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コロナ渦不染日記 #59

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十月三日(土)

 ○午前中は原稿をし、午後は『そして——子連れ狼・刺客の子』を読む。

『新・子連れ狼』に続く『子連れ狼』続編第二弾にして、「大五郎サーガ」第三弾である。『新~』では、大五郎の「育ての父[ちゃン]」として、薩摩示現流の開祖・東郷重位(をモデルにした人物)がいたが、『刺客の子』ではその「ちゃン」もなく、ついに大五郎がひとりで冒険に出ることになる。
 これだけでもわくわくするが、その冒険の舞台が、「江戸城の地下に作られた迷宮」であり、その名も「弾掌[だンじょう]」とくれば、わくわくはニヤニヤに変わる。しかも、だンじょう攻略のために、「左手法」や「十フィート棒」まで登場すると、これはもうわかってやっていることは間違いない。小池一夫せせいは、やはり博学多才、希代のストーリーテラーである。
 惜しむらくは、大五郎の運命が、ようやく動きだしたところで、シリーズが途絶しているところである。しかし、彼の真の姿が「世界の平和のために冒険に出る、ヒロイック・ファンタジのヒーロー」であるとわかったからには、あるいはそこで物語が終わってもいいのかもしれない。原作『子連れ狼』は、ヒーロー・大五郎誕生をもって終わるのだから、ここでもヒーロー・大五郎の旅立ちをもって終わっても、平仄は合うはずである。なにより、そこまでが無類の面白さであった。

 ○夜、岬に新しくできた「四文屋」でイナバさんと飲む。焼きおにぎりがうまい。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、五七七人(前日比+三五人)。
 そのうち、東京は、二〇七人(前日比+一一人)。


十月四日(日)

 ○午前中は原稿をし、午後は『ルパン三世 The First』を見る。

 山崎貴監督は『ルパン三世』のファンだそうで、最初は監修的な役割で参加予定だったのが、どうしても監督をしたくて、予定を調整して監督を務められたそうである。それで、次元大介がスミス&ウェッソン・コンバットマグナムを横がまえにする絵をキメに使うのなら、単にセンスがないんじゃないかと思う。

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 お話も、『カリオストロの城』の構造を再現することに執心して、「『カリオストロの城』を作った精神」を真似ることはなく、特に中身らしいものはなかった。『ルパン三世』の劇場版としても、既存の作風をなぞるだけで、『ジュブナイル』や『リターナー』にあった、「この映画が作りたい! という情熱」も感じられず、なんでわざわざこんなことを……という印象である。

 ○個人的には、『リターナー』が好きだっただけに、近年の山崎貴監督映画の手抜きっぷりは残念である。

『マトリックス』で『ドラえもん』で『ニューヨーク東8番街の奇跡』な映画だけど、「こういう映画を作りたいんだあ!」な気迫が満ちていて、「少年」役の鈴木杏氏の魅力もあいまって、いつまでも心に残る佳作である。

 ○夜、イアン・バンクス『蜂工場』を読み終わる。

 いわゆる「小さな殺人犯」ネタなのは、最初からわかっているのだけど、イギリスの片田舎の、しかも小島に暮らす「おれ」ことフランクの一人称でつづられる世界が、灰色の閉塞感に満ちているのが独特である。映画『悪い種子』にしても、わたなべまさこ『聖ロザリンド』にしても、トマス・トライオン『悪を呼ぶ少年』にしても、基本的にこのジャンルは、「人を殺す子ども」を外側から見る。しかし、『蜂工場』は、「小さな殺人犯」を、本人の視点から語る。だから、そのこころの歪みの本質とむき合うことになる。
 頭上をどこまでも広がっていく青い空が、かえって、自分という存在のちっぽけさを感じさせる。フランクの作り上げた独自の神話体系と、その核となる「蜂工場」は、その孤独のねじ曲がった外在化であろう。そして、そういう孤独な魂は、しかし、じしんをこなごなにうち砕こうとする現実に対抗しようとして、たしかに人を殺している。おそるべき「殺人鬼」でもあることが、なんとも胸を痛ませるのである。
 作中、「おれ」は、ひとりの少女を凧につるして、海に飛ばして殺す。このシーンが、恐ろしい殺人の場面であると同時に、なんとも哀切な光景に思える。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、四〇一人(前日比-一七六人)。
 そのうち、東京は、一〇八人(前日比-八八人)。

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→「#60 未定」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/



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