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コロナ渦不染日記 #42

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八月十七日(月)

 ○仕事帰りに、いつもの動物マッサージに寄ろうとしたところで、妹うさぎからLINEで連絡がある。緊急に帝王切開手術をするとのこと。
 この夏に入ってから、調子を崩していた妹うさぎは、この日記では書いていたなかったが、第一子を妊娠中である。このまま看過すれば、母体が危うい状況になる、との診断を受けたようだ。
 動物マッサージをキャンセルし、巣穴で待機する。続々とLINEでメッセージが来るのは、迫る手術に不安だからか。夫である義兄弟うさぎは、仕事があり、急なこともあってまだ到着していないようだから、ここは兄であるぼくが受けとめるべしと思う。
「頑張ります」
「がんばれ」
 のやりとりが最後になった。

 ○二時間後、義兄弟うさぎから、
「無事生まれたそうです」
 のメールが入る。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、六四七人。
 そのうち、東京は、一六一人。東京の検査実施数は、三七〇四件。


八月十八日(火)

 ○午前中、ようやく妹うさぎからLINEで連絡が来る。母子ともに、術後に問題はないとのこと。ただ、赤ちゃんは、出産予定日まで時間を残して生まれた、いわゆる「早産」なので、しばらくは入院してもろもろの検査や調整を受けるとのこと。

 ○これを聞いて、麻生俊平「ザンヤルマの剣士」シリーズを思い出した。

 読書感想文(夏休みの宿題!)が中断している、冴木忍「〈卵王子〉カイルロッドの苦難」シリーズと並んで、九〇年代ジュブナイル小説の傑作シリーズのひとつである、このシリーズについては、いずれ詳しく述べることもあろう。
 ともかく、このシリーズでは、所持者の身体を守り、回復させる防具ともなり、エネルギー兵器ともなる〈守護神〉というアイテムが登場するが、前者の防具としての機能が「所持者の妊娠した胎児を、所持者の身体に異常をもたらす『異物』として排除してしまう」、「そのために何度妊娠しても流産してしまう」という展開があった。SF的なガジェットから導かれた展開であるという以上に、本作では、青春小説、成長小説としてのニュアンスも含んだ、すばらしい設定だから、記憶に残っていたのであるが、つまり、妊娠と出産というのは、それだけ母体を危険ならしめることであるのだなと思ったのである。

 ○母体にあっては母体によって、生まれ出れば病院によって、そして世のなかに出れば世のなかのもろもろによって、人は守られ、育まれるものなのだ。われわれの〈守護神〉とは、われわれをとり巻くすべてのものなのだなあと思わずにおれない。
 いわんや、ぼくじしんをや。いずれぼくも、赤ちゃんを守る〈守護神〉のひとつとなるのかもしれない。そのときはせいぜい、所持者を守らんがために、所持者の苦痛をとりのぞくために、所持者の選択とその結果を曲げてしまわぬようにしたいものである。

 ○草野原々『最後にして最初のアイドル』より、表題作を読む。

 オラフ・ステープルドン『最後にして最初の人類』にインスパイアされたという、中盤の大カタストロフ後の地球と、その荒廃した世界でもなお「アイドル」を続けようとして、主人公が異形の存在になり果てる中盤までは、ハッタリが効いていたたいそう面白かったが、クライマックス直前でズッコケてしまった。

 意識とは、何であろうか? 進化の過程で人間が獲得した、生物学的機能だというのが、答えの一つだ。
 本当だろうか? どうにも疑わしく思われる。[中略]しばしば、意識は効率の邪魔となる。自然のなかで生きて行くためには、いちいち意識を生成していくという方法はハイコストローリターンである。多大なエネルギーを必要とする割には、得るものはない。そんな機能が自然淘汰で生まれてくるわけがない。ライオンに襲われたときは怖いと思って逃げるよりも、内面を形成せずに逃げたほうが何倍も素早いのだ。
 では、意識はどのように生まれてきたのだろうか。重要な点は、意識とは生まれつき持っている生物学的機能ではないということだ。むしろ、意識とは後天的に個人に伝授される文化的機能であるのだ。あるいは、こうも言い換えられる。意識とは、文明により個人にダウンロードされるソフトウェアである、と。

——草野原々「最後にして最初のアイドル」より。
太字強調は引用者)

 最初は、「意識」を、「進化の過程で人間が獲得した、生物学的機能」であるか、と問い、「そんな機能が自然淘汰で生まれてくるわけがない」とする。「自然のなかで生きて行くためには、いちいち意識を生成していくという方法はハイコストローリターンである」とも答えている。それなのに、最終的に「意識」は「後天的に個人に伝授される文化的機能」であり、文明により個人にダウンロードされるソフトウェアである」と結論される。
 ここに説明不足を感じる。最初は「自然のなかで」と条件付けておいて、最終的には「文明によって」と結論される、その流れに、この条件の相対を解消する論旨がないのである。一般的に、自然と文明は対比的に扱われるものである。自然のなかで必要とされないものが、文明のなかで必要とされていくためには、まず自然のなかで必要とされていく過程を述べなければ、論旨がジャンプしてしまって、説明不足に感じられる。そもそも、「生まれる」と「伝授」は、まったく異なるものだ。「伝授」されるためには、対象はすでにそこになければならない(これに関しては、このお話の大オチに関係するところではあるが)。
 小説の面白さは、ハッタリである。言葉を尽くして、ありえないことをさもありえることのように説明する、そのことに話芸の妙味がある。もちろん今作の「アイドル」をはじめとした、インパクトある言葉を用いてハッタリとする力業も、それはそれで面白いが、この手の文化圏を限定される言葉だけで押し切るのは、文化圏の外から見たときには、雑なしぐさに見えてしまう。特に、アイドル好きでなくとも、『ラブライブ!』のファンでなくとも面白かった中盤までと比較して、クライマックス直前の「意識」のくだりは、あきらかにハッタリの種類が変わって、「言葉を尽くしてハッタリをかますのが面倒になったのかな」と邪推すらしてしまうほどだった。
 せめて、引用した文章のあとに、こんな文章が続けばよかったのではないか。

