超美仏!快慶・弥勒菩薩「醍醐寺」世界遺産&国宝!30分凝視!昼⇔夜【京都伏見・山科シリーズ】【京都山科シリーズ】
世界遺産!快慶!京都で最も古い951年建立の五重塔、金堂、薬師堂や、仏像・絵画・工芸品など国宝70,000以上の寺宝を持つ寺。その中で、やっぱ三宝院の本尊・快慶作「弥勒菩薩坐像@重文」でしょ!!
以下の仏像展の感想も記録。
変更履歴
2024/05/22 五重塔動画追加(https://www.youtube.com/watch?v=JqOj1l4ERTQ)
2023/11/15 五重塔説明追加
2023/02/18 通常非公開「理性院」公開したので参拝
特別開扉「三宝院」
2022/12/04 初版
▼HP
https://www.daigoji.or.jp/index.html
▼アクセス
京都市伏見区醍醐東大路町22
▼本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼簡易歴史表
空海の孫弟子・理源大師が草庵を作ったのが始まり
874年に理源大師が創建
元々は笠取山、もしくは醍醐山の上(上醍醐)にある寺で「修験道の醍醐寺」とする
904年頃、醍醐天皇により下醍醐に拡張
951年、五重塔@国宝完成
1115年、三宝院創建
応仁の乱で五重塔@国宝以外は消失するが、秀吉により復興する
秀吉の「醍醐の花見」は有名かと
1600年、和歌山・満願寺の本堂を移築し金堂にする
上醍醐は成身院(女人院)があり、そこより上は女性は入れなかった歴史があることから険しい道ともいえる
山頂の開山堂までは60分で16丁目から上醍醐
▼見どころ
歴史をすべて知りたいなら、上醍醐&下醍醐を制覇すべきだが、上醍醐は山登りになる。仏像好きは下醍醐で十分かと思う。上醍醐の仏像などは落雷を恐れ下醍醐に移しているので。
快慶作の仏像が2体ある。東大寺再興の指揮をとった重源上人は、醍醐寺の出身だった。重源といえば、快慶なわけである!!
▽下醍醐
→三宝院:唐門@国宝
三宝院勅使門!1599年のもので2010年に当時の姿に復元した。
→下醍醐:西大門
豊臣秀頼が再建した門。
平安時代から睨みをきかせている金剛力士像@重文である!!鎌倉時代の険しくはなくユーモアな感じである。
秋の夜間拝観は西門前で並びます。
参道風景!毎年2月23日の五大力さん直前は準備風景が見られます。
→下醍醐:金堂@国宝(釈迦堂)
926年に釈迦堂が建立され、今の金堂となる。現在の金堂は1600年に豊臣家により和歌山県湯浅・満願寺の本堂を移築したもの。平安時代の建築様式ここにあり!!!
↓-------2023/02/18
五大力さん5日前は金堂前にお祭りの準備がされます。
↑-------2023/02/18
本尊は目がぱっちり系の「薬師如来坐像@重文」で金堂と同じく引っ越ししてきたとされる。目が玉眼で太陽の光で潤んで見え、新薬師寺と同じくお目目パッチリ系である。面白いのは表面の木目が際立っており、大報恩寺の仏像スキはオススメ!なぜこうしたかはヒノキの匂いを大事にしたとか。
で、脇侍は日光・月光菩薩。薬師三尊の左右には、四天王立像が守護している。
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これも普段はないような気がします。
↑-----2023/02/18
金堂から五重塔へ!!
→下醍醐:五重塔@国宝
京都府下で最も古い木造建築物で951年完成となっている。上に行くほど屋根が小さくなっており、遠くからも近くからも綺麗だな~と思う。
塔内はこの小さな寺を大寺院にした「醍醐天皇などの位牌」だけがあり、仏像はない。。他と同じく心柱は大日如来を表し、大日如来が描かれている。柱や壁にはびっしり曼荼羅の世界が描かれた空間である。
→下醍醐:日月門
→下醍醐:旧伝法学院(観音堂、弁天堂、鐘楼堂など)
林泉、観音堂、弁天堂、鐘楼堂、旧伝法学院などを総称して大伝法院と呼ばれている。
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観音堂正面会談は危険なため登れません。いつ直るのか??と思ったら、人がいるな・・お堂左裏手から入れます!
