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作家として活動しております八代博道(やしろ ひろみち)と申します。 わたしの作品を読ん…

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作家として活動しております八代博道(やしろ ひろみち)と申します。 わたしの作品を読んでくださった方々全員の心がなごみ、生きるっていいな、楽しいことだな、と思ってくださることを願っています。 昭和28年8月22日生まれ(@東京都) 専修大学文学部英米文学科卒 埼玉県所沢市在住

最近の記事

(一話紹介)パンプキン博士とチキン氏

ロバート·スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』は、ジキル博士が自分の発明した薬を飲んだことにより、二重人格の人になってしまったことでよく知られていますが、その陰で、パンプキンという名の博士も二重人格になれる薬を研究していました。 パンプキン博士は、まれに見る親日家で、日本人が大好きで、日本語や日本の文化に精通している日本人的な博士で、自称「かぼちゃ博士」と言っていました。 パンプキン博士は、頭がかぼちゃのように中身がぎっしり詰まっていて、記憶力がすばらしく、抜群に頭のい

    • 自己紹介パート12(高校教師時代ーいじめは絶対に許さない④ いじめは単なる校則違反とは性質が異なるもの)

      いじめは、人として卑劣な行為と言動の最たるものです。 いじめられた者はどれだけ傷つくか、計り知れません。いじめられた者は、死を選ぶことさえあるのです。 だから、絶対に許してはいけません。 単なる校則違反等とは、根本的に性質の異なるものです。 頭髪や服装が校則に違反しているとか、遅刻をする、掃除をサボる生徒を指導することより、 いじめをすることがどんなにいけないことか指導することの方が、遥かに大切なことだと思います。 よって、私は、いじめ防止のための指導に、一番力を入れていまし

      • 自己紹介パート11(高校教師時代ーいじめは絶対に許さない③ 身体を張っていじめをやめさせる)

        クラス内でいじめられていたB君は、部活動などもしていなかったため、学校の中で逃げ場がなかったように見受けられました。 私は、B君が身に付けている上着やズボンが、毎日ではありませんが、よく汚れていることに気付きました。 何度かB君に理由を尋ねましたが、B君は、いじめられているとは答えませんでした。 それなら、現場を押さえるしかないと思い、私 は、B君がいじめられているところを狙っていました。 そうしたら、幸か不幸か、B君がプロレス技のように投げられているところを目撃しました

        • 自己紹介パート10(高校教師時代ーいじめは絶対に許さない② 拒否する練習)

          私が5年目に受け持ったクラスでは、話し合いでは、済まないことがありました。 その年、私はクラス内で、二人の生徒(仮に、A君、B君とします。)がいじめられていたことに気付きました。 二人とも他人から自分の意に沿わないことを言われたり、されたりした際に拒否できない性格だったので、拒否できるようになるためには、どのようにしたら良いか考え、A君には以下のように拒否する練習をさせました。 私「なあA、俺が奴等だと思って、嫌なものは嫌と、言ってごらん。」 A君「はい」 私「ふざけるん

        (一話紹介)パンプキン博士とチキン氏

        • 自己紹介パート12(高校教師時代ーいじめは絶対に許さない④ いじめは単なる校則違反とは性質が異なるもの)

        • 自己紹介パート11(高校教師時代ーいじめは絶対に許さない③ 身体を張っていじめをやめさせる)

        • 自己紹介パート10(高校教師時代ーいじめは絶対に許さない② 拒否する練習)

          (一話紹介)忠犬番長

          30年程前、西郷宙太という口髭がよく似合う、初老の紳土がいました。 その紳士は電車通勤をしていたので、平日は、朝、番犬と夫人と一緒に駅まで歩いて行き、駅に着くと、紳士は番犬の頭と顔を撫でて、「行って来るな」と言うと、番犬は一声「ワン」と挨拶し紳士が駅に入って行くと、悲しい声でもう一度「ワン」と吠え、主人が見えなくなると、夫人と一緒に帰り、主人の帰宅時間が近くなると、しっぽを振りながら、夫人と一緒に駅に迎えに行くのが、日課でした。 紳士の家で飼っている犬の種類は、純粋な土佐犬で

