付け焼き刃で格好付けるとすぐに化けの皮が剥がれて恥をかくという2つの事例

こんにちは、やらぽんです^^ 
今日はひとつ、思い出話の中からタイトルに書いたように付け焼き刃で格好付けるとすぐに化けの皮が剥がれて恥をかく、という2つの事例を紹介して皆さんのお役に立ちたいと思います。

どうか同じようなことをしでかして、赤っ恥をかく機会を少しでも減らしてもらえば嬉しいです。( ´艸`)

ではまず、2つの事例の中の1つ目からいきましょうか。(^_^)b

あれは私が高校生の頃のエピソードですが、私の郷里・鹿児島には当時2つのデパートがあって、そのデパートの屋上で出くわした出来事なんですよ。

2つのデパートのうち、山形屋というデパートが老舗で大きい規模の百貨店で、県内ではナンバーワンのポジションだったんですね。

もう一つのデパートは、高島屋という名の2番手か3番手の・・・と、ここまで書いてきて思い出しました。

鹿児島にはもう一つ丸屋デパートっていうのが在ったんでしたわ・・・。(^_^;)

なので、正確には鹿児島に3つのデパートがあった、ということになるのでここで修正しておきますね、書いたものを書き直すのもめんどうなので。


で、ですね、付け焼き刃で格好付けるとすぐに化けの皮が剥がれて恥をかくっていう出来事の舞台になったのが、先に挙げた2番手(2番手と3番手の規模は甲乙付けがたいので書いちゃった順で)のデパートの屋上でした。


今でもそうかもしれないけど当時のデパートの屋上と言えば、10円玉を投入すると数分間だけギコギコ・ゴトゴトと動く仕掛けの、お子様向けの遊具が何種類かあるだけのお子様ランドみたいな場所だったんですよね。

高校生だった私たちグループの目当ては、屋上の片隅にある自動販売機の甘ったるいコーヒーでした。

自動販売機といっても、数種類しかメニューの無い紙コップで出て来るコーヒーで、都会風の飲み物ということに憧れてわざわざ飲みに立ち寄ったんですよ。

当時のデパートの屋上に設置してあった自動販売機の横には、オレンジジュースが吹き上がって環流している、透明な金魚鉢を逆さにしたような容器が頭に乗っかっている、ジュース専用の自動販売機があるだけのコーナーね。

そのコーナーは屋上への出入り口近くにあって、自動販売機を利用する客のために円形のテーブルが2卓と、椅子がそれぞれ5脚か6脚くらいあったと思うのですよ。

私たちが目当てのコーヒーを買って空いていたほうのテーブルに着くと、隣のテーブルに座っていた上品な若奥様風の女性がニッコリと微笑んできたんですよ。(^^ゞ

私たち高校生はその微笑みに戸惑い耳まで真っ赤にして「オイ(俺)に笑ったぞ」「いんや、お前じゃなかろ、オイじゃったよ」などと、隣の女性に聞こえているのに肘でコヅキアイして騒いでいたんですね。

私たちの視線を浴びながらも、その若奥様風の上品そうな女性は片腕の肘をテーブルに付けて、アゴを指先に乗せると遠くを見やってときおり微笑むじゃありませんか。

女性の視線の先をとらえた私たちにも、彼女のお子さんらしい幼児が時間切れで動かなくなった乗り物にまたがって、ひとりで身体を揺すって遊ぶ姿が目に入りました。

その子どもの服装もお洒落に着飾っていてもんだから、私たちは羨望のまなざしで囁き交わしたんですよ。

「やっぱ違うね、市内の良かとこの奥さんと子どもじゃろね」「育ちが違うとるのが分かるね」「奥さんも上品やもんねぇ」「良かとこの人は違う」

などと4人で語ってました。

その声が聞こえなかったはずも無く、まるで聞こえていないかのように聞き流していた若奥様は、我が子を呼びました。

「○○ちゃ~ん♡ ママのところに、いらっしゃ~~い♡」

若奥様風の女性が呼びかける声に反応して、小さなお子さんが駆け戻ってきました。

そして、テーブルに駆け寄ったそのお子さんがママに聞きました。

「ママ~~、とうちゃんは、どこ行ったの?」
「えッ! ・・・なに・・・」

と絶句するママを横目に見て、事態を把握するまで数秒かかった私たちも目が点に・・・。

「・・・とうちゃん?

すかさずそのママは

「○○ちゃん!パパのところに行こうか・・・」

そう言って小さな我が子の手を取って、そそくさと屋上から出て行く若奥様風の上品そうな女性は、なりふりかまわず一目散でパパこと「とうちゃん」のもとへと向かったのでありました。

彼女がそそくさといなくなってから、当然だけど私たちは大爆笑いたしました。ヾ(^v^)k

「なんだよ、おんなじ田舎もんじゃったよ」「よそ行き言葉がバレてしもうたね」「ボロが出ッしもうたわ」「ママ~~とうちゃんは、だってよ」

えぇ・・・今なら他人の失敗を笑うようなことはしないのだけど、この時の爆笑で涙を流したことは、その後の人生でもしっかり教訓になったのです。

見栄張って鹿児島市内に出かけてきた、若奥様風の上品そうに気取った女性は、我が子にママと呼ばせる練習はしたものの、目の前にいないとうちゃんのことを、パパと呼ばせる練習までは思い至らなかったんだろうと思う。


さて、皆さんはこんなドジは踏まないだろうし、時代が時代だから今どきの話とは受け止め方も違うと思うけど、根底にあるモノは変わらないと思うんですよね。

身の丈に合った「あるがまま」を恥ずかしがる必要なんて無いのですよ。
恥ずかしいのは「あるがまま」より、良く見せようという見栄張りの心を持つことや、外聞や外見的な評価を気にする弱さにまみれることですよね。


田舎もんでも、いいじゃないですか!
貧乏したって、いいじゃないですか!
肩書きなんか、無くてもいいじゃないですか!

良くないのは、田舎もんや貧乏や肩書きを、卑屈に思う我が心のありよう。


堂々と開き直って、あるがままを受入れればいいことですよね。
卑屈に思うのでは無く、これが私の個性なのだと開き直ることですね。

そうすれば、田舎もんも立派なキャラクターになるわけだし、貧乏だって貴重な体験になるわけだし、肩書きを超越して人間的な魅力の本質が見えてくるようにもなると思うのよね。

決して卑屈にならずに、自分をもっと大事にしてあげましょう。
なんといっても唯一無二の存在なんですから・・・あなたは。


ってことで、ここまで書いたら長くなっちゃいましたね。

なので、今回は時間が無くなったので
付け焼き刃で格好付けるとすぐに化けの皮が剥がれて恥をかくという2つの事例」の1つ目の話で終わろうと思います。

残りの1つをお楽しみに。

では!

見栄張らず  素直に生きて  のほほんと。



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