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『破邪の門~HAJAーNOーMON』マーシャルバトル!☆ツルギとミツル 第1話

 夏も終わり、めっきり冷え込みを感じる夜遅く。人通りの絶えた商店街のアーケードを、楽しそうに語り合って歩く制服姿のカップルがいた。

 彼のほうは170㎝くらいの身長で、一見すると中肉中背にみえる。幼い顔の割には、上着のシルエットの胸板が、ぶ厚い。少しだらしなく着たブレザーにデイパックを背負い、飲みかけドリンクを収納ポケットに詰め込んでいる。

「いやぁ~遅くなっちゃったよ。もう、こんな時間なんだぁ」立ち止まってアーケードの支柱に設置されたデジタル時計の表示を見上げて、隣で同じように時計を見上げた女の子に語りかけた。
「どうするミツル?タクシーで帰ろうか」ポニーテールを高い位置で結んだ彼女は
「ダメよ。そんなに遠くないから、近道して帰ればいいよ。行くよッ」そう言うと彼の手首を掴み、引っ張りながらサッサと歩き出した。

 ブレザーにチェック柄。膝上までの短めスカートに、肩からショルダーバッグを斜めがけした彼女は、御劔学園みつるぎがくえん中等部に通う薬丸ミツルである。
 先に立って歩き出したミツルに引っ張られて、しぶしぶついて行くのはミツルの従兄弟いとことして育った、同級生の東郷ツルギであった。

 ーーこの物語の主人公である二人は、本人たちにも知らされずに従兄弟いとことして育っている。だが、実は双子の兄妹なのだ。ツルギがこの事実を知るのは数日後に行われる立志の儀式りっしのぎしきの場である。一族の大事な決め事として、大人の仲間入りをする立志の儀式を済ませるまで、ツルギ本人にもまだ明かされていない。

 ツルギとミツルの出生に隠された謎は、明治の頃から継承されてきた彼らの一族に託されたある密命が深く関わっている。もちろんこの時点ではその密命のことも、自分たちの体に隠された能力のことも、出生に関する事実も知るはずもなかった。

 これから始まるのはツルギとミツルの一族に託された重大な密命を果たすための一族のバトルと、主人公たちの成長物語。
 邪悪な組織「エビル」の陰謀と闘い、破壊活動を阻止し、国家の平和と安全と平穏のために一族に伝わる武門の術を駆使し、ツルギとミツルがマーシャルファイターとして活躍する。

 正義の闘いに挑むツルギとそれを支えるミツル。その家族や仲間たちとの果てしない破邪の闘いの幕が開く。ーー


 デイパックを背負ったツルギとポニーテールのミツル。この二人は学園の文化祭で発表する自由研究の取材に、遠出した帰りである。
 ツルギは濃紺のヘアバンドに長めの髪を後ろで結び、決して今風のセンスではないようだ。それに比べると、ミツルはアイドルでも通用するスタイルとキュートさを持っている。

 最寄り駅から街灯に照らされたアーケードを抜けてるとすぐ、大きな広い芝生公園がある。その公園の入り口から斜めに公園を突っ切ると、公園を迂回する道よりちょっとだけだが時間も距離も短縮できるのだ。

 突っ切った公園の向こう側には何本もの道路が縦横に交差しており、古くからの住宅が建ち並ぶ。その整然と区画された道路を何度か交互に右折と左折を繰り返して進むと、二人が帰る自宅と学園方面へのショートカットになる。

 二人とも学園の敷地に住まいが隣接しているので、学園への通学は徒歩1分で済む。今日のように最寄り駅を使うときだけ、公園を斜めに突っ切るようにして、近道ルートを帰るのだ。

 ただその古くからの住宅地の道路は、交差している場所に防犯灯の明かりがあるだけで、足もとが暗い場所も多い。女性の一人歩きには少し物騒なところもあるが、若い二人はさほど怖がる様子を見せずに歩いて行く。

 だが公園の中ほどに来ると、ミツルは引っ張っていたツルギの手を離し、彼の後ろに隠れるようにして、背中を押して
「こっからは、ツルギが先に行って」やっぱり暗い公園も、暗い夜道も恐いのだろう。ツルギの袖を掴むと、後ろに従う様子である。

