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映画 苦役列車 2012年 考察とレビュー

自分が大学生活の終わりを迎える頃、西村賢太が「苦役列車」で芥川賞を受賞した。

目の上に異様な瘤がある、1mmも清潔感のないきったないオッサンが受賞のインタビューで「そろそろ風俗に行こうかな」とブラウン管の中で発言していたのはかなり当時センセーショナルだったし、中卒で日雇い労働の生活を長らく続けていたり、実の父が性犯罪者だったり、生い立ちがハードコアなのもあり、即書店にこの小説を買いに行ったのを覚えている。


当時の私の読後の感想としては、巷に溢れていた「救いようのない話」という紋切り型のレビューがやや陳腐と言うか、表層的な角度でしか苦役列車という作品を解釈できていないな、と感じた。


この作品は妬み嫉みの感情表現の豊かさと、他人への罵倒のレトリックの異常な豊富さ、そして自分を徹底的に醜く書くという自己嫌悪の昇華に面白みがあると自分は感じたからだ。


原作に関する前置きが長くなった。映画版苦役列車についての感想/考察を述べていく。


良かった点:昭和の東京下町感がまあまあ上手く出せている

昭和の東京感と言っても私は昭和のリアルを実際知らない訳だが、そんな自分にも当時の、昭和末期のバブル時代の東京の上野や日雇い現場のバイブスがビビッドに伝わる演出だったのはよかった。

マキタスポーツという役者が演じる高橋や、終盤で貫多と殴り合いになるチンピラなんかはビートたけしの作品的にも通じる、昭和の下町スラム感があってよかった。

また、前田敦子演じる法政出身の苦学生康子。
前田敦子の聖子ちゃんカット風のヘアスタイルと本人の顔立ちからにじみ出る昭和アイドル感が本作の80年代中盤の世界観とマッチしていてよかったと思う。

悪かった点:ラストを邦画独特の"いい話"にちんまりまとめようとしているところ

高橋という、主人公貫多の人足仲間である、歌手を目指している夢追い人の冴えないオッサンがいる。

このオッサンは物語中盤でフォークリフトの転倒事故に巻き込まれ、片足の指を数本飛ばし不具者になる。

日雇いで労災も出ず妻子もいる身であり、途方に暮れ、物語からは退場する。
私の十数年前の原作を読んでの記憶が正しければそうだったはずだ。

だが、本作の映画版だとこの退場したはずのオッサンがラスト間近で新人アーティストだかなんだかとしてテレビに出ている。

居酒屋のTVで偶然それを見た貫多はTVにくぎ付けになる。
高橋が出ている歌番組のチャンネルを変えようとするチンピラと貫多はチャンネル争いになり、ボコボコにされてパンツ一丁にされ夜明けを迎えた貫多はおんぼろアパートに戻り机に向かい執筆を始める・・・

という観るものに希望を感じさせるラストになっている。

映画としてはこちらのほうが正しい選択ではあると思う。

ただ、原作者西村の意図とはかなり外れていると思うし、私個人としてはこれはナンセンスな終わり方であると感じる。


高橋のオッサンは、あの後不具者になって浮上することはなく妻にも三行半を突きつけられて無様に野垂れ死んだと思うし、西村のような境遇にいる人間がその後報われることはほぼないだろう。

西村賢太自体、藤澤清造に関する洞察、知識量、投下したリソース諸々、そして小説に投げうった努力の質と量は中卒とは到底思えないレベルのものだ。

大学時代西村賢太について調べていくうちにゾッとしたことがある。

これだけ一つの物事(私小説)に十数年もの長い期間無我夢中で打ち込んでもライフステージにおいてその涙ぐましい努力が報われるのはこんなに遅いのかと。希望?あれが希望ならばむしろ大半の凡人にとっては希望なんかないだろうと。

おそらく西村も似たようなことを思ったところはあるのかとは思う。

実際、新潮にて、本作の山下監督との対談で映画版苦役列車をケチョンケチョンにこき下ろして対談なのに一触即発になっている。

令和の現在とは異なる弱者男性像

北町貫多は当時の基準でも今でも大半の日本人からは弱者男性と位置付けられる男性だとは思う。

ただ、いわゆる「令和の弱者男性像」と北町貫多は相いれないと思う。

令和のステロタイプな弱者男性像と言えば、アニメアイコンでvtuberや美少女アニメを貪って、ジャンクフードをひたすら食うようにただクソみたいなコンテンツを消費することに徹する。彼らから貫多のように何かを創作しようとしたり世間様や社会に対して反骨心(陳腐な表現で申し訳ないが他に言葉が浮かばない)を滾らせたり、女性にしつこく食い下がったり、チンピラと殴り合うなどという貫多のようなテストステロンの高さやリビドーはあまり感じない。

彼らのやることと言えばせいぜいわか〇手や白饅〇や暇〇茜といったネット論客のアンチフェミツイートで溜飲を下げるのが関の山と言ったところか。

辻村美月の傲慢と善良になぞらえて言うならば令和の弱者男性は悪い意味で「善良」すぎるのだ。

映画のレビューは以上になる。
この映画をきっかけに西村賢太の小説をもう一度しっかり読んでみたいと思った。

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