見出し画像

24歳のひとり旅ラオス編、コミュニケーションが辛いよって話。でも、人との出会いはやっぱり素敵。

今回のnoteは、友人とのDMでのやり取りをコピペして、そこに肉付けした形。ラオスのルアンパバーンで、お昼ご飯を人気店で食べようとしたら待ち時間が30分近くあって、暇潰しに書いていたら結構書いてしまった。(後からパソコンで編集した)リアルタイムでこの感情をサクッとシェアしたい。そして残しておきたい。(今回は写真が多くてきっと読みやすいはず!楽しんでもらえると嬉しいです!)

別にどうでもいいけど、俺が自分で撮ったヘッダーの写真は、ちょうどこのGoogle検索で出てくる画像の橋の上から山の方に向いて撮った写真ですごく気に入ってる。バイク通るたびにめっちゃ揺れるからこれで崩れて死んだら洒落にならんなと思いつつ、まあそんなことはないでしょう。と高所恐怖症の笠井康弘はシャッターを切っておりましたとさ。

ちなみに、ルアンパバーンでどこ?と思った方はこちら

ルアンパバーンの町
ラオス北部にあるルアンパバーン県の古都で、メコン川とナムカーン川の合流点の谷にあります。何千年もの歴史があり、1975 年まではラーンサーン王国の首都でした。数多くの仏教寺院で知られ、16 世紀にさかのぼる金色のワット シエントーンや、ラオス仏教の聖職者の邸宅であったワット マイなどがあります。

https://www.tourismluangprabang.org/ja/home_ja/


今回の伝えたかった感情

この言い回しは後でまた登場するけど、今回のnoteのハイライト。👇

「今までの人生で俺が訪れた国の中で、一番コミュニケーション辛いわ。共通の言語がここまで無いと、こんな気持ちになるのねって感じ。英語がタイと比べても比にならないくらい通じないから、ほんとラオス語話せなくてごめんなさい🙏🙏🙏って感じ。

自分
道端で春節パーティー中の皆様🧧

共通言語がないということ

俺はラオス語は話せないし、英語も使えないし、それでも色々な現地の人に優しくしてもらい続けて、俺もGoogle翻訳とかで頑張ってるけど、上手くいかず。

会話には、テンポってものがある。それが間延びし過ぎたら全然楽しくない。自分以外はみんなラオス語で、そのグループの中に1人か2人、少し英語がわかる人がいて、かろうじて会話に入れてもらうようなシーンをもうすでに何度か経験している。

となると、やっぱり英語で話している間に、ラオス語での会話もどんどん進んでいく。そしたら、英語で自分と話してくれていた人は取り残されてしまう。別にそこは気にしなくても良いのかもしれないけれど。

街の機械修理と文具店のオーナー、農学部の教授(英語可)

でも、この英語のやり取りにも結構ミスコミュニケーションが頻発して、自分が聞きたいと思ったことを聞くのが難しい。まあ、お互い第二言語だから、当然ズレがあって当然だとは思うんだけど、あまりにもチグハグで何回も質問の内容をあの手この手で伝え直す必要がある。これが辛い。こんなにもどかしい思いをしたのはいつぶりだろうか。

もどかしさ、歯痒さ

もどかしい
物事が思いどおりに行かなくて、歯痒い気分になること、あるいは、事態の不完全さにいらだちを感じることを意味する表現

歯痒い
思いどおりにならなくて、いらだたしい。もどかしい。「―・くて見ていられない」

みんな、自分のことを喜んで迎え入れてくれているんだけど、思うように楽しくスムーズに会話が出来ない。お互いの考え方とか文化的な背景とかにすごく興味があって、聞きたいことがたくさんある。なのに、会話がつっかかかってしまってなかなか思うように進まない。歯痒い。

ラオスにいるのに、英語で会話出来ていること自体はすごいこと。当たり前じゃない。とても感謝している。本当は俺がラオス語で会話するべきシチュエーションなんだけども。挨拶とお礼程度しか出来ない…。悲しい。かと言って滞在期間中でラオス語を習得、ともいかず。

今までの人生で俺が訪れた国の中で、一番コミュニケーション辛いわ。共通の言語がここまで無いと、こんな気持ちになるのねって感じ。英語がタイと比べても比にならないくらい通じないから、ほんとラオス語話せなくてごめんなさい🙏🙏🙏って感じ。

二日前に食事していたレストランの前を通りかかったら、店主からそこのみんなとビール飲んで行きなよって言ってもらった。結局は店の店主とその兄弟家族もみんな大集合。

友人のたくやとのDM

「でも英語でやっていけないことに気づくのって色んな意味でカルチャーショックだよね。ヨーロッパで楽しく生活していたやすがそう思うのはすごく意外でもあるし、言葉の力ってすごいんだなぁって思ったりもする。」

※ヨーロッパで暮らしてたのではなく、2023年に100日少々の旅をしていた

🤞こちらがヨーロッパ旅についての記事

🤞この記事の目次の「夏に大学を卒業→ヨーロッパ旅」という部分をタップしたら、僕がヨーロッパのどんな街をどんな日程で回ったのかも見られるので興味がある方は是非!


