見出し画像

コロナ渦不染日記 #41

←前回目次次回→

八月十四日(金)

 ○美容院へ、毛刈りに行く。担当のトリマーさんに会うのは、諸事情あって、二ヶ月ぶりである。なかなか予定が合わないんですよねと話をすると、美容院の業態が一部変わって、オンライン予約ができるようになったことを知る。これで担当の予定が把握しやすくなった。毛は、暑いので短めにしてもらった。

 ○美容院を出て、ブックオフを渉猟すると、色々と収穫があった。最もおおきな収穫は、かつて竹書房文庫から刊行されていた、菊池秀行氏監修による、ホラーアンソロジーシリーズ「妖魔の宴」の数ピースがまとめて(しかも百円コーナーで!)手に入ったことである。

 吸血鬼、狼男、「フランケンシュタインの怪物」の、いわゆる「ユニヴァーサル・モンスター」を題材にした、このアンソロジーシリーズは、十年前ならそこそこ見かけたが、現在ではなかなか目にする機会がなく、こういう出物があるときは、つまり同好の士が手放したのだと考えられるのである。手放した理由は、それこそ神ならぬ身には知りようのないことであるが、あるいは本人ではなく、残された家族親族の手によって、売却というよりは処分の名目で市場に出たのかもしれない。そう考えると、我が蔵書もいずれおなじ運命をたどることになるだろうということは想像に難くない。出すところに出せば数十万はくだらないであろう蔵書が、価値ではなく刊行からの年数で値付けされると考えると、悲しく思えてくるものの、そういうシステムだからこそ、今日のぼくのような「収穫」があるのであるから、これも無常な世のならいであろうかと思う。願わくば、同好の士の手元に流れつかんことを

 ○その後、wifi、電源、喫煙完備の喫茶店に陣取り、五時間ばかり原稿をやっつける。ラヴクラフト「Quest of Iranon」の翻訳がいよいよ終わった。これからブラッシュアップ、特に宮沢賢治ふうの文体で訳し直すことになる。

 ○夜、島崎譲『THE STAR』を読む。

 少年誌版『ガラスの仮面』を思わせる出だしから、巻を重ねるごとにどんどんおかしなことになっていき、実在の人物をモデルにしたキャラクターを平気で卑劣な悪役にするのは毎回のこと、真剣で殺陣をするわ、幻の必殺技を会得してしまうわ、中国でカンフーの修行をするわ、肉弾バトルマンガになってしまう奇妙な作品ではあるが、作者の島崎譲氏の真面目な作風と、ダイナミックな画面構成でついつい読まされてしまう。特に、中森明菜をモデルにしたヒロインと、主人公が一途な愛を貫くところなどは、他が荒唐無稽なだけに、逆に一本筋をとおした印象で、ただのおかしなマンガとして消費してしまうには惜しい輝きがある

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一三六二人。
 そのうち、東京は、三八九人。東京の検査実施数は、四八七二件。

画像6


八月十五日(土)

 ○午前中は日記を編集する。

 ○昨日、「Quest of Iranon」を訳し終えたので、自分の訳に影響しないようにと読まずにおいた、大瀧啓裕氏訳版のラヴクラフト「イラノンの探求」を読む。

 創元推理文庫にラヴクラフトの「全集」をまとめるのに、大瀧啓裕氏のはたした役割はあまりにもおおきく、それは称えられるべきものではあるが、すくなくとも「イラノンの探求」の訳に関しては、いささか訳にずさんなところがあるように思われる。おなじパラグラフに「the camel-drivers」と「the dromedary-men」があるところ、前者を「ラクダの乗り手」、後者を「ヒトコブラクダ人」と訳すのは、原語が違うのでまだありだとしても、「wild whirling dancers」を「烈しく旋回する踊り子」と訳すのは、逐語訳にすぎるであろう。
 しかし、では、ぼくは自分の訳で、ここをどのようにすべきか。現状では、「らくだを連れた男たち」と「荒々しく狂ったように舞う踊り子」としておく。