 二人は公園を抜けた後、いつものようにショートカットの近道を歩いて帰るようだ。

 公園の防犯灯に照らされた樹木が風に揺らぎ、黒い影が地面を這い回る。
 薄暗い公園に立ち並ぶ樹木の影や、公衆トイレの建物が作り出す暗闇を気にしながら、ミツルが不安なのかしきりに話しかけてくる。
 そんなミツルの不安そうな様子を知り、わざとツルギは脅かした。
「おッ! あれ、なんだ?ミツルぅ、何かいるぞぉ」そう言ってミツルを振り返ると、ミツルは
「きゃぁ~ッ」と悲鳴を上げるや、ツルギにしがみついてきた。

「ウソうそ、そんなの~いるわけないよ。行くよ、ミツル」走り出したツルギを
「待ってよ~ツルギぃ、もうッ」プンプンに怒っている。斜めがけのバッグが腰の辺りで跳ね飛ぶのもかまわずに、遅れまいと必死で後を追って行く。

 住宅地をジグザグに抜けると、片側二車線の大通りに出る。大通りの横断歩道を渡った交差点の向こう側で、ツルギが待っていてくれた。

 そこへハァハァと息を切らしながら、ミツルが走ってきた。歩行者用の信号機の支柱につかまって息を整えてから
「ツルギッ! 許さないからね」ツルギが待つ向こう側に向かって、青信号の横断歩道を駆け出した。
 そのときだった。公園脇の道路から、黒いワゴン車がミツルを狙ったかのように急旋回して飛び出してきたのだ。
 運転席以外の窓を黒いフィルムで隠した車が、スピードを緩めずにタイヤを軋ませて走ってきて、強引に左折したのだ。

 キ、キ、キキぃぃ~~~ッと車のタイヤがスリップする音。その瞬間、ツルギの叫び声とミツルの悲鳴が、同時に響いた。
「ああッ! あぶないッ」
「きゃッ」
 大きく進路をはみ出して左折した車の、ドアミラー付近がミツルにぶつかった。ボコンッという音が響いた瞬間、ミツルが弾き飛ばされて、ドサッと道路に転がってしまったのだ。

「ああぁッ! ミツルぅッ! だいじょうぶかッ」叫ぶやツルギは、道路の真ん中で倒れているミツルに向かって、一目散に駆け出していた。

 黒いワゴン車はミツルに接触直後に少しだけスピードを緩めた。が、運転席の男はツルギが駆け寄って来るのを目にすると「チッ!」と舌打ちするように顔を歪め、停車するどころか、そのまま車を加速させて逃げるようにその場を走り去って行った。

「くっそぉ、ひき逃げだッ! だいじょうぶかミツルッ」当てた車のナンバーを読み取ろうにも、道路に倒れたまま動かないミツルが気になる。
 車を振り返った時にはナンバーが読めない距離に逃げられていた。交差点の街灯の照明ではナンバーを読み取ることはできなかっただろう。目撃する時間も足りず車との距離も遠かった。

 それでもミツルを気にしながら、遠ざかる車のブレーキランプが大通りの2つ目の交差点を右折したのを、ツルギは見逃さなかった。

「ミツルぅぅ・・・・・・」心配そうに覗き込むツルギに
「あぁ・・・・・・びっくりした」やっと声をあげ、肘を突いて起き上がり「イタいッ」右腕をかばう。そのまま横座りの格好で座って痛がっている。
 ミツルの制服の肘の辺りがすり切れて少し破れていた。どうやら肘をすりむいているようだ。

 道路に座り込んだままのミツルの両肩を掴み、ツルギが大丈夫かと声をかける
「うん、なんとか。だいじょうぶ」ミツルがゆっくり立ち上がる。
 通過する車の人たちが、そんな二人の横を徐行しながら何事が起こったのかという表情で通りすぎる。

 立ち上がって身体のあちこちを動かして、怪我がないことを確認したミツルは、服のホコリをはたき落とすと
「肘のカスリ傷だけで済んだみたい。えへ」そう言って笑顔をみせた。
「もう~心配させんなよ、心臓が止まりそう」斜めがけしたミツルのバッグが、外れかかっているのを戻してやる。
「このバッグで助かったな」ツルギはポンポンとバッグを叩き「これがクッションになったんだよ。きっとそうだ」一人で納得したように頷いている。

「そうだ、ミツル、当て逃げした車は、あの先の交差点を右折したよ」車が右折した交差点を指さして悔しがる。
「えッ、そうなんだ。あっちに逃げたんだ」
「うん、逃がしちゃマズイと思ったけど、ミツルをほっとけないから追いかけなかった、ごめん」申し訳なさそうなツルギの肩を、ポンッとたたき
「どうせ追っかけても、車じゃ追いつけないよ。」と慰める。

