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母の日がコンプレックスで嫌だった小学校と中学校の頃の泣きそうな思い出話

もうすぐ母の日がやって来ます。
ラジコでもその話題を耳にするけど
今日のnote散歩でも母の日の記事が。

母の日といえば、その日がくるのが嫌で
友達の輪から遠ざかっていた頃を思い出す。

まだ昭和の頃なので、男の子たちは
母の日の話題を持ち出すなんてことは
なかった時代の話。

でも、女の子たちの中では
その母の日が流行りのようになっていて
話題になることが増えていったのです。

1歳半で母を亡くして、父親の手と
近所のオバさんたちに育てられた私は
母のいない現実を突きつけられる日だった。

だから、母の日の話題は聞きたくない。
そんな風に嫌っていた日だった。

運動会のときも、家族揃って輪になって
手の込んだ行楽弁当や少しだけ贅沢な
お惣菜を広げて談笑しながら食べる姿が
母のいない我が身を痛感させられる。

父が持たしてくれた折箱弁当の中身は
近所の仕出し魚屋で買ってきて詰め込んだ
カマボコとさつま揚げの練りもの。

同級生に見つからないようにと
誰もいない体育館の裏に座って
周りを気にしながら食べた記憶がある。

小学校の入学式の記念写真には
仕事に出かけた父の写真の代わりに
手を引いて同行してくれたオバさんの姿が。

でも、母親が赤ん坊のときに亡くなり
ご近所の優しさと思いやりに育てられ
この身に感受性を授けてもらえたのだろう。

高校を卒業して社会人になったときから
ハンディキャップなんかではなく
自分に授けられた優待券だと気がついた。

それ以来、ご近所のオバさんたちや
父や亡くなった母や、そのご先祖さまに
素直に感謝できるように改心した。

社会人になってからは
人に負けないで出世するのだと
強い決意で仕事に向き合えたのも
母がいなかったから。

郷土に錦を飾るという言葉があるけど
まさに、育ててくれたオバさんたちに
立派になったと、誉めて欲しかっただけ。

あれだけ誉めて欲しかった人たちは
次々に鬼籍に入り、もう誰もいない。

会社を立ち上げ、経営者になってから
故郷に帰省したときに初めて気がついた。

ただ、誉めて欲しかったのだと。
オバさんや父親に、誉めて欲しかったのだと。

お墓参りでお寺さんの納骨堂に行くたびに
オバさんたちのところを一回りして
元気でいる報告をするのがお決まりのこと。

note散歩で出会ったイトカズさんの記事に
そんな母の日にまつわるあれこれを
思い出してしまった。


コンプレックスは、エネルギーになる!


ってことで、今回は
母の日がコンプレックスで嫌だった小学校と中学校の頃の泣きそうな思い出話」という子どもの頃のコンプレックスについての話でした。😓
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。


では!

母の日に  思いを寄せて  のほほんと


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