以前、勧音堂は大講堂として使用されていたが、2008年落雷で焼失した上醍醐・准胝堂にあった西国札所がここへ仮に移され、観音堂と改称された。
↑-----2023/02/18
↓-----2023/02/18
超レアな准胝観音なのだが、どう見ても薬師如来坐像にしか見えない。前の小さなお厨子に安置されているのがで、秘仏のようだ。詳細は公式HPを参照で。
あと堂内の仏像は阿弥陀如来、大日如来である。確かに妻は持仏の薬壺はないと言っていたな。
では、弁天堂へ!
↑-----2023/02/18
→下醍醐:祖師堂
→下醍醐:不動堂、真如三昧耶堂
不動堂には五大明王像@重文が安置されている。2014年に奈良国立博物館で行われた『醍醐寺のすべて』、2018年にサントリー美術館で行われた『京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-』で出張されていた。一時期、金堂に安置されていた時代がある。
五大明王とは、不動明王、 降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、 金剛夜叉明王の憤怒のチームで、穏やかになると五智如来になる。
▽宝物館(平成館&仏像館)
春と秋に特別展がある。
御醍醐は開山以来、天皇、貴族、武家、民衆から守られてきており、仏像・絵画・工芸品など10万点以上の宝物を持つ。
2001年んは上醍醐・薬師堂から薬師三尊@国宝が、2014年には上醍醐・五大堂の五大明王@重文が宝物館に遷されてた。
虚空蔵菩薩@国宝
「かわいい~」という声が聞こえ振り向いた視線の先には「虚空蔵菩薩@国宝」。2016年に国宝になり、普段は宝物館で見仏できます。小さいながらもしっかりした顔立ちとお体で、女性から見ると赤ん坊の体形に見えて、母性本能くすぐるのかな??
薬師如来坐像@国宝、日光・月光菩薩立像
中尊が2メートル近くある「薬師如来坐像@国宝」と脇侍「日光・月光菩薩立像」で、こちらも国宝。
金堂の薬師とは味が違うのだが、平安時代の特徴が出ており、この大きさにも関わらず一木造である。
ちなみに金箔が今も残っているのだが、この残りは、体の悪いところに金箔を貼る習わしがあったので残ったというものらしい。ということで、今も昔も膝が悪い人が多かった!?あっ膝に金箔が残っていますということです。
快慶作「不動明王坐像@重文」
2018年にサントリー美術館で行われた『醍醐寺展』で公開!!真打ち!塔頭・三宝院にある快慶作「不動明王坐像@重文」である。目が赤く、顔は斜めを見ている坐像で、どこかにアクセントを入れているのが面白い。横に展示されている仏画を参考に作っているようで、見比べると面白い。
如意輪観音坐像@重文
優麗な「如意輪観音坐像@重文」!!東京のサントリー美術館で主役になっていましたね。
五大明王像@重文
不動堂には平安時代の五大明王が安置され、ここには鎌倉時代に慶派かな?と思わせる鎌倉時代の五大明王である。と言いたいが時期によっては平安時代のコミカルさを備えた五大明王の場合がある。
快慶作?「水晶内の阿弥陀如来立像」
蓮の形をし、水晶の花びら内に小さな阿弥陀如来立像で快慶作と言われている。水晶内に仏像を入れているので、どうやって削ったのか興味深いと専門家は言う。
ただ、私は思った。快慶ならもっとエレガントなはずである!と。。そして、水晶から出た阿弥陀の写真を見ると、かなりズングリムックリしており、違う仏像に見えるのだが、これは屈折を逆算した仏像であるようだ。やっぱ、凄いな快慶・・・・・。
