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安倍晴明3社巡り!京都「晴明神社」福井!土御門となり京都から福井へ【京都上京シリーズ】【福井シリーズ】

映画などで観光神社になった京都・晴明神社。安倍晴明の末裔は土御門という姓になり、福井に移住地を変えている。という事実とは別に、晴明自身が福井にゆかりがあり、その言い伝えから神社があるので安部晴明の足跡を一気に記載する。

 大阪市阿倍野区の晴明所縁の神社へ参拝をしたら追記します。

 ということで始めたいのですが、末裔さ~~ん!?

平安時代の陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明の直系子孫である土御門家の菩提(ぼだい)寺・梅林寺(京都市下京区)で、一族の墓が長年の劣化で崩壊しそうな状態になっている。半世紀近く子孫の消息が不明になっているためで、寺側は対応に苦慮しつつも、千年以上にわたって天文や暦法をつかさどった一族の供養を続けている。

↓京都新聞

変更履歴
2023/08/12 「→一条橋」追記
2022/01/06 初版


▼HP

▽京都市上京区「晴明神社」

▽福井県福井市「晴明神社」

▽福井県敦賀市「晴明神社」

▽土御門史跡

▼アクセス

※後述「▼見どころ」参照

▼祭神

安倍晴明

▼安倍晴明とは?

▼見どころ

  • 安倍晴明は平安時代に活躍した陰陽師の大家

  • 朝廷は困ったときに、陰陽寮という制度に認められた陰陽師に頼り室町時代まで続く

  • 大陸では科学への移行が始まっても、日本では自然信仰なども影響し、長く流行った

  • 安倍晴明の出生は謎で、父は安倍保名で、母は白狐の化身である!?

  • 母・白狐は安倍保名が信太森で助けた白狐だった

  • 父の安倍保名は天文学者・賀茂保憲の高弟

  • 晴明は宮廷陰陽師宗家の賀茂家の忠行・保憲親子の下で修業する

  • 十歳の頃、師である賀茂忠行のお供をしていた時、前方に鬼の群れがあるのに気づき、危機を逃れた。(『今昔物語』より)

  • 十二神将を式神として、妻がその容貌を恐れたために、屋敷のそばの一条戻り橋の下にそれらを隠し、必要あればそれらを呼び出していた。(『今昔物語』より)

  • 遅咲きで、40歳で陰陽寮になる

  • 60歳で天皇直々の位置で儀式や占いで頼られる存在に

  • 979年、皇太子より那智山の天狗を封じる儀式をする

  • 993年、一条天皇の急病を回復させて出世!

  • 997年、悪霊を踏み鎮める呪術をする

  • 1000年からは雨乞いを行い京都に命の水を与える

  • 1007年(晴明の没後2年)、一条天皇の勅命で京都・晴明神社が出来た

  • 晴明のおかげで賀茂家と肩を並べる名家になる

  • 12の式神を使い、花山天皇が家に来たときは自動で戸が開けたとか・・

  • 菅原道真など人が神として祀られるのは、疫病、飢餓から祟りや~という人々の不安が、きっかけになるのだが、この早さはなんなのか・・。権威・権力からも頼られた長寿の晴明なので、やはり丁重にしなければ!と思ったのだろうか

  • 境内の井戸はあの千利休も秀吉のお茶に使った名水のようで、千利休の自害する前の最後の水もここの水だったとか

▽京都市上京区「晴明神社」(京都市上京区晴明町806)

 創建は1007年。晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、その御霊を鎮めるために、晴明の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられた。晴明は、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇の側近として仕えた陰陽師。
 安倍晴明ブームで京都パワスポとして有名神社になった。いつ来てもここは人が多い。

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 一の鳥居の額には、全国的にも珍しい「晴明桔梗」を意味する「五芒星」が書かれている。五芒星は、安倍晴明が創った陰陽道に用いられる祈祷呪符の一つで、陰陽説の天地五行「木・火・土・金・水」を指す。
 詳細は公式Youtubeで!?

 一の鳥居を過ぎると「旧・一條戻橋」です。安倍晴明と縁がある一条戻橋を境内に再現したもの。現在の一条戻橋は、晴明神社から南に100mの堀川にかけられている。

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 安倍晴明の邸宅があった場所で、御所から見て鬼門にあたる位置に鎮座する。安倍晴明の末裔は、現在、土御門という名で続いており、福井の方で今でも神社を守っている。

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 拝殿・本殿です。一条戻橋のたもとにあった安倍晴明の屋敷跡に鎮座していると言われている。1005年に安倍晴明が亡くなった際に、一条天皇が遺業を称えて作ったとされている。

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 拝殿右には摂社・末社がある。晴明は稲荷神の生まれ変わりであると言われたので、稲荷が祀られている。

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 お稲荷の他2柱の神様を祀る「齋(いつき)稲荷社」は、晴明とも深い縁があり、晴明は稲荷の生まれ変わり、晴明の母である葛の葉が稲荷の使い、キツネの生まれ変わりといった説がある。

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 陰陽僚という官僚で、天皇に司る立ち位置にあったようで、たまに占いをするという感じだったようだ。

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 本殿すぐ横に「厄除け桃」と呼ばれる桃の像が置かれている。古くから中国や陰陽道で、桃は厄除けの果物と言われてきたそうな。「古事記」や「日本書紀」のイザナミとイザナギの話などでも、桃が魔物を追い払う様子が描かれている。

