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瓊瓊杵尊とタニシ「蜊江神社」神仏習合「西源寺」次回の御開帳は2037年だそう【湖南シリーズ】

「つぶえじんじゃ」は豪雨で神社のそばを流れる野洲川が氾濫し、ご神体を安置している社殿が流失しそうになったが、川の上流から流れてきた神輿におびただしい数のタニシが付着し重みで社殿の前にとどまったらしい。
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神仏習合だ!!で、なんで瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が祀られているのか謎なんですが・・。允恭天皇の時代にはあったそうな。

『蜊江という名の由来について古文書には「蜊江神社は文明年間及び永生年間の戦乱のため火災の被害しばしば受けたるも、幸いに祭神はご健在であったと伝えられ、然るにその後に社殿再建したるも野洲川の大洪水を何回も繰り返し被害を受けた。
特に享保6年6月の野洲川堤防の決壊により社殿は毀され、あわや祭神のご神体が危険状態の折柄、上流より多数の田螺(たにし・蜊)の付着したご神輿が社前に止まりたるため、ご神体の流れの難をのがれた。

変更履歴
2023/08/25 初版


▼HP、▼アクセス、▼祭神・本尊と脇時

 ※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

 神仏習合が色濃く残る神社です。入口は金剛力士像がいたとしか思えない造りの山門。だけど、瓦葺きの神社風味になっている。

▽蜊江神社:滋賀県守山市笠原町939

 「つぶえ」と読み、主祭神は「ニニギノミコト」。境内の大きな池は「御蜊様池」で、もとは タニシを保護するための人工池だった。
 地元笠原ではタニシに関する 多くの伝承があり、人々はタニシを神の使者として大切に保護しつづけてきたらしい。

 天井を見ると・・・。

 タニシの奉納。なぜタニシかというと次の説がある。豪雨で神社のそばを流れる野洲川が氾濫し、ご神体を安置している社殿が流失しそうになったが、川の上流から流れてきた神輿におびただしい数のタニシが付着し重みで社殿の前にとどまったらしい。

蜊って普通はアサリですが、この地域ではタニシのことのよう。

→拝殿・本殿

 拝殿と本殿がしっかり設けられている。左側には毘沙門堂など神仏習合が色濃く残っている。廃仏毀釈で一度はなくされたのだろうか。

→愛宕神社

 愛宕社には火の神・カグツチですね!琵琶湖があるので水より火なんですかね?と思ったが、冒頭の通り、戦火を逃れるべく火の神を祀ったのが始まりのような気がしてきた。比叡山vs信長の時代なのかもね。

→毘沙門堂

 毘沙門堂です!って寺があるな・・神仏習合ですね。もしかしたら、オオクニヌシだったが、大黒さんにしたのかもな。

 毘沙門天と十二支神将立像を安置しているようです。毘沙門堂の修復時に堂内から木部天部形立像(吉祥天立像とも)、木造女神像が出てきたとか。きっと、神仏分離令のときに潰させないと、この地域の人が隠したのでしょうね。

→最後に

2:30ぐらいから神社紹介です。

 ということで、この地域では、タニシを食べると必ず腹痛が起こると言い伝えられており、口にすることはないそうな。

以上、神社アルアルですね。

▽西源寺:次回の御開帳は2037年

 蜊江神社の入口左手に「西源寺」がある。元々は蜊江神社の境内にあったと思われる。いや、この寺自体が神社の境内なのかもしれないが。

▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


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