見つかったばかりのため、重文、国宝ではないので、今のうちに見ておくほうが良いかも。
そのほか
そのほかとしては、2014年、奈良国立博物館で行われた『醍醐寺展』でも展示された、帝釈天騎象像@重文、閻魔天騎牛像@重文、吉祥天立像@重文も見仏した。
2018年、サントリー美術館で行われた奈良博『醍醐寺展』の仏像たちに加えて、阿弥陀如来坐像@重文も見仏できる。
→2023年2月18日「醍醐寺の明王像」
なんか見仏数削ってきた気がする・・。
五大明王@重文、薬師三尊@国宝、帝釈天騎象像@重文、閻魔天騎牛像@重文のみだった。その代わりポストカードを頂けたが・・。
▽醍醐の桜と紅葉
▽三宝院 快慶作「胎蔵界式弥勒菩薩坐像@重文」
天皇がお座りになった玉座などもあり、天龍寺と良い勝負するかもと思わせる庭園です。この庭園は秀吉の設計らしく、ゆっくりできて、気持ちがよいです。枯山水なのに池がある特殊仕様で、中央の大きな石は藤戸石という。この石は全国から持ってきた石の一つで、岡山・源平合戦、足利尊氏など権力者が持つ石だったとか。
さて、2016年ごろの話ですが、奥にある本堂の快慶作の「弥勒菩薩」が特別公開中のため行くと、別途、1000円/人取られた・・・・。なんでやねん・・・。
と思いつつ、快慶の弥勒菩薩を独占できたので安いかと納得することに。。2014年に奈良国立博物館で見たときのような至近距離では見れなかったのが残念ですが・・。
元々は金堂近くにあったらしい。堂内からの庭園をまずは楽しむ。
↓-----2023/02/18
五大力さん直前は祭り使われるものが展示してあった。
↑-----2023/02/18
桜と紅葉の醍醐寺だが、この庭は紅葉をベースに設計したようで、桜の木はない。なお、秀吉はこの庭が完成する前に亡くなっている。
→表書院@国宝
庭園へ!!
→庭園
→純浄観@重文、奥宸殿@重文
→本堂@重文
↓-----2023/02/18
快慶作「弥勒菩薩坐像@重文」を本尊として、脇侍は弘法大師・空海坐像、理源大師坐像となっている。2023年は間近まで見仏できた!!
↑-----2023/02/18
醍醐寺三宝院に安置され、共通券とは別にプラス1000円が必要です。最近では企画展にも出展され、2017年に奈良博「快慶展」、2014年に奈良博「醍醐寺のすべて」に出展された。私のオススメ仏1位である「弥勒菩薩坐像@重文」は遠くから見仏するのでオペラグラスは必須だが、博物館に出展されたときのみ近くで見られる。この弥勒菩薩は奈良桜井の安倍文殊院に安置されている「文殊菩薩@国宝」と顔が似ており、斜め45度から見たお顔が絶品である。
金箔ではなく金泥で、その上に切金で衣文ができている。次の動画参照で。
本堂から奥宸殿の通りには「聖天堂」があり本堂裏手には行くことができない「五社明神」がある。
→奥宸殿、松月亭
▽塔頭・報恩院
もっと知りたい方は『醍醐寺報恩院における法流と院家の相承』を読んでみてはいかがでしょうか。
▽上醍醐
仏像好きのためスルーしています( TДT)ゴメンヨー
元々の醍醐寺はこの上醍醐で、空海の孫弟子が湧水を見つけたのが始まりとか。その水が醍醐水で、今なお枯れることなく湧き出ている。
見どころは平安時代後期の薬師堂@国宝で、蟇股は最古のものである。その本尊は霊宝館で安置されている。この薬師如来坐像@国宝、日光・月光菩薩@国宝はオンリーワン!理由は平安時代で、このサイズで残っているのは珍しいらしく、面白いのは「自分の悪いところに金箔を貼るとご利益がある」と言われたらしい。そういう意味で、人々の願いが伝わる仏像である。
公式ではないですが、行った気になれるのでどうぞ!?
