな」と思うようになりました。

けど・・移住する必要ある?なんてことも言われます。
毎月通って関わってはいる中で、もっと「日常」でありたいと思ったんですね。住んでいる人か、通ってくる外の人かってだけで見えてくることも地元の人との関わりも変わってくる。

私自身が「暮らす」中で生まれてくる新しい価値観や人との出会いを作りたいなと思ったことが関わりではなく、暮らすを選んだ理由です。

#4 地方だからこそ

山の中に住むおばあちゃん。後ろ姿お借りしました。笑

私が島根県という地方に関わるようになって感じた
一番大切なことは「助け合いの心」

自費で島根に行くときは仕事の兼ね合いもあり、飛行機をギリギリでとったり泊まる施設のことも考え5日間行くだけで5万円くらいかかってしまいます。

車がないとなかなか行きたいところに行けないため、レンタカーも必須。

徐々に地域の方との関わりが増え、
空港まで迎えに来てくれたり、送ってくれたり、
軽トラを貸してくれたり
(運転してる姿は爆笑されたw)
空き家に泊まらせてもらったり、
立ち寄ったおじさんが野菜くれたり、

そんな風に困ったことがあると助けてくれるんです。

普通なのかなとも思うけど、都内に住んでてそうした住民との関わりとか助け合いとか感じたことがないからこそ人間の温かさを体感できたことが幸せだった。

中山間地域の豪雪地帯だからこそ雪で困ったり、
動物被害だったりどこかに行くにも不便だからこそ
みんな助け合って生きている。

医療業界で働いてきたからこそ、そうした心が養える環境ってすごくいいなと思いました。人として大切なことが日常に溢れている。

私がそんな場所にいることで、都会で疲れて田舎にふらっと行きたいとか、違うところで生きたいなとか、地方行きたいと思ってる人たちが来やすくなる受け皿になれたらいいなって。

私が受け入れてもらったように。

これからはそうした活動もしていきたいと考えています。

#5 最後に

これまで2700字くらいと長くなってしまいましたが、読んでくださってありがとうございます!

27歳になって自分がどんな大人になりたいか考えた年でした。
だからこそ移住を決めたということもあり、浮ついてる気持ちというよりは落ち着いた感覚が強いです。

これまで読んでくださった方の中に、ちょっと移住に興味があるとか、地域活動とか田舎暮らしとか興味ある方はぜひざっくばらんにお話しましょう^ ^

移住ってハードルが高く感じられやすいですが、
実際に740kmの壁を越えた身からすると、日本って地面はずっと続いてるからどこでも行けてしまうんですよね。

思ってるよりずっとずっと誰にでもできちゃうんだと思います。
けど1人でってのは結構大変。
だからこそたまたま先に移住した私が何か力になれたらってめっちゃ思います。

私も1年前に移住した仲間に出会ってたくさん助けてもらったからこそ、同じように地方に辿り着いた人の力になれたらって思うんです。

読んでいただいて分かったと思いますが、
はっきりした理由ってないんですよね。w

そんなもんなんじゃないかなって。

いつも目的とか理由とか考えて行動してたらすごい制限されると思う。
考えているうちに疲れちゃって結局やらないことの方が多いんじゃないかな。

私は自分の欲望に素直でいたいと思うから、自分の『〜したい』を大切に生きてきたし、これからもそうでありたいと思います。

これから島根県での生活や活動も発信できたらと思うので、興味ある方は見ていただけると嬉しいです😊

https://www.instagram.com/aya_yasuda.pt/

最後まで読んでくださりありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?