 ○映画『麻雀放浪記2020』を見る。

 阿佐田哲也(色川武大)氏の『麻雀放浪記』は、ギャンブルを題材にした小説としても、アウトロー小説としても、戦後闇市ものとしても、文句なしの傑作小説である。真田広之氏を主役の「〈坊や〉哲」にむかえた、和田誠監督による実写映画も、原作のかわいた雰囲気をモノクロで再現してすばらしかった。近年では、星野泰視氏によるコミカライズ『哲也-雀聖と呼ばれた男』も、少年誌らしい体裁は守りつつも、原作のひりつくような勝負の世界と、そこでしか生きられないものたちの鬼気迫る生きざまを描いて、過不足ないものだった。
 しかして、この『麻雀放浪記2020』はというと、主演の斎藤工氏の「〈坊や〉哲」は真田広之氏に迫っているし、〈チャラン・ポ・ランタン〉のもも氏の「ドテ子」も、いわゆる「美人」には出せないファニーな魅力があるし、ベッキー演じる「オックスのママ」は哲に執心をもよおさせるファム・ファタールとして説得力があった、というように、演者の魅力は楽しめたが、かんじんの物語は明確な目標を持たず、文字どおり「放浪」してしまっていた。「『東京オリンピックが中止になった(撮影当時は近未来の)二〇二〇年・東京』と『太平洋戦争終結直後の一九四五年・東京』を重ね合わせる」というコンセプトも、うまくいっていたとは言いがたい。
 白石和彌監督は、『彼女がその名を知らない鳥たち』がすばらしく、期待していたところがあっただけに、凡作だとしても、残念に思えてしまう。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一二二八人。
 そのうち、東京は、三八五人。東京の検査実施数は、二八一八件。

画像5


八月十六日(日)

 ○夏休みも今日で最後となった。蒸し暑い朝に目覚め、コーヒーを飲んでいると、相棒の下品ラビットが、不意にこう言いだした。
豆腐巻きを食べようぜ」
 彼の言うのは、鎌倉のお好み焼き屋「津久井」の名物のことである。このまま家でだらだらして、最後の一日を過ごすのも芸がない、と考えて、出かけることにする。炎天下の中を、最寄り駅にむかっている最中、
「イナバにも声かけようぜ」
 と、下品ラビットがイナバさんに連絡をしたので、鎌倉駅で待ち合わせることになった。

 ○鎌倉駅の西口を出て、すぐのところにある不動産屋の手前を右に入ると、人間が二人並べばふさがれてしまうような小路のなかばに、「津久井」はある。

 のれんをくぐると、なかは風情ある日本家屋。この災禍で、外国からのお客が減ったからか、昼時なのに待たずに入ることができた。テーブル席について、石壁に囲まれた小さな庭を眺めながら、ラムネを飲みつつ待っていると、豆腐巻きのセットがやってくる。

画像1

 先に焼いていたお好み焼きをつつきながら待っていると、店員さんがやってきて、てきぱきと豆腐巻きを作ってくれる。豆腐を鉄板で焼きながら、たっぷりのしょうゆで味付けし、ネギとかつおぶしをまぶして、薄焼きのたまごでくるむ——この流れを、じつにあざやかな手つきで行うさまを、目の前で見ることができるのも、この店、この料理の楽しみのひとつである。

画像2

 写真の左側がしょうゆ焼き豆腐、右側がそれをたまごでくるんだ豆腐巻き。どちらもシンプルながら、べらぼうにうまい。三匹でわふわふしながら食べてしまった。

 ○その後、鎌倉八幡にお参りする。この災禍で、外国からのお客が減ったからか、参拝者は少ない。新型コロナウィルスの災いよけだろう、茅の輪くぐりと形代による祓[はらえ]が行われていたので、せっかくだからと参加した。
 昼すぎの紫外線は容赦なく、拝殿に参る石段ののぼりおりだけでバテてしまう。あわてて、「鳩サブレー」でおなじみの豊島屋の喫茶店「八十小路」で涼んだ。「冷しコーヒー」は、氷もコーヒーを凍らせたものなので、味が薄まらなくてよい。

画像3

画像4

 しかし、残暑はきつく、日が暮れる前に解散となった。

 ○帰宅して、映画『ターミネーター:ニュー・フェイト』を見る。

「『ターミネーター2』の正当続編!」というふれこみであるが、『3』から『新起動』までの「なかったことになった」続編群に(各作品の新機軸として)みられた要素が雑多に入っていて、目新しさに乏しいのが残念。

 ○こうして、忙しいような、のんびりしたような、コロナ中の夏休みは終わった。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、一〇二〇人。
 そのうち、東京は、二六〇人。東京の検査実施数は、一〇一三件。



→「#42 祈り」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


いただきましたサポートは、サークル活動の資金にさせていただきます。