▽毎年2月23日 五大力王
拝観無料で餅を持ち上げる力比べがある。この祭りも上醍醐の不動堂のものである。
▽非公開「理性院」:京都市伏見区醍醐東大路町21
2023年、狩野探幽18歳の障壁画が残る醍醐寺別格本山「理性院」は通常非公開だが、「第57回 京の冬の旅 文化財特別公開」で公開した。
醍醐寺の僧・賢覚(けんがく)により平安時代に創建。真言宗醍醐派の別格本山で、三宝院、金剛王院、無量寿院、報恩院と共に「醍醐五門跡」のひとつ。また、小野六流のうち醍醐三流(三宝院流、金剛王院流、理性院流)の理性院流の本寺でもある。
本堂と客殿は江戸時代に再建され、本堂には御本尊の太元師明王が安置され、客殿の障壁には狩野探幽が10代の頃に描いたとされる障壁画がある。ちなみに、客殿は写真OK。
→山門
山門を入ると正面に「千体地蔵」がある。先代住職が集められたもので、お地蔵さんの年代は様々なんだそうです。毎年10月の第3日曜日には「千体地蔵供養」が行われる。
→境内へ!
→客殿
客殿には狩野探幽の18歳の時の作「水墨山水図」はかなり貴重な障壁画のよう。この後に、二条城などで描かれる狩野探幽の余白の美の基礎が見え、父と探幽の合作と言われている意味でも貴重であるとする。そう、仏像でいえば運慶と湛慶合作ですかね。親子ではないが師弟関係で言えば、快慶・行快合作の三尺阿弥陀如来立像ですね!?
実は、探幽が作られたと発見されたのは1970年代だった。発見した理由は、豊臣秀吉時代の僧が日記を残しており、その日記から狩野探幽座敷絵を描いていると描いており、特徴から探幽だ!となった。
探幽作は左側の襖絵と言われ、中央とはすこし違うと専門家は説明しているので見比べてみてください。私にはわからなかったですが・・。ちなみにこの障壁画は2018年から2020年に修復したようです。
→本堂
本堂へ!本尊は非公開だが脇侍の毘沙門天と不動明王を公開。
本堂には外陣・内陣・内内陣となっており、本尊は秘仏「太元師明王」で80年に1度の御開帳なので次回は2087年。。本尊は超レア仏像で天皇専門の仏像で即位したときに拝むものである。奈良・秋篠寺では毎年6月6日開帳されます。
本尊・太元帥明王像は80年に1度の御開帳なので見仏不可だが、霊宝館「醍醐寺の明王像」で、絵画を見ることは出来た。
本尊の脇侍には、平安時代の定朝様式を引き継ぐ「不動明王坐像@重文」と毘沙門天立像となっている。毘沙門天は鎌倉時代なので玉眼になっており、護摩と金とバランスがよい。
本堂奥に社があったのでお堂を出て本堂右手に!
