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noteとの付き合い方

この、私にとって「書く」ということ、という記事を読ませてもらっていました。(↓)素敵な文章でした。それを読んで自分が考えたことについて書きたいなと思って、今はパソコンに向かっています。気に入った箇所を、引用(多少の編集あり)しながら書いていきたいと思います。

https://note.com/pw_fuokumi/n/n8c69958f8c26 

noteとの付き合い方というのは、最近の僕にとってはちょっと難しいんです。義務じゃないけれど、どこか義務のようなんです。毎日でも書き続けたら、自分の大好きな文章を書く(表現する、発信する)事が上達して、もっと楽しくなるんだろうと思います。その延長線上には、きっと多くの人に理解してもらいたい共感してもらいたいという気持ちがあるのかも知れません。自分が好きで時間をかけてやっているからには、プレッシャーを感じない範囲でnoteを楽しみたいです。ですが、今この瞬間も、(書きたい+書いたほうが良い)が混合した気持ちで、書いています。好きでやっていることなので、書くのをやめたいときにやめればいいし、別にカッコいい文章なんかじゃなくても良いはずなんです。でも、心のどこかでは世に自分の文章を送り出す(大袈裟)のだから、あまりに酷いものは公開できないな、と思っているんです。ですが、「酷い文章」なんて存在しないとも思います。見栄えに気を遣った小綺麗な文章を背伸びして書かなくても良いと思います。ありのままを曝け出す方が、人間性とかが「生々しく」(より高い純度で)伝わるから、文章が「自分にしか書けないもの」になる気がします。

憧れの「大企業でバリバリと働くカッコいい人」を演じる
=鴨が水面下で、疲労骨折寸前、ものすごい勢いで足を動かしている

この例えから、やっぱり自分を実際よりも大きく見せようとする事について考えさせられました。虚勢を張るのって、どこか空虚な感じがします。自信が無かったので、「虚勢」の意味を調べてみました。外見だけは力のあるふりをする。 自分の弱い所を隠すために、逆に強がった様子でふるまう。ことみたいです。僕が最近よく思うのは、本当の自分の心の声を聞くのはとても難しいということです。どういうことかというと、「自分が何かをしたい時の理由の核となる部分には何があるのか?」ということです。noteを例に出すとすれば、「noteを書いて発信している自分カッコいい」ありきで書いているのか、純粋に書く行為が好きで、それが出来る場としてnoteを見つけてそれを利用しているのか。こんなイメージです。何をやるにしても、自分の目的や動機って一体何なんだろう。どの理由は良くない、なんて事はないはずですが、自分は一体何を考えているんだろう?という部分がとても気になります。考えるのが楽しくて、好きな僕ですが、最近は考え過ぎるのも良くないのか?とも思います。でも、色々と考えて自分なりにスッキリと頭の中が整理されていく感覚が好きなことに関しては自信があるので、これからも考えるのは続けていきたいと思います。一体なんの話なのか全然わからないですね笑 でも、考えることと、書くことって密接に関わっていると思います。書いていると、自分の考えていることが見えてくる事は多いです。

書いているうちに、なんとなく輪郭が作られる
最後まで書き上がると「あーそうか、こういうこと言いたかったんだ」というメッセージが浮き上がる

まさに、こんな感覚です。noteを書く時は、特に着地点も考えないで、無心で言いたいこと、思い浮かんだことを打ち込んでいるだけです。文章を長くしようと頑張っているわけでもないです。気づけば2000文字くらい書いていて、「あ、長くなりすぎても読んでくれる人がしんどいだろうしここら辺で止めよう。」となります。やっぱり、読んでくれる人ありきですね。

「書く」ことに対して肩肘張らずに、湧き出てきた内容を書き綴っていくと、それを喜んでくださる方がいる。本当に感謝しかない。

まさにこれです。感謝です。前半で書いたように、取り繕ったり気負ったりすることなく、今の自分の在り方を肯定していればいいんですよね。(なんの自己啓発セミナーでしょうか笑)

ここで、もう一つnoteに関して僕が最近考えている事があります。noteをやる目的として、自分の勉強になる。という側面があります。人に伝えようとして情報収集したことを、自分の実名で文章の形にして発信する。(今回は自分が読んでいた内容から連想した事を書いているだけですが)この一連の流れで、自分はより物知りになれます。読んでくれる人からしても、僕の新しく得た知識を「僕なりの要約」という形で読むことで、新しいことを知ることが出来ます。noteは、こういった文章のシェアをみんなで出来る場です。こう考えると、皆にメリットがある場なのかも知れないですね。こんなことは、今まで考えたことがなかったですが、これからももっと書いてシェア・発信しよう、と思えました。自分で何か面白い事を仕入れたら、自分の中でしまい込んでいても、なにも起こらないですもんね。面白い話を聞いたら、誰かに話したくなる。それくらいシンプルに、noteを使っていけたらいいですね。

ですが、未だに「なんで自分はnoteをやりたいんだろう?」という自分への問は完結しておらず、スッキリしない感覚です。完全な自己満足の領域ですが、気になるのでもうちょっと考えてみようと思います。みなさんのnoteを書く理由、目的はなんですか?思い浮かぶことがあれば、コメントで是非教えて下さい!コメントをする事自体は、少しハードルが高いことかも知れません。「感想文」という名の宿題があるくらいだから、面倒なことかも知れません。ですが、書き手からするとコメントを貰えることはとても嬉しいことです。誰かに読んでもらえる事を願いつつ、発信して、それが誰に届いたのかは、リアクションを起こしてくれる人(スキやコメントを通して)以外、全く検討もつきません。ですが、「読んだけど、良かったよ!(スキ)」あるいは、「読んでこんな風に思ったよ(コメント)」をすると、読者の心の動きが書き手に伝わります。これって、なんだか温かい、素敵な双方向のやりとりだと思いませんか?ということで、僕は最近はコメントや記事の引用という手段で、自分が読んでどんな事を感じたか、などを「伝え返す」ように心がけてみています。軽くまとめると、僕の書くnoteに反応してくれ!といった趣旨で間違いないです。すみません、自己主張がすごくて笑ふと文字数に目をやると、2700近かったので、今日はここまでにしたいと思います。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています!

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noteの書き方

僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。