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コロナ渦不染日記 #60

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十月五日(月)

 ○今朝の今朝の体温は三六・二度。

 ○台風が近づいているせいか、いまいち天気が安定しない。今週は傘が手放せなくなりそうだ。相棒の下品ラビットは、巣穴のそとの排水溝の掃除をはじめるという。「あふれさすとたいへんだからな」。

 ○たじまゆきひこ『じごくのそうべえ』を読む。

 上方落語の演目「地獄八景亡者戯[じごくばっけいもうじゃのたわむれ]」を絵本にしたものである……ということも知らず、子どものころは、面白おかしい話として、たいへん愛読していたものである。
 いま、読みかえしてみると、小気味よいリズムでくり出される関西弁のセリフは、上方落語のそれであったことがわかる。一方で、絵本にするにあたり、落語の「一回性」の演出を廃し、いつ見ても意味のわかるユニバーサルな内容になっているのも、子どもでも読みやすく、受け入れられやすいものになっている理由かと思われる。特に、サゲ(オチ)の部分のおかしみは、言葉あそびによらない、筋としての面白さで、こういうアレンジがしっかり効いているところが、メディアを移すことの意義であろうと思う。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、二〇八人(前日比-一九三人)。
 そのうち、東京は、六六人(前日比-四二人)。

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十月六日(火)

 ○日の出が遅くなったからか、起床時刻の外気が寒い。目が覚めて、羽布団にくるまりなおした。
 今朝の体温は三六・二度。

 ○夜、帰宅すると、「香港漫画店」で注文した、黄水斌『男たちの挽歌』が届いている。

 細い硬筆一本で描かれた細緻な紙面は、ただ見ているだけでも飽きないが、エモーショナルで動きのおおい原作の映像を、漫画でどう再現するか、あるいは再現せずに演出するか、といった興味も尽きない、すばらしいコミカライズである。
 ぼくの大好きな、「ひとり逃げたはずのマークが、ホーとキットの危機に駆けつけ、『どうして逃げなかった?』とホーに問われ、言葉にできない気持ちを表すブサイクな笑顔」が、完全再現されているだけで、全三巻そろえた甲斐がある。

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 また、原作の映画では、マークが数十メートル先の埠頭を撃って爆発を起こしたとき、手にしていたのがショットガンだったのが、コミカライズ版ではバズーカ砲に描きかえられており、整合性が増す方向に調整されているのもいい。

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 ○夜、持ち帰り仕事をこなしながら、映画『ニッポン無責任時代』を見る。

 作中、昼休みに社屋の屋上でバレーボールをして親交を深める、「昭和のサラリーマン」の姿は、いまとなってはまるで先史時代の神話的な光景である。そのなかで、世間のしがらみというより、それを自己に内在化して作り上げた、自縄自縛の自己批判システムから自由になり、「コツコツやるやつぁご苦労さん」とうそぶく、植木等演じる「C調サラリーマン」の姿は、もちろん当時としてもファンタジーだったのだろうけど、いまのこのいろいろな価値観が細分化された時代には、それこそギリシャ神話の半神英雄か、ヒロイックファンタジの主人公かと思われるほどである。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、五〇一人(前日比+二二一人)。
 そのうち、東京は、一七七人(前日比+一一一人)。

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十月七日(水)

 ○今朝の体温は三六・〇度。

 ○朝、仕事の準備をしていると、ニュース番組で、「テレワーク導入により、生活の拠点を東京におかずともよくなり、生活の質が向上してた例」が紹介されていた。
 いわく、「鳥取に移住したある人物は、朝八時から夕方五時までオンライン環境で仕事をし、退勤後は近くの温泉に浸かり、家賃は光熱費こみで東京時代の約半額」。
 いわく、「結婚を機に、双方の実家のある北海道に移住した女性は、家族と生活リズムを合わせることができるようになり、毎週のようにひとり暮らしの母と顔を合わせることができて、給料は東京で働いていたときのまま」。
 上記の例にウソはないだろう。しかし、どの職場でもテレワークが導入できるわけではなく、また、そうしたとして給料をはじめ、就業条件が維持、あるいが向上するとは限るまい。たいていは、テレワークの導入などない部署に働いているだろうし、導入があったとしても、ここまでうまくいっている例は少なかろう。となれば、やはりこれもある種のファンタジーであろう。

 ○テレワークといって、思い出すのは、今年の四月時点で作られていた、このフェイクCMである。

 映像制作集団「フィルムエスト」が作る、一連の「八〇年代ふう『コロナ禍関連報道』」は、クオリティが高い。

 ○帰宅し、映画『野獣死すべし』(1959)を見る。

 大藪春彦のデビュー作であり、いわゆる「ハードボイルド」に属するが、自己実現のために犯罪を行う冷徹な男を描いて、内実としては「ノワール」に近い。原作では、主人公の狂気は最後まである種の冷静さを失わないので、映画化のイメージとして人口に膾炙している、1980年の松田優作版の「追いつめられた野獣」と比べ、仲代達矢版の「冷徹な野獣」のほうが、原作に近い。

