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勉強のための勉強〜結果が出ない努力編〜

「努力しているのになかなか結果が出ない。」
「勉強しているのになかなか結果が出ない。」

誰しも経験があると思う。
そういった人は、私のように「勉強のための勉強」「練習のための練習」をしていないか確認してもらいたい。

勉強のための勉強ー小学校時代ー

自分も結果が出ない努力するのが得意だった。
小学6年生の頃、親が厳しく、平日2時間勉強、土日は4時間を1時期ノルマとして設けられていた。
やらないと親から怒られる。
でも、勉強に対するやる気はない。

そこで、勉強するフリがうまくなっていった。
親が来たらすぐに勉強したフリができるように、消しゴムでねり消しを作ったり、ペンのキャップを組み立てたり文房具での遊び方のバリエーションを増やしていった。
あとは、長時間椅子に座っていられるようになった。
座るだけだけど。

多くの知識の代わりに身についたのは、勉強時間を消費する方法、勉強のための勉強方法だった。

無意識にやっていた練習のための練習ー高校時代ー

高校では弓道部に入った。
弓道自体楽しかった。
だから、練習も率先してやっていた。
どれぐらいやってたかというと、マラソン大会の後も自主練に行っていたぐらいだ。
多分、同期の中でも1番練習していたと思う。

でも、成績は思ったほど伸びなかった。
伸びなかったとは行っても校内での選抜に選ばれたはしていた。
それでも、「自分はこれだけ練習しているのに・・・」という気持ちは残っていた。

週6練習していて、人より多く引いていても100本中30本当たればいいぐらいだった。
他の人はもっと当たっている人もいる。

「なぜもっと当たらないんだろう・・・」

そう思いながら毎日原因を見つけては改善していた。
でも、結果は変わらなかった。
結局卒業しても原因は分からなかった。

2つの共通点

今振り返ると、2つには共通点がある。
それは、

「勉強のための勉強」
「練習のための練習」

つまり「努力のための努力」だったということだ。

どこかで努力していることに酔っていたのかもしれないし、努力だけは誰にも負けていない、だからうまくなれると思いたかったのかもしれない。

「自分はこんだけ練習しているのに、何で全然練習に参加してないあの子の方が結果出してるん!? そんなに僕下手!??」

そう実際に友達に泣きながら相談したこともある。

マラソン大会で10数キロ走った後も練習していたぐらいだ。
努力だけが自分を支えていたのかもしれない。

でも、今ならわかる。
冷たくいうとマラソン大会の後の練習は逆効果だ。
やる意味がない。
何ならやらない方がいい。

筋肉痛を悪化させるし、筋肉の状態が悪いままで練習しても間違ったフォームを覚えてしまう。
本当にただの自己満だ。

「勉強のための勉強」
「練習のための練習」

から得られるのは努力したという、目的から外れた偽りの勲章なのかもしれない。

それに気づかさせられたのは大学に入ってからのある出来事だった。



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