「でも、ちくしょう、悔しいな。歩けるか?なら、これから追っかけよう」
「もう遠くに逃げちゃったよ。きっと」
 あきらめ顔のミツルだったが、どうせ帰り道の方角だから、とりあえず行ってみようよと、ツルギはミツルの腕を取り歩き始めた。

「でも、ホントに危なかったよ」
「ほんと、危機一髪だったもんね」恐い思いをした後の安堵感からか、何度も同じことを語る二人。
 そうやって路上駐車の車や、住宅の前に駐車された車をチェックして急ぎ足で探索する二人の姿が、夜道に影を落とす。

 追跡開始から、30分ほども探し回った頃。
 車が走って行った方角におおよその見当をつけながら、逃げ去った黒い車を探し求めて夜道をしばらく探索していた。

 逃げ去った車を発見できずにずいぶん遠くまで来てしまった二人が、そろそろ帰ろうかとあきらめ顔で語り合い、人気のなくなった街はずれの道路をトボトボと歩いている。

「やっぱり、逃げちゃったみたい」がっかりした様子のミツルの腕を、ツルギが突然、左手で掴んだ。
「おぃ、ミツルッ! あれッ」ツルギが右手で指さす先に視線を向けると、森のように生い茂った樹木に囲まれた大きな総合病院の建物の陰に、逃げ去った車らしき黒っぽい車が、薄闇の中でうづくまるように停車しているのが目に入った。

 広い敷地の彼方に、薄暗い照明の明かりを受けた黒いワゴン車が停められている。それが、ここからも見て取れる。

 病院の広大な敷地に近づきながら
「うん、あの車みたいだ」何度か頷きながらそう話すツルギに
「どうだろ、私は見てなかったもん」
「あの車かどうか、ミツルにぶつかった傷跡を調べようよ」
「じゃ、近くに行ってみるの」心配そうに尋ねるミツル。
 自分だけで調べてくるからミツルはここにいろ、そう命じると、ツルギは病院の敷地内に入り込んだ。低く刈り揃えられた植栽と樹木の陰に隠れて、少しずつ車に近づいて行った。

 当て逃げ犯らしき車が停車していたのは大きな総合病院の駐車場だった。赤十字マークが表示された救急搬入口の照明がある。もっと近くに接近すれば、車の傷を調べることはできそうだ。

 誰かが周囲にいるかも知れないので、ツルギは慎重に近づいて行く。

 迂闊うかつに近づきすぎて、もし車の中に人が乗っていたら見つかっちゃうな。用心しながら、車の傷跡が確認できる場所まで移動しよう。そう考えて駐車場を囲むように植えられた樹木と、腰の高さの植栽に隠れて進む。
 ところどころに置かれたベンチの陰にも姿を隠し、車が停車してある近くまで這い寄って来て、向こう側へ回り込もうとした。そのときだった。

 突然、救急搬入口のドアが開いた。中から男が出てくると、片手でドアを押し開けたまま車に向かって、来いという仕草で合図する。すると、車のドアが開いて中からぞろぞろと、黒ずくめの男たちが降りてきた。

 数えてみると、全部で6人。ドアを開けて待つ1人を加えると、合計7人の男たちがいる。

 当て逃げしてから、ずいぶん時間が経っているのに、今まで何をしていたんだろう?そんな疑問を抱きながら、男たちの様子をうかがっていた。すると
「医師の手が空いたぞ。始めるぞ」ドアから顔を出した男の声。

 その声を合図に、2人だけを残して残りの5人は建物の中に入っていく。どうやら担当する医師が忙しくて今まで待たされたってことか? ラッキーだったな・・・・・・

 ツルギはミツルが気になり、何度もミツルが隠れている辺りを振り返る。そのたびにそっと手を挙げて、ボールを床にドリブルするように手の平を上下に動かすと、そのまま隠れていろと無言の指示を出す。