 しかし、こう考える方もおられるだろう。文明は自然に先行しないのだから、意識が生まれてくるとしたら、それは「自然に」であるはずだ、と。違うのだ。「文明は自然に先行する」のである。もっというと、自然の前に、文明の原型となるものが存在したのだ。大事なことを言うぞ。よく聞くがいい。
 それこそが、「アイドル」である。


 ○本日の、全国の新規陽性者数は、九一九人。
 そのうち、東京は、二〇七人。東京の検査実施数は、三〇四一件。


八月十九日(水)

 ○夜、母うさぎとともに、義兄弟うさぎと会食する。入院後の妹うさぎと、赤ちゃんのようすを聞き、これからのことについて話をするためにである。といっても、ぼくや母うさぎは当事者というには距離があるので、できることがあるのか確認するだけである。

 ○赤ちゃんの名前をどうするのか、という話題になったところで、
「外国の人にも発音してもらいやすい名前にしようと思います」
 という、義兄弟うさぎの発言が印象的だった。
 人が授かる名前とは、名づけるものからの祝いであり、呪いであり、つまりは名づけられるものが生きることになる世界への祈りである。名前をつけられることによって、名前あるものは、すべて自分が生きる世界への祈りとして生きることになる。ならば、他文化との接触が避けてとおれない現代において、その名前は、誰にとっても祈りとわかるものであっていい。

 ○マーク・ミラー/デイブ・ジョンソン『スーパーマン:レッド・サン』を読む。

 なんども読み返しているが、傑作。『WANTED』や『KINGSMAN』、『KICK ASS』のマーク・ミラーの脚本であるが、彼の作品に特有のシニシズムをのぞけば、『スーパーマン:フォー・オール・シーズンズ』に似ている。それだけ、「スーパーマン」というキャラクターはゆるぎないものなのだ。むしろ、ゆらいでしまうのは、彼のまわりの世界のほうである。 

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一〇七二人。
 そのうち、東京は、一八六人。東京の検査実施数は、四八七二件。

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八月二十日(木)

 ○「日本ファンタジーノベル大賞2019」を受賞した、高丘哲次氏のエッセイを読む。

 人生とは、もとより奇妙なものなのだろう。誰しもが、理不尽とも思える消息盈虚[しょうそくえいきょ]に翻弄され、それでも日々を積み重ねている。私たちが辿る道には、好むと好まざるとに関わらず、驚きが満ちている。
 ならば、旅の友である小説はどうあるべきか。
 少しくらい風変わりな物語では、きっと無聊をなぐさめる役にも立ちはしない。自分だけの特別な物語を胸に秘めながら、当たり前の日常を生きる人たちの心を動かすためには、いかなる小説を届ければ良いのか。

——高丘哲次「留守番電話」より。
太字強調は引用者)

「誰の胸にも特別な物語が秘められている」という、考えの素晴らしさに、ハッとさせられる。もちろん、妹うさぎと、彼女の赤ちゃんについて、思わないはずがない。緊急の帝王切開手術で子を産んだことも、早産で生まれたことも、そもそもいまが、新型コロナウィルスという災禍に見舞われた時代であるということも、それぞれの胸に秘められた特別な物語である。
 いわんや、ぼくたちをや。この世界の誰の胸にも、そうした特別な物語が、秘められているのだ。


 ○映画『ガス燈』を見る。

 なんだかやたらデカいメイドが出てくるな、と思ったら、後年『ジェシカおばさんの事件簿』で有名になる、アンジェラ・ランズベリー氏の若き日の出演であった。

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(画像右手前。当時十七歳。デカい)


 ○本日の、全国の新規陽性者数は、一〇七二人。
 そのうち、東京は、三三九人。東京の検査実施数は、四八七二件。


八月二十一日(金)

 ○昼、取引先で昼食をとっていると、妹うさぎからLINEで連絡がくる。赤ちゃんの名前が決まったとのこと。
 よき祈りの名前なり

 ○決定する前に、さまざまな候補が出たことも書いてあったが、いわゆる「キラキラネーム」的なものはあってもそう多くなく、入院から出産までに時間がなかったことで、かえって余計なことを考えなくてすんだのではないかと思われる。

 ○夜、のびのびになっていた動物マッサージを受けてくる。これにて、あわただしかった一週間の平仄がととのったような心持ちになる。

 ○ヴァーナー・ヴィンジ『マイクロチップの魔術師』を読む。


 ○本日の、全国の新規陽性者数は、一〇七二人。
 そのうち、東京は、三三九人。東京の検査実施数は、四八七二件。



→「#43 魔術師さがし」



引用・参考文献




イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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