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坐禅体験からの学び:雑音が聞こえてきても、それらを「追いかけない」

先日に学校の保護者向け座禅の体験イベントに参加してきました。お寺のような禅堂で20分程の超初心者向けの座禅体験ですが(笑)とても良い気づきがあったのでシェアしたいと思います。

坐禅の作法

私の理解は浅いので坐禅で何をやるのかはきちんと説明出来ませんが、禅堂への入り方(入り口の左端から敷居を左足から先にまたいで入る)とか、他の参加者にお辞儀をするとか、坐禅をする畳の手前にある木の部分は触ってはいけないとか(食事をする際に机の役割をする場所だから)、いろいろな作法があります。宗教家の先生(僧侶)から説明を受けながらやりました。

ネットで調べると解説されているWebサイトがありましたので、正確にお知りになりたい方はこちらをご参照下さい。
坐禅の作法

ちなみに、座禅とは書かずに坐禅と書くそうです。


心を無にするのは難しいけど…

坐禅用の座り方をして、呼吸と姿勢に集中して何も考えないようにするのですが、これがまた難しいです。いろんな考えが頭に浮かんできますw

先生にはそんな参加者の思いが透けて見えるのでしょうか、絶妙なタイミングで静かにアドバイスを仰いました。

「心にいろいろな思いが浮かんできても、追いかけません」
「あ、思いが浮かんできたな、、、それだけです」

ああ、なるほど、追いかけないのか。と、納得して続けることが出来ました。

でも、私は坐禅をしている途中なのに、鼻はむずむずしてくるし、風邪をひいてもいないのになぜか咳をしたくなるし、ダメダメです。

三毒(怒り、貪り、妬み)

人が克服すべき3つの悪いことを三毒というそうです。その3つは、怒り、貪る心、妬み、です。仕事や日常生活をしていると我々はこの三毒にまみれてしまいますが、これらに絡めとられてしまわないように、心を磨く必要がるとのこと。

確かに、イライラとか怒ることや、もっと欲しいと貪ること、他人を妬む気持ちなどは、ほんと自分にストレスを掛けますよね。分かっていても、それらの気持ちから離れることが出来ません、、、

過去に読んだ何かの本に書いてありましたが、心の核の部分の周りに本能とか、感性とか、知性とかがこべりついているそうです。坐禅による修行とはこれらを外側から磨いて落としていくイメージのようです。

こうしよう、ああしよう、という頭の中に生じてくる雑音を消して、イラっとくる感情を消して、本能から来る欲望などを落として、、、というようなことを坐禅で心を無にして繰り返していくことが修行なのでしょうか。

能をシャットダウンしてスッキリ

ややこしいことは抜きにして述べると、私は坐禅を体験して、パソコンと同じように常に使い続けている頭(脳)の電源を落としてシャットダウンして再起動したように感じます。イライラとか気がかりなことから解放されてスッキリしました。

今回学んだことですが、日々イライラすることや、心がざわつくことがありますが、そういった何か心を乱す刺激があったとしても「追いかけない」ことを気に留めておきたいと思います。

癇に障ることを言われても「言われたな」でおしまいにして、それ以上は「追いかけない」と腹も立たず、ストレスも抱えなくて済むのでしょう。

とは言え、そんなにおおらかでいることが出来る自信はないですが(笑)
出来るだけ心がけたいと思います。

おそらく、坐禅のような昔あった習慣はきっと仕事や日常生活を送る我々には必要なことなんでしょうね。

(2024年5月27日)
山本恵亮
1級キャリアコンサルティング技能士

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