 創設当初は東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通と、東西南北に広大な敷地を誇る神社だったと言われている。応仁の乱など度重なる戦火、豊臣秀吉の都の拡大に伴い、規模は縮小された歴史がある。
 しばらくの間は古書、宝物なども散逸し、社殿も荒廃した時代が続いたそうです。

 てな感じで、このぐらいにしておきます。

→一条橋

京都市のほぼ中央を南北に流れる堀川に架かる「一条戻橋(もどりばし)」(同市上京区)。わずか6メートルほどの短い橋には取り立てて特徴はなく、普段は市民がひんぱんに行き来する。ところが実はこの橋、平安時代に活躍した陰陽師の安倍晴明にまつわる伝承や鬼退治の説話の舞台となるなど、京都屈指のミステリースポットなのだ。古都の怪異が潜む橋に足を運んでみた。
一条戻橋は、平安京の造成(794年)の際、都の北端を東西に通る一条通の堀川に架けられた。堀川は運河として造られ、冷泉院や堀川院といった貴族の屋敷に清流が引き入れられていたという。戻橋は何度か架け替えられたが、現在まで同じ位置にある。また、一条通は都と外界を分ける通りであるほか、この世と異界との境目ともされた。
 もともとの橋の名前は「土御門橋(つちみかどばし)」。橋の西側に屋敷を構えた安倍晴明が、使役する式神を「妻が怖がる」と橋の下に封じ、用があるときに呼び出したと「源平盛衰記」につづられている。現代の小説では悪霊をはらう〝スーパー陰陽師〟として活躍する安倍晴明も、妻に頭が上がらない…というのがなんとなくほほえましいエピソードだ。

 いわれを聞こうと、橋から100メートルほど北に位置する、安倍晴明をまつる「晴明神社」を訪れた。山口琢也宮司(62)は「もとは平安京の東北の角に位置し、いわゆる都の『鬼門』でした。この橋がこの世とあの世をつなぐ橋…という話につながったのかもしれません」と話す。

産経新聞
「残された安倍晴明の蘇生伝説 現世と異界の境目 京都・一条戻橋」
https://www.sankei.com/article/20230807-QC7GOGQALJOGTN2EREPY76US6A/

▽福井県福井市「晴明神社」(福井県福井市西木田2丁目6-27)

 木田神社境内に鎮座。平安時代の陰陽家・安倍晴明を祭神とし、特に火伏せ神として信仰をあつめている。木田神社を中心とする木田門前町は、福井屈指の旧家・町居・老舗が並び、中世より朝倉氏をはじめ歴代国主と深い関係をもった橘屋や、堀秀政の菩提寺である長慶寺など、史跡・名刹にも恵まれており、今日、歴史文化地域として注目されている。

 安倍晴明が北陸道を巡ったときに木田荘で宿泊した。その際に火伏の呪法を修めたことに由来する。

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2021年は修復中でした。

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▽福井県敦賀市「晴明神社」(敦賀市相生町8)

 御祭神は保食神、安倍晴明など。市立博物館の南の路地に、西向きに鎮座。西暦990年から五年間、安倍晴明は敦賀で天文学などを修行をしたそうで、拝殿内には祈念石がある。

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 社頭の案内では、晴明の誕生は990年代とあるが、一説には921年とする。ただし、晴明の出生は謎が多く正確な事は不明。 

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 晴明神社には、晴明が占いに用いたと言われている謎の石「祈念石」がご神体として祭壇床下に安置されている。この石をどのような秘術に使ったのかは謎ですが、晴明の霊力を宿すといわれ、床下を望む小窓から覗き見ることができ、賽銭を投げいれて石の上に載れば願いが通じるといわれている。 

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 10世紀末を敦賀の地で過ごし、天文学・地文学の研究を重ねたといわれている安倍晴明。賀茂忠行・賀茂保憲の親子に学び陰陽道の大家となった安倍晴明にちなんだこの神社。ちなみにこの神社には京都・晴明神社の宮司も来られるようですね~。

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▽おまけ:安倍家墓所・土御門史跡(福井県大飯郡おおい町名田庄納田終) ※未参拝

 名田庄の陰陽道は、安倍晴明の子孫で応仁の乱の戦火を蒙った安倍有宜が、この地に分霊を遷宮して祀ったのが始まりとされる。安倍有宜は、江戸 時代に神道の陰陽頭として幕府に重用され、その後、有春・有脩・久脩と、この地で陰陽道及び、天文・暦・易の三道を司ったたと伝えられる。
 名田庄の川沿いに暦会館の大きな看板を掲げた建物があり、安倍有宜から始まる安倍(土御門)氏の資料などが収蔵展示されている。
 暦会館の少し先の山裾に、土御門家の墓所と安倍晴明が中国から勧請したという陰陽道の神・泰山府君を祀る加茂神社がある。神社の前には、四方に四神を表す四色の鳥居を建てた土俵があり、ここで神事を行ったという。大相撲の土俵の上方四方に設けられる鳥居は、これが起源とされるという。
 国道脇にたてられた天社土御門神社本庁の看板も倒れたまま放置さ れており、暦会館も訪れる人も少ない。

▼旅行記

▽京都

▼セットで行くところ

▽京都

▽福井市、敦賀市

▽あおい町



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