 車の前で手持ち無沙汰の様子の男たち2人は、仲間が消えたドアに視線を注いでいた。時々警戒するように周囲を見回すので、ツルギは簡単に近づくことができずにいた。

 すると間もなく裏口のドアが開き、建物の中に消えた男たちが、空のストレッチャーを押して出てきたのだ。それも2台である。

 車の後部ドアを開けると4人がかりで1つずつ、人を中に収納したような袋を無言でストレッチャーに載せ換えているではないか。

 2台のストレッチャーにその袋を1つずつ載せ換え終えると、5人の男たちはそのままストレッチャーを押して、病院の建物の中に入って行った。

 薄暗い病院の裏口で行われてることが、いったいどういうことなのか。その不可解な行動と怪しい男たちの人相風体にも、ツルギは首を捻っている。
 そこへ
「へへ、来ちゃった」そうささやくと、ミツルがツルギにぴったり身体を密着させてきた。
「もう、隠れていろって、言ったのにぃ」
「しぃぃ~~」指を口に当てて「だって人が出入りしているの、見えたんだもん。気になるよ」車のほうをうかがうようにしてミツルが言い訳する。

 ちょうどそのときドアが開き、出てきた男たちの先頭の男が
「予定通りだと、あと1時間もすれば目を覚ますだろう。それまで、ここで待機する」
「了解ッ」口々に男たちがそう応えて、車に乗り込もうとした。そのとき。

カコンッ! と、闇夜に音が、響いた。

 さっと、音のした方を振り向いて「誰だッ! そこにいるのはッ」一人がそう言うや、一斉に男たちがツルギとミツルが隠れているほうへと、駆け寄ってきた。

「しまった! 見つかったよ」
「うわぁ~どうしよ、ツルギ。蹴飛ばしちゃった、空き缶」泣きべそかきながら「どうしよ、どうしよ」とつぶやき脅えるミツルの手を握り
「大丈夫、だいじょうぶ、オレがなんとかするから」と小声で囁き、必死で考えを巡らす。

 走り寄って植栽の陰に潜んでいる二人の姿を発見すると
「おい、囲め、逃がすんじゃないぞ」
「了解ッ」男たちが近づく前に、ツルギはミツルの手を引くと後ろに下がり男たちとの距離をとる。

 植栽の影に潜む二人を目指して、男たちがじりじりと包囲を縮めてきた。

「こいつら、絶対に悪い事を企んでるな。このまま捕まってたまるか」
「うん、ぜったいに悪人だよ、みんな悪そう顔だもん」ツルギとミツルは、顔を見合わせて頷き合う。

「おやおや、可愛いお嬢さんも一緒じゃないか」
「デートの真っ最中なんて、見え透いた言い訳はムダだ。あきらめろ」
 男たちは不適な笑いで余裕の表情だ。

「おい。こいつら、さっき、ぶつかった奴らじゃん」という声に
「そうか。後をつけて来やがったんだな」
「おい、小僧! いつから見ていた」そう言い寄った男に
「バカヤロウ、いつからだろうが関係ないッ。見られたからには、そのまま帰せるかッ」リーダーらしき男が「二人とも捕まえて一緒に連れて行け。声が出せないように猿ぐつわを噛ませろ」睨みつけてそう命令する。
 その声を合図に、男たちはツルギとミツルに襲いかかる気配を見せたのだ。

「ミツル、オレの手を絶対に離すなよ」すかさずそう言ってツルギが差し出した左手をしっかりと掴み、ミツルは深呼吸をした。

 二人を一気に捕まえようと一斉に襲いかかるつもりだった男たちは、ツルギが身構えた姿をみて、踏み込む一歩手前で立ち止まる。

 中腰で後ろにミツルをかばい、男たちを睨みながら、少しずつ体勢を低くして、右手と右足を前に出し身構えたツルギ。ツルギは敵の攻撃に備え、右半身の姿勢で手刀受けの構えを取った。

「小僧がッ! 闘うつもりかよ」ツルギが身構えたのを見て、男が仲間に注意を呼びかける。
「おもしろい、ふふん、少し痛めつけてから、ふんじばれ」そう言うと自信たっぷりに、頭を左右に振って首をコキコキと鳴らしてから、ゆっくりと右足を踏み出してきた。
 そして、そのまま大きく角度を付けた左足の回し蹴りを、蹴り下ろす軌道でツルギの前足側の右膝を狙ってきた。びゅんッと、風を切って鋭い蹴りが食い込んだ。

 危ないッ!ミツルが思わず、目を閉じた。

ーー話は3時間ほど前に遡る。ある刑務所の中ーー

 両腕を腰の後ろに組んで窓際に立ち、窓から見える月を見上げたままで、制服姿の男が、後ろに控える男につぶやくような声で尋ねた。
「今夜は何人だ」そう尋ねた男は、この刑務所の所長である。

