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メリーさんの白塗りに関する補足的な考察

彼女の白塗りを「謎」という人たちがいますが、あれは謎と言うより世代間ギャップではないかという気がします。

自然美を目指す近代美容は、白塗りメイクではなく「素肌を活かすメイクこそが美しい」としています。しかし近代以前の世界では、素肌を隠すメイクの方がむしろ一般的でした。

近代以前の女性はコルセットで腰をきつく締めたり、「バッスルドレス」のようにフレームを入れてスカートを膨らませるなど、服もメイクも不自然でした。

この傾向は日本も同様で、白粉、お歯黒などの風習がありました。「創りあげるメイク」は近代化が完了してもすぐには消えません。

白塗り自体は、戦後になっても水商売の世界では珍しいことではありませんでした。
こんな実例もあります。

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米空軍の元軍人、Herb Gouldonさん撮影(昭和30年代 心斎橋)

つぎは埼玉県の朝霞市が基地の街だった頃の話です。
「ハクイ女」(「美人」と「白い女」のダブルミーニング)という白塗り美人の店員が登場します。

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https://asakacity.wordpress.com/2018/02/25/hakuionna/

野坂昭如の小説『エロ事師たち』(1966年)でも白粉塗りの記述が2カ所あります。

足まで白塗りしている女性は、一定数存在していたのではないかと思います。というのは、谷崎潤一郎の作品の中にそういう女性が登場するからです。

とは言うものの、谷崎の筆による「足まで白塗りしている女性」がすぐに出てこなかったので、歌舞伎の白塗りに関する描写でお目汚しいたします。

“近頃ノ助六ハ皆脚ニタイツヲ穿ク。時々タイツニ皺ガ寄ッタリシテイル。コレハ甚ダ感興ヲ殺グ。アレハ是非素脚ニ白粉ヲ塗ッテ貰イタイ。”
谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』より

ビスコンティの映画「ベニスに死す」(1971年 原作はトマス・マン)でも、主人公の男性が白粉塗りしている描写がありました(上記tweet参照)。ヒューバート・セルビー・ジュニア原作のアメリカ映画「ブルックリン最終出口」(1989年)のなかでも、ゲイボーイは白塗りでおめかしします。
つまり洋服と白粉塗りの取り合わせ自体は(日本でなくても)意外と珍しくありません。

日本在住のスウェーデン人漫画家オーサ・イェークストロムさんのエッセイ漫画にこういう回がありました(2016-11-18 付け投稿)。
https://ameblo.jp/hokuoujoshi/entry-12220725494.html

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拙著のなかでも指摘しましたが、エリザベス一世も白塗りしていました(下の写真)。彼女は公の場に姿を現す儀式の際、下地にはちみつを塗り、上から白粉を塗って民衆の前に顕現したそうです。当時の女性はこぞってそのメイクを真似たとのことですから、イギリスでも白塗りはポピュラーだったはず。

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しかしメリーさん以上の異様さですね。

エリザベス一世の白塗りは、29歳のときに罹患した天然痘の痕を隠すためのものだったということが、明らかになっています。彼女はイメージを大切にしており、あばたのある顔では美と威厳を示すことができず、男社会に君臨する女王に相応しくないと考えたのでした。彼女のメイクはビネガーと鉛を混ぜたものでしたが、広く知られる通り、鉛は毒素です。晩年の女王は記憶障害に苦しみ、髪が抜け落ちたとのことで、おそらく身体の不調に耐えながらメイクを続けていたのでしょう。

にも関わらず、エリザベス女王の白塗りは年々濃くなっていったそうです。

そうした事情を知らない当時の人々は、無邪気に女王のメイクを真似たのでしょうね。

エリザベス一世のメイクについては下記の記事をどうぞ(リンク先は英語です)。

The truth behind Queen Elizabeth’s white ‘clown face’ makeup

そういう訳でメリーさんの白塗りは、古い世代の人であればさほど不思議に感じないような気がします。

ただし愛用していたマックスファクターのファンデが買えなくなり、資生堂の白粉に変えたことで、彼女の中で何かが変わったのかも知れないとは思います。

彼女が目立つ格好をしていたことに関して、拙著のなかで取り上げなかった意見もあります。
1982年〜83年にかけて山下公園などで起きた中学生による「ホームレス狩り」事件。こうした暴行から身を守るため、彼女はあえて目立つ恰好をして身の安全を図ったのではないか、という意見です。
個人的にはそれは考えすぎて、彼女はもっと天然だったのではないかと思うのですが、本人でない限り本当のことは分かりませんよね。


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