          (一話紹介)忠犬番長

          自己紹介パート9(高校教師時代ーいじめは絶対に許さない①)

          私は、昭和54年にU学院高校の英語科教諭に着任し、初年度からクラス担任を務めることになりました。 最初の4年間は、必ずしも、クラス運営が上手くいってた訳ではありませんし、クラスの生徒の中には、問題を起こす生徒や非協力的な生徒もいました。 でも、私が全力でぶつかれば、生徒も理解してくれていました(理解してくれていたと思います。)。 いじめをする生徒がいても、その生徒と、きちんと話しをすることによって反省を促し、心を改めてもらえましたので、私のクラスには、他者をいじめるような、性

          自己紹介パート9(高校教師時代ーいじめは絶対に許さない①)

          自己紹介パート8(レイモンドさんとの思い出)

          私は、平成3年8月に、レイモンドさんと一緒にオーストラリアを旅行しました。その時には、今思い出しても笑える出来事がありました。 レイモンドさんと二人で、シドニーのサーキュラーキー駅からオペラハウス方向に向かい、ちょうどオペラハウスの前に差し掛かった時、オペラハウスの前に、若い女性(女子大生か、社会人なりたてか?)のグループがいました。 そのうちの一人がカメラを手に持ち、誰かに写真を撮って貰いたそうにしている様子でした。 以下、レイモンドさんと私のやりとりです。 レイ『あの子

          自己紹介パート8(レイモンドさんとの思い出)

          自己紹介パート7(イギリス人の友だちレイモンド氏)

          私は、昭和58年の8月にオーストラリアを旅行した時に、イギリス人(イングランドのウォリック(Warwick)在住)の男性と知り合い、友だちになりました。 彼の名は、レイモンド氏といいます(私は、レイと呼んでいます。)。 レイモンドさんは、その時、世界旅行の途中でした。 私とレイモンドさんは、お互いに、シドニー郊外のペナントヒルズ(確か電車で一時間半くらいの所)駅近くにあるコアラパークからの帰りで、帰りの電車を待っている時に知り合い、以来交友が続いています。 レイモンドさんと

          自己紹介パート7(イギリス人の友だちレイモンド氏)

          (一話紹介)ここ掘れニャー

          昔、たろべえという名の爺さんが、タマという名の猫を飼っていました。 ある日の朝、たろべえ爺さんが、タマをリードでつないで散歩をしていた時のことでした。 タマがたろべえ爺さんが手にしていたリードを振り払い、川沿いに咲いている桜の並木の方に走って行きました。 八分咲きほどの桜が多い中で、一本だけ、六分咲きの桜の木がありました。 タマは、その六分咲きの木の下で止まりました。 後を追いかけ、やっと追い着いたたろべえ爺さんに向かって、タマは、「ここ掘れニャー」と言いました。 たろべえ爺

          (一話紹介)ここ掘れニャー

          自己紹介パート6(趣味は旅行)

          私は旅行が好きです。 国内旅行をする時は、現地の市役所等の観光課に電話を掛けたり、パンフレットを取り寄せるなどして、訪問地のことを研究します。 出来れば、ガイドブックに書かれてない所や、現地の人だけが知っている所を訪れたいと思っています。 海外旅行をする時は、ある時を境に、宿泊施設は、その国に着いてから、自分で予約するようになりました(こだわり)。 ちなみに、私は、筋金入りの晴れ男です。 昭和51年の2月に、大学の卒業旅行で、友だちと伊豆大島に行ったのですが、 出発の前日ま

          自己紹介パート6(趣味は旅行)

          自己紹介パート5(健康面・背椎菅狭窄症、胸椎椎体破裂骨折、リハビリ)

