留学・休学→国際寮スタッフとしての経験①〜人間関係とコミュニケーション〜
なんで国際寮?
仲良したちが住んでいた
留学の前から、自分は留学生支援の学生団体をやっていて仲良くなった友達が国際寮住んでいて、自分はこの大学の国際寮に割と頻繁に遊びに行っていた。そのときには国際寮のスタッフ(Resident Mentor、略してRMと呼ばれる)の友達も何人かいた。遊びに行って卓球をしたり、料理をたまにしたり、ただリビングで酒を飲んだり、色々と楽しい思い出がいっぱいだ。
そんな訳で、自分は留学後に国際寮で今度は自分がスタッフとして暮らしてみようと思った。ちなみに、この国際寮に日本人学部生として入る手段としてはRMになる以外ない。こんなにも色んな国から、違った年齢の人たちが集まって同じ屋根の下暮らすだなんて、またとない貴重な経験だ。
実家が札幌、大学は京都
それ以外にも、この国際寮で暮らすことを選んだ理由がある。留学(2021〜2022年)に行く前に地元が札幌の僕は、京都で一人暮らしをしていた部屋を空け払っていた。だから、留学とその直後の半年間の休学を終えて、京都に戻る際には拠点がない状況だったのだ。家具をまた買い足したりするのはアホらしいので、最初からシェアハウスか寮で暮らそうと考えていた。
本当に自分は恵まれていて、親に至れり尽くせりの大学生活を送らせてもらっている。本当にありがたい。それもあって、RMとして働きながら寮費の減額を受けられるというのも非常に魅力的だった。少しは自分の中で勝手に感じてしまっている「負い目」のような感情を和らげることが出来る。(※この負い目についての話はこちらで似たようなことを書いているので是非👇)
留学先での経験から
まだ国際寮で暮らしてみたかった理由がある。それは、留学先のアメリカで自分がRA(Resident Assistant)たちにたくさんお世話になったからだ。困ったときはいつもデスクに誰かが常駐しているので、気軽に聞ける。彼らは給与を貰っているから、人の時間を自分のことに関する質問で奪ってしまう罪悪感を感じる必要も無かった。非常にありがたかった。いくらバイトではとは言え、誠心誠意対応してくれて、嬉しかった。そして、デスクで雑談をするだけの関係に留まらず、時間を合わせて一緒に学校の食堂でご飯を食べるようなRAの友達も出来た。1人で留学先に飛び込んだ自分からすると、ただ仕事だから助けてくれるだけじゃなくて、友達として僕のことを助けてくれる存在がいるということが、どこまでもありがたかった。
そんな経験があったから、自分はかなりつよい思いを持って自分の大学の国際寮のRMを志望した。(※アメリカと僕の日本の大学では寮のスタッフの呼び方が何故か違う。RAとRM。アメリカの発想をパクっているのは間違いないが、なぜ名前を変えたのだろうか笑)まあ、そんなことは置いておいて、ここまでが、留学+休学後に半年間、国際寮のスタッフとして働きながら暮らしてみた理由だ。
国際寮スタッフ:学び
前置きが非常に長くなってしまったが、結論から言うととても多くのことを学んだ。特に人間関係とコミュニケーションに関してだ。1番最初、入寮した直後はアメリカに留学に行った際と全く同じ感覚だった。誰も知り合いがいない環境に、1人で果敢に飛び込んでいくイメージだ。寮生は多国籍で、英語半分、日本語半分といった感じだが、仕事仲間であるRMは基本日本人なので、言語的なハードルがあるわけではなかった。英語は留学1年を経験しても、四六時中使うとなると頭が疲弊してしまうから助かった笑
敬語文化が苦手
ただ、ここで面白いのが「僕は新入りRMなのに、周りのRMたちと比べると比較的歳上」という事実だった。同い年が1人。歳上が1人。残りの12人は歳下。みんなはじめましてなのに、いきなり年齢だけで「やすさん」とほとんどのメンバーから呼ばれる。敬語は個人的にはとても苦手だから、「敬語なしで頼む!」と皆に伝えた。だが、まだ関係値も全然ない状態でタメ口を使ってくれるメンバーは少なかった。歳下の仲間目線では、良いと言われても本当にそれで良いのかよくわからない状況だったと予想する。気持ちはとってもよくわかるのだが、自分は良いと言われたら良いんだ、という解釈で歳上にでもすぐ敬語を使うのを辞めてしまうタイプだ。それぐらい敬語が苦手な自分としては、なんだか気まずい。
敬語文化、本当に苦手だ。なんで年齢だけで上下関係が勝手に付いてしまうのかが全くわからない。その考え方と「こっちが新入りだから…」という思いが相まって、他のRMの仲間たちに敬意を示すためにも自分が敬語を使っていたこともあった。こういう時の正解を本当に教えて欲しい。コミュニケーションは大好きだけど、難しい。敬語を使っている限りは、どうも本質的に仲良くなるのが難しい気がしている。一線を画されているというか。親友に向かってちょっと馬鹿にするようなことを言うけれど、それを敬語で言ってもニュアンスは同じじゃない。もしかしたら、自分が気にしすぎているだけなのかも知れないけれど。
特殊な出会い
