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碧南社寺仏閣!熊野2社「熊野神社/大浜熊野大神社」「海徳寺」「観音寺(大竹観音)」【三河シリーズ】

碧南には2ヶ所の熊野神社があり、上の宮、下の宮と呼ばれている。ひとつの神社の上社/下社という感じではなく、本家 と 元祖みたいな関係か。

変更履歴
2023/08/17 初版

▼HP、アクセス、本尊と脇時

後述の「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽上の宮「熊野神社」:愛知県碧南市大浜上町1-2

 1054年、源頼義が奥州に赴く途中、大風に遭い、紀州熊野権現に祈願して遭難を免れ、当地に漂岸。源頼義は熊野権現のご加護に感謝し、社殿を造営した。その後、徳川家康の父・松平廣忠の崇敬から、松平(徳川)家の祈願所とした。
 まずは本殿を参拝して、摂社・末社へ!

→拝殿・本殿

 祭神は「イナナギ」、「イナザミ」、「大綿津見神」、「速玉男神」、「市杵島姫神」である。参道から本殿までのアプローチが出雲の熊野大社を感じさせる。今川、徳川などの崇敬が篤かったらしい。

→摂社・末社:厳島社、那智社、海神社

→境内の説明板

▽下の宮「大浜熊野大神社」:愛知県碧南市宮町5-46

 加藤菊女がお百度を踏んだ神社として伝えられている。野間の変で大浜郷に潜居していた長田白正が、紀州熊野大権現を勧進して、霊木を引き上げた場所に宮を創建。
 霊木はに「太一」の文字が記されてあり、中から熊野権現と書かれていた宝剣が出た。「この材木で社壇を造営し、熊野三社大権現を勧請すべし」との託宣があったので、宮を造営し、宝剣をご神体として熊野大権現を祀ったとさ。

  • 1168年、長田白正が紀州熊野大権現を勧進して洲崎に創建

  • 1386年、当地に移転

  • 1532~、松平広忠より社領安堵状が送られる

  • 1559年、家康から寄進状が送られる

  • 1718年、孫七事件で流罪になった加藤友右衛門の妻菊女が夫を思い、お百度を踏む

 参道から本殿までのアプローチが出雲にある熊野大社と似ている気がする。さて、拝殿だが、コンクリート仕様になっており残念な気がした。

 長田白正氏が紀州熊野権現より勧請したことに始まり、1386年に今の地へ移った。加藤菊女がお百度を踏んだ神社として伝えられている。


▽海徳寺:愛知県碧南市音羽町1-60

 本尊は「丈六阿弥陀如来坐像@重文」で明治初年の廃仏稀釈により伊勢から渡海した。山門には市内唯一の金剛力士像が安置され、拝観は外陣からで距離があるが、仏像が大きいので十分見える。

御朱印に力を入れている?

 詳細は他力本願で。。

▽観音寺(大竹観音):愛知県碧南市築山町3-58

 本尊「聖観世音菩薩」で「如意融通尊」なども安置されている。別堂として水子観音堂があり、易占いも有名です。

▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


▼仏像展


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