 その後ろ姿に向かって
「今夜運び出すのは、2人となっております」と、部下らしき男が、左手に持ったファイルを確認してから応えると
「そうか、手はずは終えてあるのか」と振り返って問うと、部下は気をつけの姿勢で背筋を伸ばして応えた。
「はっ! すでに医師が薬物注射を済ませております」そのあとに「検死の担当医師も待機中です」と続けると「あとは所長の決済印を頂ければ、搬出するだけになっております」ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。この人物は、この刑務所の副所長である。

 笑みを浮かべたのは、所長も同じであったが、その表情には憂いが感じられた。
「よし、段取りが済んだら、すぐに搬出しろ。誰にも知られないように厳重に注意することを忘れるな」そう言って人差し指を立てると、所長は自分のデスクに向かい椅子に深くかけると、ため息を吐き出しながら言った。
「これでまた、相当稼げたな、君は」そう言って足を机の上に投げ出すと、両手を腹の上で組み目を閉じた。

 所長の言葉に
「いえ。私の取り分は、ほんの少しです。半分は所長の裏口座に入金するよう、いつものように手配しておきました」そう応えて卑屈な笑いを浮かべたままで所長からの褒め言葉を期待したのだが、所長は彼の言葉を聞いても無言である。しばらくすると、目を開いて言った。

「もうそろそろ、終りにしなけりゃなるまい」顎をなでながら、副所長の期待に応えるどころか、厳しい表情のまま蔑むような目で副所長を見やったあとすぐに、彼の目から視線を外したのである。それもさりげなく。

「君も、もうじゅうぶん稼いだだろう、あまり欲張ると足がつく。それが恐いわけじゃないが、今度で最後にしろ」そう命じたあとに、座っている椅子を回転させると窓から月を見上げて「何事も欲張ると、ろくなことが無いからな」そう独り言のようにつぶやいた。

 その所長の言葉に驚くと
「し、所長、それは危ないです。そんなことを言い出すと、始末されるのがオチですよ」焦る副所長が、所長の机に手をつき説得する。

「すぐ終わりにするのは、危険です、所長」と、所長に考えを改めるよう試みるが、所長は首を横に何度も小さく振ったあと
「このまま続けると、もっと危ないことに、気づけないのか君は」と机に両手をつき身を乗り出し副所長の顔を睨む。副所長もここは譲れないとばかりに必死の形相で睨み合う。

 所長と副所長、それに数人の刑務官を巻き込んだ悪事の片棒を担ぎ続ける事の危険性は、双方とも理解はしていた。だがその引き際の難しさを物語る対立であった。

 所長の机を挟み睨み合う二人の均衡きんこうを破るように、突然、ドアがノックされた。

コン、コンッ!

「入ってよい」ノックにそう応えた所長の机から、素早く机の脇に移動した副所長も、所長と一緒に開けられたドアを見た。入室してきたのはまだ若い刑務官である。

「さきほど死亡状態に陥り、医師の死亡診断書が揃いました」気をつけの姿勢で敬礼の後に報告を済ますと、2枚の種類を所長に手渡して
「ご苦労だった」と頷く所長に一礼すると、きびきびした動作で退室した。

「君が続けようとしている事は、彼ら前途ある若い刑務官の将来まで理不尽に奪うことになりかねん」強い語調でそう言う。
「さあ書類に捺印するからすぐに取りかかってくれ」引出しから印鑑を取り出すと、書類にザッと目を通して捺印した。
 そしてその2枚の種類を、机の脇に立ち尽くしている副所長に突きつける。

 胸元に突きつけられた2枚の書類を、緩慢な動作で受け取ると、所長の顔をジッと見つめたままで、こう震える声で尋ねた。
「本当に、これを、最後になさるおつもりですか」
「そのつもりだ。君には申し訳ないが、そう伝えてくれ」
「知りませんよ、私は。どうなっても」怯えた表情で所長の目を覗き込んだまま動かない。

「覚悟するしか、あるまい。今ならまだ、なんとかなるさ」誰に言うともなく独り言のようにつぶやき目を閉じた所長に、副所長が思い切って告げた。

「申し訳ないですが、私は他の勤務地に転属希望を出します。もちろん今後はもっと話のわかる所長の下で働きます。同志である所長の勤務地に転属申請を致します。よろしいですね」そう念押しする。

