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多様性への接続回路~日本酒 燗酒の世界

日本酒の味わいは繊細なもので、同じ日本酒でも酒器の素材や形状、酒器に注いだ後の空気に触れる時間、合わせる食事の内容などで変化する。特に燗付け(日本酒を温めること)による味わいの変化は顕著で、お酒の味が物理的に変化するというよりは、むしろ飲む人の感じ方が大きく変わる。

鍋にお湯を沸かし、ちろりに注いだ日本酒を湯煎で温める。日本酒から立ち上る香りの変化に神経を集中させる。温度を上げながら段階的に行う利き酒での味わいの変化に感覚を研ぎ澄ます。

温めることで前面に出てくる酸味は強過ぎないか、甘さは適切か、立ち上るアルコールの香り、それがもたらすボリューム感は重くないか、全体のバランス感はどうか、何よりそのお酒の特性は消えていないか。

それらの要素に全神経を集中させながら、立ち上る香りの変化を見極め、ここだ!というタイミングで素早くちろりを鍋から引上げ、ボウルに用意しておいた氷水で急冷、その後再び湯煎で温度を上げていく。

口に含んでみると、冷やして飲んだときとは違う顔がそこにある。温めないと見れなかった顔に出会えたことに、その魅力を引き出せたことにほっと安堵する。造り手の情熱に、飲み手が「手間ひま」という名の敬意を持って丁寧に頂くのが燗酒。日本酒と真剣に向き合う、ぼくなりの楽しみ方だ。

例えば最近、大阪を代表する銘柄『秋鹿』の生酒を燗にしてみた。生酒のフレッシュさを感じるために一般的には冷やして飲むのがセオリー。

そんなセオリー通りに冷やして飲んだ味わいは以下の通り分厚く綺麗な酸味がとても素敵。一方、冷やした時に酸味を特徴に持つお酒は丁寧に造られた証拠だというのがぼくの持論で、燗付けしたくなる。そこに造り手の情熱を感じ取るからだ。冷やせと言われたら余計に温めてみたくなる。

<冷やして飲んだ味わい>入口はリンゴや瓜を思わせる爽やかな香りに、乳酸のクリーミーさと米麹の甘い香りが重なる。口に含むと、分厚い酸味がそのまま旨みの厚さとなって口の中で重なっていく。フレッシュなアルコールのボリューム感と、ドライめなキリッと感のバランスが素晴らしい。酸味の厚さが独特の個性。

家族が寝静まった真夜中、キッチンに1人立ち、日本酒を温める作業に自分の全てを捧げる。今回も最適な温度が見つかりますように。「お酒の神さま、今宵もどうか降りてきてください」なんて祈りながら深呼吸を一つ。ちろりに注いだ日本酒の温度を上げていく。

温度計で確認しつつ5℃刻みで香りを確かめていく。35℃あたりから酸味の厚さが大きく広がりを見せ、40℃を超えると酸味の広がりと平行してアルコールの香りが漂ってくる。45℃あたりから酸味とアルコール感の調和と共に、引き締まり感のある香りになる。酸味とアルコール感が丁度50℃あたりでピタリとバランスを取った感覚があり、さらにほのかにお米の甘みの香りが漂ってきた。ここだ!

利き酒をする。事前の香りから感じた通り、酸味とアルコール感の絶妙なバランス感の上に優しいお米の甘さが広がりを見せる。これは美味しい。

冷やして飲んだときには表に出てこなかったお米の甘さ。綺麗で豊かな酸味の広がりとアルコールの絶妙なバランス感が、そのお米の甘さを演出する。このお酒が50℃付近で見せる、その美しい顔を捉えることができた。

いや、正確にはぼくの感じ方が変わったのだ。温度を上げる過程で香りや味わいの推移という極めて主観的な世界に、自分の感覚を頼りに深く潜り込んで行ったことで、この『秋鹿』生酒とぼくとの関係性が変化した。結果、お米の甘さという美しい顔が「見えた」。そう、それは元々そこにいたものだ。

日本酒には、蔵元さんや酒屋さんが発信する推奨温度帯があり、今回のお酒では冷やして飲むことを推奨される。しかし、推奨温度帯とは無難に美味しさを感じ取れる温度帯のことであり、その日本酒の全体像を現すものではない。
無難な推奨温度帯では見ることのできない、別の美しい顔を自分の感覚を頼りに探しにいく。それが醍醐味だと思っている。そのためには自分の楽しみの世界に浸ること、自分の感性を頼りに深く潜ること。その先に世界との関係性の変化が現れる。

世界との関係性の変化の先に見えるもの。それは多様性だ。

自分の楽しみの世界に、自分の感性を頼りに深く潜ると多様性への接続回路が姿を見せる。世界は多様だという、貴重な当たり前と接続される。

「推奨温度帯」にある分厚い酸味やフレッシュさ、アルコールのボリューム感だけではなく、優しいお米の甘さが広がりを見せている。なんだ、こんなに美しい顔があったんだ。
もしかすると、まだ表に顔を出していない苦味や渋みもあるのかも知れない。それは、楽しみの世界にもう少し深く、あるいは別の角度から潜れば見えるのかも知れないな。

世界は多様だ。
燗酒は、そんな多様な世界への接続回路をぼくに見せてくれる。

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