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浅井三姉妹(淀・お初・お江)「養源院」血天井・俵屋宗達!京都のど真ん中で説明有り【三十三間堂シリーズ】

1594年に淀殿が父・浅井長政のために創建したが焼失し、1621年に伏見城の遺構を移して再建。廊下の天井は、伏見城落城の際に自刃した武将たちの血のりのしみた板を使ったため「血天井」として有名。俵屋宗達筆の杉戸絵も有名で、紅葉も綺麗かと思います。ここから少し南に、桃山時代特有の豪華な彫刻をほどこした三十三間堂の南大門と築地塀が残されている。

淀殿
 浅井三姉妹の長女。浅井長政と戦国一の美女と謳われた織田信長の妹・お市の間に生まれた子供たちを「浅井三姉妹」で、淀殿は秀吉の側室でもある。いずれ徳川川になった妹と戦うことになり、豊臣秀頼と共に自害した。

お江
 浅井三姉妹の三女。秀吉の政略結婚で徳川家へ嫁ぐ。その後1615年に、姉・淀殿(豊臣方)vsお江(徳川方)と敵対同士になる。その後、ここで戦没者の供養を営むが、1619年に落雷による焼失。1621年にお江が徳川を説得し再興に尽力する。

2022年05月07日
2022年05月07日

変更履歴
2023/03/12 公開後に某TV番組で特集されていたので追記
      (2022/03/12でページ内検索)
2023/03/01 初版

▼HP

▼アクセス

京都市東山区三十三間堂廻り町656

▼本尊と脇時

歓喜天
※絶対秘仏。厳密には住職のみ。

▼見どころ

 豊臣秀吉の側室 淀殿が父・浅井長政の追善の為、長政の二十一回忌に建立。本堂@重文には俵屋宗達が描いた障壁画があり、杉戸絵は血天井の英霊を祀り、説明頂けるので非常に勉強になる!行くべし!

↓-----2023/03/12
 豊臣側の寺で、徳川側に嫁いだお江は再建し、その後、徳川家の菩提寺にもなる
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▽山門とお堂

2022年05月07日

 →白衣弁財天堂

2022年05月07日

 →毘沙門堂

2022年05月07日
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▽参道

 嵐山・二尊院、光明寺などと同じく上り系参道で紅葉時期は綺麗そうですね。

2022年05月07日
2022年05月07日
2022年05月07日

 本堂近くに来たら参道振り向きの1枚。

2022年05月07日

▽本堂@重文

 順番にグループになりテープを聞きながら拝観する。テープの説明後は寺の人が説明補足もしてくれるので、歴史に疎い人も楽しめるだろう!

2022年05月07日
2022年05月07日

 →杉戸絵@重文

 まずは、俵谷宗達ですね。建仁寺の「風神雷神図」が有名ですが、原点となったのが、養源院の「杉戸絵」です。
 まずは「唐獅子」となります。右に白の獅子、左に逆立ちしたような獅子である。
↓-----2023/03/12
 左は八方睨みの獅子なので、どこからでも目が合うはずなので、試してみてください。
↑-----2023/03/12
 次に「白象」です。入るときは右から入ると、目の先に「白象」が見える。右の白象は本尊を向いており、左の白象は・・・・(説明を忘れた・・)遠近法がホニャホニャ説明があった気がします。ww
 そして帰りは「唐獅子」裏の「麒麟」を見て帰ることになり、右から帰り、振り向くと白象がお辞儀しているように見えるようになっている。
 つまりのところ、当時の架空の動物たちを描くだけではなく、参拝した人の流れを汲みした作品である。そして、獅子と像といえば、文殊菩薩と普賢菩薩の台座であり、釈迦三尊を表現したともいえる。

 →血天井

 見どころの1つ「血天井」は、伏見城落城の際に自刃した武将たちの血のりと脂の浸みた板で、思いを祈るべく天井に使用されたとのこと。
 この自害した武士とは、意外や意外、徳川家の武士たち380余名です。歴史的勝者である徳川ですが、豊臣との前哨戦では負けているようです。たぶん、お江が豊臣系のこの寺を再興するときに、説得材料にしたのが「血天井」なのかなと思います。
 テープの説明後に「上を見上げてください!」と言われ、竹の棒で「ここに顔」「ここから肘が伸びていて、ここが甲冑」「片足はあぐらをかいて・・」など説明してくれるが、さっぱりわからなかったのは私だけか??公の手の説明では、首を縦に振る、頷く、へ~という人多いですよね。。私、全然わからなかった・・。

2022年05月07日

 最後に、廊下ですが、これも伏見城から移築したもの。「鴬張り廊下」でできているので、歩くとキュッキュ音が鳴りますが、そういう設計ですのでご安心を!

→本尊など

↓-----2023/03/12
 通常非公開の本堂の本尊は「阿弥陀如来立像」で、脇には浅井長政、徳川秀忠、お江の位牌が安置されている。江戸時代に豊臣側の浅井長政では潰される可能性があるので、徳川秀忠とお江を置いたようだ。これにより、今でもこの地で徳川時代を乗り切る。お江は豊臣家と徳川家が和合した寺である。
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▽境内ウロウロ

本堂左手に神社でいうと御神木だなというものがある。

2022年05月07日

 鳥居には「白鷹龍神」「赤桃明神」「白玉明神」ですね。

2022年05月07日
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 次は本堂右です。本堂真横は入れないようになっています。。

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▼由緒

2022年05月07日
2022年05月07日
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▼旅行記▼セットで行くところ

▼仏像展


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