神様は不明だったが、日吉神社系かなとも。
▼昼食
→醐山料理 雨月茶屋 本店
駐車場に併設されている茶屋で「五大力うどん」を食す。1080円なり。おなかペコペコだったので美味しかったです。
→ル・クロ スゥ ル スリジェ
▼旅行記
▼セットで行くところ
▼仏像展
▽2017年 奈良国立博物館『快慶展』
快慶は運慶とともに東大寺・興福寺など南都の大寺院の復興に携わり、東大寺大仏再興の総責任者であった重源と関係が深く、重源が携わった寺に快慶の仏像があることが多い。快慶の仏像は理知的、絵画的で繊細で三尺前後の阿弥陀如来像が多く、快慶の生没年齢や出自は明らかでないが東大寺の古書によると丹波と繋がりが強い。現存する作品のうちもっとも古いものはボストン美術館蔵(旧興福寺)の弥勒菩薩立像で1189年の作である。現存する2番目の作品である醍醐寺三宝院「弥勒菩薩坐像@重文」から「巧匠アン阿弥陀仏」と銘記するようになる。
520円の音声ガイドをレンタルして見仏しました。実はこの音声ガイドは人生で初めて利用しましたが、すごく楽しめます。平日なのでじっくり見られると思いましたが、相変わらずの人だかりは醍醐寺三宝院『弥勒菩薩坐像@重文』と清水寺奥の院『千手観音』です。弥勒菩薩は斜め45度からは絶品です。普段、醍醐寺では10mぐらいの距離で真正面から拝観なので、ここぞとばかり、30分ほど居続けたかと思います。。さて、人生初の音声ガイドですが、京都北部の金剛院に安置する天2体と、和歌山金剛峯寺の天2体は同じ仏像の種類で作者も同じだが、趣きが異なるので時代が異なると思っていたが、同時代の作成であることがわかった。またこの天2体は重源に所縁のある寺のみで存在するらしく、この二体を安置する意味は判明していないが、重源がやり始めたことは間違いないようだ。
▽2014年:奈良博『醍醐寺のすべて』
東大寺再興の指揮をとった重源上人は、醍醐寺の出身でした。そして重源といえば、快慶なわけである!!
▽2018年:サントリー美術館『京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-』
真言宗醍醐派の総本山。国宝・重要文化財に指定された仏像や仏画を中心に、濃密な密教美術の世界を体感でき、普段は公開されない貴重な史料が公開される。中尊が2メートル近くある「薬師如来坐像@国宝」と脇侍「日光・月光菩薩立像」や優麗な「如意輪観音坐像@重文」、「五大明王像重文」公開!!そして、快慶作「不動明王坐像@重文」も展示されていた。ラッキー。
『京都・醍醐寺-真言密教の宇宙-』が2018年9月19日(水)~11月11日(日)に開催。京都・醍醐寺は、真言密教の拠点として古くから歴史の表舞台で重要な役割を果たしてきた名刹。今回は国宝・重要文化財に指定された仏像や仏画を中心に公開。
まずは小さいながらも基本的にお約束が出来ている「如意輪観音坐像@重文」が展示で、360度見仏可能。その後は、リスト順と展示が一致しないので、バラバラで記載する。講堂に安置されている「薬師如来坐像@国宝と日光・月光菩薩立像@国宝」は昔は上醍醐の薬師堂に安置されていたらしく、保存状態のよさにびっくりした。そして、真打ち!塔頭・三宝院にある快慶作「不動明王坐像@重文」である。目が赤く、顔は斜めを見ている坐像で、どこかにアクセントを入れているのが面白い。横に展示されている仏画を参考に作っているようで、見比べると面白い。
次に、記憶にない仏像が2体あった。1つ目は「帝釈天騎像@重文」で、もう1つが「閻魔天騎牛@重文」である。妻は宝物館か講堂じゃないというが、私は記憶がない。。左右には重文から国宝になった「虚空蔵菩薩立像」と初見「阿弥陀如来坐像@重文」となっている。でだ、最後の方に平安時代の「五大明王@重文」参上!!東寺などとは違う雰囲気のチーム明王で、右から3面6臂で目が4つある金剛夜叉、台座が特徴の降三世、そして不動明王、軍茶利、カワイイ牛のぬいぐるみ風の台座に乗っている大威徳となっている。さて、今回は三宝院の快慶作の「弥勒菩薩坐像@重文」は来なかったのが残念だが、いつもスルーしている三宝院の襖絵などじっくり見れたので良かった。
この後は九州博物館で開催されたようです。
▽2017年 京博『国宝』(Ⅰ期Ⅱ期)
京都国立博物館 開館120周年記念特別展覧会『国宝』
「かわいい~」という声が聞こえ振り向いた視線の先には「虚空蔵菩薩@国宝」も展示されていた。最近、国宝になり、普段は宝物館で見仏できます。小さいながらもしっかりした顔立ちと体で、女性から見ると赤ん坊の体形に見えて、母性本能くすぐるのかな??
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