 目を閉じたままでいる所長の返事も待たず
「どうぞ、交通事故に、お気をつけてください」そう捨てゼリフを言い放つと、所長室のドアを乱暴に開け閉めして退室して行った。

 青ざめた顔で退室していった副所長は、もはや所長を上司と敬ってはいなかった。
 所長は目を閉じていても、それに気づいただろう。副所長が退室すると目を開けるとそのまま椅子を回した。そうやって窓から見える寒々とした月を見上げていたが、やがてまた目を閉じた。所長の顔は苦悶の表情で歪んでいた。

 彼らの悪事というのは、エビルの指示で、凶悪犯の受刑者を偽装死させて邪悪な組織エビルの工作員に仕立てる陰謀に加担し、賄賂を受け取るというものだった。

 時をおかずに暗い刑務所の建物の陰になる通用口に向かい、副所長を先頭に3人の刑務官たちがストレッチャーを運んでいる。ストレッチャーに乗せられているのは収納袋に入れられた、人を思わせる輪郭の物体である。

 通用口から外に出ると、そこに停車している白いライトバンの後部荷室を開ける。副所長を除いた2人の刑務官が、ストレッチャーからその袋を移し替える作業を始めた。
 その作業が終わると、刑務官たちは無言のまま空のストレッチャーを押して建物の通用口から刑務所の中に消えた。

 しばらくしてまた同じ手順で、ストレッチャーに乗せられた袋をもう1つ移し替えると、空のストレッチャーとともに3人は建物に戻った。

 すぐに副所長を除いた2人がまた出てくると、ひとりが運転席に乗りもうひとりが後部荷室のドアを閉めてから助手席に乗り込む。先に運転席に乗り込んでいた男と頷き合い
「じゃあ行くか」
「検問に引っかかるなよ。安全運転でな」男たちの車が、静かに動き出した。

 やがて白い車が到着したのは終業時間をとっくに過ぎた火葬場の、建物の裏手にある職員用駐車場。そこにはすでに1台の黒いワゴン車が停められている。
 刑務所から到着した車がその駐車場に停車すると、黒いワゴン車から7人の男たちが降りてきた。

 そのうちの一人が
「手はず通りで間違いないな」と声をかけると
「すべて、計画通りで進んでいる」と白い車の助手席の男が、右手の親指を立てて見せた。白い車の男たちは車に乗ったままである。

「よし、移しかえろ」リーダーらしき男の命令に、他の男たちが白い車から人体らしき収納袋2つを手分けして黒いワゴン車に載せかえて、代わりに白い布に包まれた骨壺が入っているらしき箱2つを、白い車に移しかえた。

 その載せかえ作業を終えたことを確認すると
「じゃ、これで任務完了だ。あとはよろしく」片手を挙げてから、白い車は火葬場から先に去って行った。

 2つの袋を乗せた黒いワゴン車が向かう先は、ツルギとミツルが目撃したあの、広大な敷地に建つ、大きな総合病院の救急搬入口である。


ーー話はここでツルギとミツルの脱出劇に戻るーー

 男がゆっくりと踏み出した瞬間から、その後に来る攻撃をツルギは予想していた。
 その大きな動作から蹴り込まれた左の回し蹴りを、素早く右足を引いてかわす。次の瞬間、繰り出した左の蹴り足を軸足に変えるや、身体を右回転させ、すかさず右の後ろ蹴りが飛んで来る。連続蹴りの攻撃がツルギを襲う。

 フェイントのような大きな蹴りの後に、連続の後ろ蹴りが襲ってくることも、ツルギはしっかり見切っていた。
 回し蹴りの後に続く連続技で、後ろ蹴りをズバッと繰り出した男の蹴り足、前方に素早く入り身してかわす。
 伸びきった男の蹴り足の膝を思いっきり右肘で打ち付けてブロック攻撃。すぐにその右腕をバネのように反転させるや、的を外した蹴りで伸びきった男の右脇腹に、強力な裏拳。手首を返してボグッと叩き込む。
 続けざまに、ツルギの右足刀蹴りみぎそくとうげりが男の軸足の左膝を、グキッという関節が壊れる音とともに容赦なく蹴り下ろし、この闘いの決着がついた。

 アッという間に1人の男が潰されて戦闘不能になった。残りはまだ6人。ツルギの目は決して怯えてもおらず、まだ輝きを失ってもいない。


【第2話へ続く】


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