見出し画像

「善王寺毘沙門堂」「三要寺」「住吉神社」【丹後王国シリーズ】

妻が旅先のホテルで「ここ行こうか!」と言うので行ってみた。

変更履歴
2023/07/27 初版


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

※後述の「▼見どころ」参照

▼見どころ

世帯などは 善王寺の主な地域活動は - 京丹後市

▽善王寺毘沙門堂

「善王寺」という地名は、天文10(1541)年頃の「丹後国御檀家帳(たんごのくにお だんかちょう)」にある「せんわうし(善王寺)」という寺の名前に由来しています。善王寺 という寺は、戦国時代に焼けてしまい残っていませんが、その名前は地名として残っています。 この地区では、弥生時代から生活をしていた痕跡がみられます。奈良時代には、須恵器(す えき)という焼物をつくっていた阿婆田(あばた)窯跡 が操業しています。 善王寺は、はじめは宮津藩領でありましたが、元和8(1622)年からは峰山藩領、明治 4年峰山県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属しました。 その後、隣接の長岡村と善王寺村が合併して、明治22年に長善村(ちょうぜんむら)となり ましたが、長岡と善王寺の間が丘陵で二分されていたことから、昭和 31 年9月 30 日に、善 王寺が大宮町に、長岡が峰山町に分村しました。

https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/13/o_zennouji2505.pdf


▽臨済宗松渓山三要寺

 善王寺の地名となった善王寺の後身という。本尊は薬師如来で七仏薬師の第六と伝える説と、釈迦牟尼仏とする説がある。

「峰山旧記」「長善村誌」には、永和3(1377)年、 真海法印を開基、真言宗安得山善王寺と称し、境内に毘沙 門天を祭っていたと記されている。その後、慶長年間(1596 ~1614)に、寂翁和尚が曹洞宗に改め、小渓山長福寺と改 号しました。 寛文年間(1661~1672)、河辺萬休院中興開山崙山和尚 によって諸堂伽藍が建立、再興されましたが、元禄 8(1695)年に、峰山藩三代藩主高明氏の臨済宗改宗宣下を 受け入れ、享保元(1716)年、 臨済宗天竜寺派全性寺(峰 山町)末となり、山号寺院名を松渓山三要寺と改称した。

https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/13/o_zennouji2505.pdf

薬師如来と十一 面観音が安置さ れ、堂内に弘法大 師の像が祀られている。

https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/13/o_zennouji2505.pdf

▽住吉神社

 毘沙門堂の行きに車で通った。雰囲気が良く帰りに行こうとしたが、帰りは違う道を通てしまいスルーした・・。

一条天皇の時、大江山の山賊退治に、源頼光を 将とし藤原保昌を先導として、これを平定(正暦 3 年(992))その論功によって、保昌は丹後守に 任じられたという。 藤原保昌はかねてから守護神として住吉神社を 尊崇し、ここに山賊退治を祈願して、その大願が 成就したので、住吉神社の分霊をこの地に祀った という。

https://www.city.kyotango.lg.jp/material/files/group/13/o_zennouji2505.pdf

▼旅行記


▼セットで行くところ


▼仏像展


#善王寺毘沙門堂
#三要寺
#住吉神社
#丹後王国シリーズ
#丹後国御檀家帳
#善王寺
#三要寺
#薬師如来
#十一 面観音
#住吉神社
#大江山
#源頼光
#藤原保昌
#やんまあ
#やんまあ旅行記
#やんまあ神社仏閣
#神社仏閣
#神社
#神社巡り
#旅のフォトアルバム
#仏像
#京都
#京丹後市
#丹波
#丹後
#丹後王国
#丹波王国

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?