          私は、平成29年に、脊柱菅狭窄症の手術を受け、2か月近く入院していました。 その後、平成30年に、第10胸椎椎体破裂骨折をしました。 破裂骨折の原因は、起立性貧血で倒れた時に、椎体が、どこかにぶつかって潰れたのではないかと思うのですが、気がついたら、トイレで頭からひっくり返っており、その瞬間の記憶はありません。 起き上がり、トイレから出ると、体が揺れているように感じました。 その後は、時間が経つとともに、下半身が、股関節より下が麻痺してきて、歩くことも、立ち上がることすらも

          自己紹介パート5(健康面・背椎菅狭窄症、胸椎椎体破裂骨折、リハビリ)

          自己紹介パート4(健康面・前立腺肥大、腎盂炎、水腎症、自己導尿について)

          私は、平成17年頃から既に前立腺肥大になっていたのに、騙し騙し過ごしていました。 平成21年頃にはPSA値がかなり高くなり、平成22年頃には腎盂炎、次に水腎症になりました。 前立腺肥大になると、おしっこが出にくくなるため、腎盂炎や水腎症の原因になるとのことで、以後、自己導尿を始めました。 自己導尿というのは、自分で尿管にカテーテルを入れ、一日に朝1回、昼少なくとも2回、晩1回、おしっこを強制排出させるという作業です。 カテーテルの消毒が完璧でなかったのか、または、朝晩は

          自己紹介パート4(健康面・前立腺肥大、腎盂炎、水腎症、自己導尿について)

          (一話紹介)桃を拾った洗濯婆さん

          昔々、ある所に、お爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。 お婆さんがいつもの所で洗濯をしていると、川上から大きな大きなとても大きな桃が流れてきました。お婆さんは、その桃を持ち帰って、お爺さんと食べようと思い、腰が抜けるほど力いっぱい桃を拾い上げました。 「これは、一ヵ月は食べられるぞ」とお婆さんは思いました。 お婆さんは、洗濯を続けようと思いました。 洗濯を始めると、川上から、今度は大きな大根が流れて来ました。 「これは大根

          (一話紹介)桃を拾った洗濯婆さん

          自己紹介パート3(健康面・線維筋痛症関連)

          私は、平成19年1月18日に線維筋痛症を発症しました。線維筋痛症は、耐え難い痛みが全身に広がる病気ですが、硬膜外ブロック注射で痛みを対処し、人前では、出来る限り痛くない振りをしていました。 平成25年には、神経線維腫症1型(特定疾患・指定難病)を発症し、この神経線維腫症が元で脊柱側弯症になり、さらに脊柱菅狭窄症になりました。 平成29年には、脊柱菅狭窄症の手術をし約2か月間入院しました。 現在、私の背骨は前後にも左右にも湾曲しており、かがむことができないし、歩くのにも時間が

          自己紹介パート3(健康面・線維筋痛症関連)

          (一話紹介)二千年前のうさぎと亀

          うさぎと亀が山の麓まで競走した話の言い伝えは、よく知られていますが、実はそれより二千年前にも、うさぎと亀は競走しました。 よく鶴は千年、亀は万年と言われますが、当時は獣医さんもいなかったので、十年生きれば超長生きと言われていました。 その二千年前の競走は、「五合目達成」という札を持って、山の登山口からピクニックコースを走り、五合目の山小屋で「五合目達成」のスタンプを押してもらい、登山口に戻ってくるものでした。 スタートは、鶏のコケコッコーで切られ、うさぎは勢いよく走り出し、

          (一話紹介)二千年前のうさぎと亀

          自己紹介パート2(就職・結婚・辞職・離婚)

          大学は、留年することなく卒業しましたが、その後、紆余曲折を経て、昭和54年に旧浦和市内にあるU学院高校の英語科教諭になりました。 しかし、そこでも紆余曲折があり、平成2年3月に辞表を叩きつけて、U学院高校を辞職してしまいました。 この件については、改めて書きたいと思います。 私は、U学院高校の教諭をしていた頃に結婚し、同高校を辞職した後に長男が生まれましたが、長男が1歳9か月の時からシングルファザーとなりました。 もし、辞職前に息子が生まれていたら、どんなに理不尽なことがあ

          自己紹介パート2(就職・結婚・辞職・離婚)