まあ、そんなわけで自分的にはお世辞にも居心地は良くない環境から始まったRMとしての寮生活だった。そして、個人的に難しいなぁと感じていたのが一緒に寮関連の仕事をするRMのメンバーとの出会い方が超特殊だという部分だ。仕事仲間であり、友達でもあり、同じ屋根の下暮らしている。こんな状況、人生で初めてだし、多くの人は一生経験することが無いはずだ。最初はかなーり気まずかった。だが、どうせ一緒に何かを頑張るなら、それぞれの仲間の人となり・属性を知った上で仲良くしたい。だからみんなのことを深く知りたかった。ただ、それを実現するには半年という期間は少し短かったように思う。自分に卒業論文の事などで余裕がなかったのも、もちろんある。それに加えて、色々な他の要素も重なって、この2023年春はメンタルで苦しんでいた。思うように自分でもアクセルが踏めなくてすごく歯がゆい思いをした。
しかし、その中でも自分は性格上、出来る限りのことはやっていた。みんな忙しいから、RMとしての役割に注げるエネルギーとか時間には大なり小なりバラつきがある。モチベーションだってバラバラだ。それでも、より良い関係性を築きたかった。どうせ一緒にやるなら楽しくやりたい。そのためには、関係性は必須だと信じていた。関係性があれば、お互い腹を割って話せる。その方が議論するにしても、盛り上がる。そのためにも、こちらのことはなるべくオープンに。でも、自分のこの「良い関係性前提で一緒に頑張りたい」という価値観の押し付けにはならないように。そんなことを考えていた。
だが、自分のこのような価値観をベースにして、完璧に満足が行くようにRMの仕事をやるのは、今考えると普通に厳しい。自分にとってよくない完璧主義な傾向が出ている。そもそも、仕事とプライベートを完全に分離する考え方も、仕事とプライベートの線引きを曖昧に捉える考え方もあるこの社会で、自分は「届かない美しすぎる理想」(仕事・プライベートの両面での良い関係性をRM14人で築き上げる)に向かって頑張り過ぎて、勝手に消耗していた気がする。自分の中での「こうあって欲しい」が強すぎて、それと現実のギャップに苦しむパターンだ。ゼロヒャクで仲良くするかしないか、じゃなくていい塩梅で仲良くするという選択肢を持っておきたいと感じた。
恵まれすぎていた「関係性」
今までは、もうすでにずっと積み上げてきた友達との関係性ありきで、しかも比較的少人数でしか、話し合いもプロジェクトもやったことがなかった。今までそういった経験を自分がした学生団体では、思ったことを全部言えるし、気遣いもそれほどしなくて良い環境の方が多かった。何かアイデアがあってそれを形にしようとしても、気心知れた少人数(4人程)のメンバーとの協力だったので、なんでもスムーズに進むしストレスが少なかった。これは、よく考えると普通じゃない。感謝。
バイト先は「簡単」な理由
自分が経験してきた複数種類のバイトとなると、また話は違う。バイトなんて、言ってしまえば関係性のあまりない職場の仲間たちと一緒にやっていた。それなのに、上手く成立していたのには理由があったと思う。それは、「何をどのようにやるか」がマニュアルや店長からの教育といった形で明確に定められていたからだ。だから、深い関係性がなくとも、最低限の役割を果たしているだけで、勝手に回ってくれる。
漠然としているのは難しい
だが、今回のRMに関しては、大人数の初めましてのメンバーと、マニュアルもないまま「国際寮をより良くする+寮生をサポートする」といった漠然としたゴールに向かってみんなで出来ることをやるという環境だった。不確定要素が多すぎること、そして大人数で何か決め事をするのがどうやら自分は苦手なようだ。このある意味で「無法地帯」な感じに関しては、また書きたいと思う。
「当たり前」のありがたみ
今まで当たり前だと思っていたが、少人数のすでに関係性が出来ているメンバーとなにかに向かって全力で活動出来ることはありがたいことだ。(自分のパターンでいくと、留学生支援団体でのイベント企画など)そして、同じことをやるのでも、気心知れた仲間とやるのと、初めましてのメンバーでやるのは全く違う。
そして、バイトではやるべきことを考えたり決断しなくても、極端に言えば思考停止のままでも動けてしまうくらいのマニュアル化が既に誰かによってされていることのありがたみに気付いた。もうすでに色々と決められていて、考えなくて良い環境なのかそうじゃないのかで、必要なエネルギーは全然違う。
そんな当たり前そうで、当たり前じゃないことに気付くことが出来た。
最後に
約1時間、3300文字。最近は書くのが好きなのですが、どこまで書いても満足できないタイプの凝り性な自分は、放っておくとずっと書き続けてしまって楽しいけれど、すごく疲れるんです。だから、最近はこうして時間を設定して書くようにしています。決められた時間の中でも、書くからこその学びがあって、面白かったです!(書き終えてから、まだ書きたくなってちょっと付け足していたらまた4100文字になってしまっていました、今度こそやめます笑)
最後まで読んでくださってありがとうございます!また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋
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