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 戦後社会の欠落から目をそらし、家畜のように暮らす人々を、欠落を抱え、見据えたまま生きて行こうとする野獣があざ笑う——というイメージは、仲代達矢のこの狂気の笑顔によく現れている。白黒のシャープな画面構成も相まって、ぼくたちはこちらの方が好みである。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、五〇七人(前日比+六人)。
 そのうち、東京は、一四二人(前日比-三五人)。


十月八日(木)

 ○いい加減、朝が寒くなってきたので、ジャケットを着て出かけることにした。
 今朝の体温は三五・九度。

 ○ぼくは、TBSラジオの『アフター6ジャンクション』を愛聴している。

 昨晩、同番組で放送された「『本気のしるし』劇場版公開直前!深田晃司監督インタビュー!!特集!」を、通勤の電車で聴いていたら、にわかに原作が気になりだした。

 Amazonで期間限定無料版が公開されていたこともあり、星里もちる『本気のしるし』を、二巻まで読む。

『本気のしるし』の作者である、星里氏は、いわゆる「ラブコメディ」の作者として知られている。『危険がウォーキング』や『りびんぐゲーム』といった初期の作品から、氏はおかしな事態に巻きこまれた男女の恋愛もようを、コメディタッチで描いてきて、その面白さに定評があった。それは、氏がキャラクターのこころの動きをドラマに反映するのがうまい作家だからである。
 コメディ(喜劇)の面白みは、ある状況と、その状況におかれたキャラクター行動、そのギャップから生み出されるものだ。だから、ある状況に対して、キャラクターが、まっとうな反応を示してはコメディにならない。かといって、その反応が、とっぴょうしもなさ過ぎては、受け入れられにくくなる。このさじ加減が肝要である以上、行動の理由となる心理の描写は、コメディに不可欠である。畢竟、心理描写の巧者でなければ、面白いコメディは作れないのである。
 ところが、チャップリンのものとして知られる、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」ということばが示すように、あるこころの動きを見て、「面白い」ととるか「不安」ととるかは、受け手と対象の距離によって決まってしまう。たとえば、主人公が、ある人の感激するようなことを言って、相手に泣かれてしまい、おろおろしているとする。それを主人公の外側から眺めていれば、いいことをしたのにおろおろしている主人公の姿は、滑稽なものと映るかもしれない。しかし、それを主人公の内側から眺めれば、自分のせいで相手を泣かしてしまい、どうしていいのかわからず、不安でいっぱいであるかもしれない。つまり、おなじ心理をどの距離から描くかで、コメディかサスペンスかは変わってしまうし、もっというと、ふたつのジャンルは、心理の描き方に面白さが依存するという点では、おなじものといえる。
 ということは、ひるがえって、コンテンツの「ジャンル」が、ある心理との距離を規定してしまうということでもある。ある心理を描く作品に、「コメディ」とジャンルが規定されていれば、受け手は「どんなことがあっても面白おかしいことになるに違いない」と、その作品を受け取る準備をする。反対に、「サスペンス」とジャンルが規定されていれば、受け手は「もしかして主人公はひどいめにあうのでは」と、その作品受け取る準備をしてしまう。
 これを、星里氏は『本気のしるし』で行ったのである。優柔不断な男と、周囲をひっかきまわさずにおかない女。この、ラブコメディによくある組み合わせが生み出す、それぞれのこころの動きと、その結果の行動を描きながら、そこに「コメディ」のジャンル規定をとっぱらうことで、濃厚なサスペンスを、もっというとノワールを生み出してしまった。まったくぞっとする、そして、ヒリヒリするような、人間の「後ろ姿」に迫る黒い物語は、気がつけば一時間の通勤時間に、単行本二巻を読み終えてしまうほどの面白さだった。

 ○しかし、ひるがえって考えてみれば、デビュー作の『危険がウォーキング』からして、「体液がニトログリセリンに類似した成分になってしまった少女」という、恐ろしい設定があったのである。コメディの体裁をとっていたからこそ、「泣き出した少女のまわりで連鎖爆発が起きる」といった異常事態も笑ってすませられただけで、これがコメディでなかったら、すさまじいことになっていたのである。


 ○本日の、全国の新規陽性者数は、六二九人(前日比+一二二人)。
 そのうち、東京は、二四八人(前日比+一〇六人)。


十月九日(金)

 ○台風十二号の接近にともない、朝からすさまじい雨。とうぜん寒さも深まり、完全にジャケットスタイルに戻った。
 今朝の体温は三五・九度。

 ○仕事が順調に進み、ほくほくして現場を出ると、別の取引先の窓口担当と、駅でばったり出会う。以前の人物と異なり、こちらは頼れる、気のいい人物である。仕事の話は避け、天気の話や気温の話、鍋の話などをして、すっきりと帰途についた。

 ○二ヶ月前に生まれた姪うさぎが、来週末に退院の予定であると、妹うさぎから連絡がある。ついては、一ヶ月ほど、うさぎ穴で子育てをすることになるとのこと。母うさぎとともに、うさぎ穴の手入れなどをする。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、六〇一人(前日比-二八人)。
 そのうち、東京は、二〇三人(前日比-四五人)。



→「#61 夢二題」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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