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らせん状に流れる日々。

生活サイクルを丁寧に回せば人は「成長」する、というのはどうやら本当の話らしい。しかも年齢は問わない。ただ、そのサイクルを回すにあたっては自分の感覚を信頼してやる必要がある。

2年ほど前から趣味で筋トレを継続している。ジムでの筋トレ愛好家との話題はもっぱら「負荷」についてだ。どのような種目を、何セットぐらい、どんな順番でメニューを組むのが筋肉の発達にとって最適かといった話題が大半だ。効果的な負荷のかけ方を教えあう時間は、筋トレの楽しみの一つでもある。

だが、筋肉にきっちりと負荷を与えてやることで、当初は順調に成長してた筋肉も、徐々にその成長スピードに陰りを見せ、今年の春先にはほぼ成長を実感できなくなっていた。

負荷だけではダメなことをはっきりと教えられたきっかけは、筋肉の成長がほぼ止まったかに思えた矢先に発令された緊急事態宣言だった。その影響でジムが2ヶ月ほど完全閉鎖となり、時々近所を散歩する以外は完全な休養期間となった。

ジム再開後、まずは軽い重量で試した結果、想像以上に筋肉に強い刺激が入って驚いた。「休養する」ということが、一種の負荷=刺激になることに気付いた。休養期間そのものが、逆に負荷の意義を高めたのだ。

休養の重要性を知ったぼくは、「一部位あたり週2回のトレーニングが最も効率的に筋肉を発達させる」という筋トレ界のセオリーを捨て、自分の身体が発する声にきちんと耳を傾け、疲れを感じたときにはジムへ行かず早めに寝ることにした。それまではセオリーに沿って週4日~5日だった筋トレの頻度は今では週3日程度になったが、十分な休養をはさんでの筋トレは、これまでにない新鮮な刺激を与えてくれた。

結果、筋肉は面白いように成長している。

筋トレ(負荷)→栄養摂取→休養→筋トレ。身体の感覚を信頼して、休みたいときにはたっぷり休みながら、このサイクルを丁寧に回せば年齢に関係なく肉体は成長していく。


新型コロナの席巻により、この春先からぼくの生活は一変した。海外営業という仕事柄、月に平均1〜2回は海外出張をしていたが、海外渡航の規制により従来の海外出張は国をまたいでのweb会議に取って代わり、今では在宅勤務を含めて、日常の総移動距離は圧倒的に短くなった。まとまった休みによく行った海外旅行は、今では近場でのキャンプや近所での自然観察を楽しむ日常に取って代わった。

先日、小学生の娘と家の近所を自転車で「散歩」した。今住んでいるのは一通りの生活インフラが整った、決して不便な場所ではないけれど、同時に豊かな自然の残る場所で、玄関からは海が見えるし、ベランダからは雄大な山々を眺めることができる。少し車を走らせば大自然の渓流も楽しめる。

娘との自転車「散歩」では、元々見えていたはずが見えていなかった、「足元」の美しさをいくつも発見した。収獲間近で豊かに実る稲穂、その脇に真っ赤な姿で外に外に花を広げる彼岸花。そして、足元に落ちていたグラデーション豊かな落ち葉の色合いは、一様ではない自然の美しさと時間経過のもらたす豊かさをシンプルに表現していた。

すると、ぼくが子供時代を過ごしたど田舎の風景と匂いを思い出した。娘との自転車「散歩」で楽しんだ自然の風景はぼくが子供時代を過ごした田舎の風景と酷似していて、だけど、今回娘と一緒に嗅いだ稲と土の匂いは子供時代のそれよりもさらに濃さを増していて、彼岸花の真っ赤さは子供時代に目にしたそれよりもさらに赤みを増していた。

自分の子供時代を過ごした田舎の原風景に戻ってきた気がした。でも、それは物理的にも精神的にも、そして比喩的にも同じ場所ではない。どちらも似た風景を持つ自然ながら、今回戻ってきたのは、もう少し上の、時間経過によって少し成熟した場所だ。

ぼくは今、子供時代と同じように自然と接するリアルな感覚を取り戻しながらも、元いた場所とは少し違うところで自然と接していることに気付いた。

これまでの海外駐在や出張で世界の色んなところをぐるっと回って果てしない移動距離を経て、足元に、元いる場所に戻ってきた。しかも少し位相を変えて、少し上の場所に。海外業務での、他では得がたい刺激や苦労や葛藤や充実、そんな経験の全てが自分の中に落ちて、染み込んで、固有の時間によってゆっくりと発酵した結果、少し位相を上げたところにぼくを戻してくれた、そんな気がした。

今は在宅勤務で、仕事の合間に簡単な料理や掃除や洗濯をしながら日々を送っている。家事とは途方もない「繰り返し」であり、作っては片付け、汚れては洗い、また整える、そんな終わりのないサイクルだ。でも、そんな終わりのない単調な生活サイクルの中で子供は着実に成長していくように、日々のサイクルは「足元」を味わうことの堅実な意味と充実感を与えてくれる。

退屈で単調な繰り返しに見えるサイクルを丁寧に回していく限り、日常のサイクルは日々同じ場所に戻っているように見えつつ、実は元いた場所からは少し違う、らせん状にほんの少しだけ上がった場所に連れて行ってくれる。

それはちょうど、自分の感覚を信頼して丁寧に生活サイクルを回すことが着実に肉体を成長させるように。子供時代よりも自然の匂いがその濃さを増すように。

自分の感覚を信頼して、丁寧に日常を過ごす。そうすれば、退屈で単調に見える日々が、ほんとうは成長のプロセスそのものなんだと気付く。

日々は、らせん状に流れている。

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