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父・菅原道真が亡くなった際の祠「飛騨天満宮」自らの手で彫った神像【飛騨高山シリーズ】

ここの御朱印は頂くべきですね。敷地内には約100本の梅が植樹されており、毎年3月中旬から4月中旬まで梅を楽しむことが出来る。境内には菅原兼茂が父・菅原道真が亡くなった際に祠を建て、自らの手で彫った神像を祀ったことが始まりだそう。大体は菅原道真が、もしくは付き人が、とかにより創建したというのが多い認識だが、ここは息子なんだ。。
 摂社・末社は飢饉・疫病などで道真を分霊したところが多いのでしょうけど、この創建は面白い!!

 でも、道真が亡くなったのは大宰府だのだが、何らかの理由でここに行き着いたのか?権力者が持ってきたのか?もしくは道真の末裔か??

延喜3年(903年)、飛騨権掾を担っていた道真の三男、菅原兼茂が父が大宰府で亡くなったことを聞き、祠を建て、自らの手で彫った木像を祀ったことに始まるとされる。延長元年(923年)には、菅原兼茂が都に帰るとき、この木像を村民に託したという。

太宰府天満宮
▽本殿裏の摂社・末社「御子社」

 御祭神は右より菅公四男・淳茂公、菅公三男・兼重公、菅公次男・景行公、菅公嫡男・高視公となり祭神「菅原道真」の子供たちである。この社からも、道真の生活の基盤は太宰府にあったのだろうなと感じる。

私のNOTE(https://note.com/yanma_travel/n/n8cb40d2da41f)

変更履歴
2023/06/26 初版

▼HP

▼アクセス

岐阜県高山市天満町2-30

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

 主祭神は菅原道真で、相殿にアマテラスと松尾神である・・。って、やはり、天神のアマテラスと天神の菅原道真が揃っている。やはりここも、アマテラスが元々で天神信仰で菅原道真に変えたかも・・。
 ただ、由緒では父・道真は大宰府へ、三男坊はこちらに流れたとしている。

▽岡田鴨神社
下鴨神社と同じ。ただ、「菅原道真」も祀っていた。菅原道真は九州に左遷される道中に社が多いのはわかるが、ここ通るかな?と疑問。。
宮司曰く、昔はアマテラスを祀っていたが、平安時代に天満宮が広がり、菅原道真に祭神を変更したかもしれないと言われていた。

私のNOTE↓

 末社には「津島神社」と「春彦神社」で祭神は、それぞれスサノオ、度会春彦命となっている。

 黒色の社殿はスサノオを祀る「津島神社」で、京都・八坂神社と同じ厄除けとなっている。そのため、厄病退散!新型コロナ!と記載されていた。もしかしたらこの黒色は陣屋の木材を使用している??

 津島神社横には「春彦神社」の祭神は「度会春彦」らしい。渡会といえば伊勢神宮・外宮となるのだが、関係はあるのだろうか。

 度会春彦命って伊勢神宮外宮の神官??なんでここに渡会氏が?

 帰って調べると、渡会春彦は菅原道真に仕え、大宰府での最後を看取ったと言われている。各天満宮では「白太夫社」「太夫社」としていることが多いらしい。

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