※以下はたくやとチャットしていて自分が書いていた内容をそのままペタッと貼ったりしている。

あと、伝えるために携帯でラオス語を見せても、Google翻訳の精度が母数(サンプル数)が少ないせいで低いのか、なんかイマイチピッタリ意思疎通出来てる感じがしなくて。あと、お年寄りだと読んでわかってるのかどうなのかもよくわからない。識字率がそんなに良く無いのは知ってるけど、どうなんだろう?と。

※文章の書き方的に、なんだか蔑んだように聞こえてしまったら、そういう意図じゃない。ただ、事実として…。

ヨーロッパでの経験は偏っていた

ヨーロッパ旅の時は、友達の友達、大学卒または院卒のみんなと会話をすることが多かった。当然英語はみんな十二分に使える。街でも高校生大学生を狙って話しかけたら英語ベースのメディア、映画、TikTokとか YouTubeを見て育ってるから、簡単に英語で意思疎通できる。それで彼らの母語で挨拶とお礼が出来たら快くなんでも教えてくれたし楽しい会話も苦なく出来た。

でもマジで今回は異世界…!(同じようにはいかない。そんなに甘くない)良かった、ヨーロッパ旅だけで終わらせなくて。

ヨーロッパをざっくり一周してみて、「世界が違っても(英語が通じるという前提ありきで)分かり合える!」という非常に楽観的な印象を抱いていた。

じゃあ、距離的に近いし同じ「アジア」の国々も見てみたい。そんな興味関心から今回の旅行をすることに決めた。大正解だったと思う。

普段は当然同じ母語を持つ人、共通の言語を持つ人とばかり関わる訳だけど、それがいかに普通じゃないか。そのありがたみを改めて噛み締められる、良い経験をさせてもらってる。

「チェンマイ→ルアンパバーン」夜行バスのメンバー。俺以外全員フランスのトゥールーズ出身!家族+カップル。家族のお父さんはリスニングは完璧で話すのも結構いける。お母さんも少し話せるけど、お父さんの助けを借りながらのコミュニケーション。子どもたち2人は、ちょっと単語がわかるくらい。若いカップルは英語で仕事もしていたみたいで普通に英語バッチリ。フランス語で気分よく話せるところを俺に合わせてもらって本当にありがとう。仕事のこと、旅をしている時の時間の過ごし方、そして子どもたちの話など、たくさんの良い話ができた。前回、トゥールーズは通り過ぎてしまったので、次行くときは絶対に寄る。また会いましょう。

みんな、とっても優しいから俺も

そして、言語が全然違ってろくにコミュニケーションが成立しないのがわかっていても、自分のことを仲間たちの輪の中に快く入れてくれる地元の人たちの優しさと美しさは、やっぱり旅の醍醐味なのかも知れない。俺も日本に来ている旅行者には今まで以上に優しくしたいと思った。

人生で初めて韓国のソウルに行って、電波が繋がらない状況で山の頂上からの帰りのバスの乗り方を教えてくれたソウル大学生4人組はいまだに鮮明に覚えている。その帰り道、明日一緒に晩飯行くか?という話になって、口約束だし冗談か?と思いながらも、待ち合わせの時間と場所まで設定していたので、行ってみたら、同じ4人がいて、晩御飯を一緒に食べた。奢ってくれた。彼らとは、Instagramでいまだに連絡を取れる。素敵だ。

別にここまでしなくて良いかも知れないけれど、旅先の日本で自分と関わった人には良い思いをして帰ってもらいたいと思う。話のスケールが大きくなったけど、割とガチで。

「チェンマイからラオス国境」までのバンの中でのメンバー。このカップルは男性がドイツとスペインのハーフ。女性がドイツとタイのハーフ。男性はアーティスト(DJ, プロデューサー)で、女性は大企業でたくさんコミュニケーションを取るポジションを10年以上経験して、次は自分のビジネスを始めて、彼の作品ともコラボさせていくらしい。楽しみ。香港で男性がプロデュースする音楽イベントがあるらしくて、そのついでに東京に来てくれる。絶対に会うと約束した。時間を見つけて彼が送ってくれたトラックも聞いてみなきゃ!

そういえば、なんでラオス?

今回の旅行は実はタイのバンコクからスタートして、タイ北部のチェンマイに行き、今はラオスのルアンパバーンに来ている。なんでなんだろう。友達(バックパッカーのたくや)が東南アジア一周をした時に、ラオスのルアンパバーンが一番気に入ったと言っていたのがきっかけかな。

俺にとっての人生で初めて友人と行った海外旅行先は、タイのバンコクだった。全然違った食文化とか、景色(原付の数を含めて)に感銘を受けたのを覚えている。2018年だった。

でも、当時の自分が楽しいと思ったのは、今の自分の価値観とはちょっと違った内容。お土産屋さんとかをウロウロし、旅行客が溢れたナイトマーケットで買い食いし、有名どころの寺院をいくつかみたりした。限られた日程だったのもあって、ローカルの人の暮らしについては全然知ることなく終わってしまった。

それが、今振り返るとなんだか勿体無い気がした。せっかく行くんだし、現地の人たちがどのように毎日を過ごしているのかを見て、色々考えて、気づくことに俺は価値を感じるから。だから、今回はリベンジでもある。

さいごに

色々書いた、すっきりした。なんか、辛いことを書くはずだったけど、振り返ってみるとやっぱり美しい出会いとか経験をとても贅沢にしている自分に気づいた。コミュニケーションが上手くいかなくて、心が折れそうになるときもあるけど、やっぱり旅っておもろい。まだ2月20日の帰国までは時間がある、残りも目一杯満喫してくる。でも、今回に関しては、カルチャーショックとか、コミュニケーションの大きな壁とかでかなりエネルギーが削れている感じがする。ゆっくり昇華させたい。だから、一旦就職も近いことだし、地元札幌に戻って家族や友人との穏やかな時間を楽しもうと思う。

3月14日には引っ越し。新天地での生活が始まる。信じられない。でも、まあ大学生になるときも同じような心境だった。また今回もきっと大丈夫。なるようになるし、きっと上手くいく。というか上手く行かせる。


最後まで読んでくださってありがとうございます!また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋


僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。