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フロイドメイウエザー戦・花束事件に学ぶ敬と恥

ライジンなるイベントで行われた、フロイドメイウエザーと朝倉未来のエキシビジョン。

最初に断っておくが、メイウエザーは確かにボクシングの世界チャンピオンだが、このイベントはバラエティ枠に入るものである。

このイベントは、決してスポーツではなく、格闘技である事を知って欲しい。

さて、メイウエザーに花束を投げた愚か者の罵倒が、SNSで埋没しそうな程噴出している。

悪口を書いても意味がないので、ここでは掘り下げて書く。

・この愚か者の主張は、480万で花束を渡す権利を買った。
・メイウエザーが日本を舐めている。

詳細は良く知らぬが、周りの意見を聞くと花束を投げた理由は、そう言う事だそうだ。

先日、我がジムで小学生に「お金で買えないものを大切にすれば、将来、欲しいものはお金で買える」と教えた。

お金儲けだけを考えれば、人を裏切ったり騙したり、犯罪を犯せばそう難しい事ではない。

日本には「親の顔が見てみたい」という言葉がある。
この人は会社経営者で、一千億以上の資産を持つと言う。

少なくとも彼の会社の社員に取り、彼は親である。
社員は恥ずかしく、いたたまれない気分だと容易に推察出来る。

経営というのは、社員がいてこそ成り立つ。
この度、その従業員の親の蛮行が、全国に知れ渡ってしまった。

子である従業員が、親の行為により被る恥ずかしさを考えると同情するが、この気持ちは私だけではないと思う。

社員に尊敬されるかどうかは、経営者の人となりや、行動で、行動を見ると、大まかな心が分かる。

恥を知る、という言葉の本来正しい使い方は、敬う人や師、目上の人や経営者などを見て、自分の足りない所に気付く。

足りない所を知ると、自分が怠ってる事に気付いて、恥ずかしくなる。そうして人は成長する。

王道とは、ただお金を持つ事ではない。

正しい師匠や経営者に付いていれば、正しい生き方を覚え、正しい行い、正しいお金の使い方を見て学ぶ。

つまるところ、お金の使い方が、その人の品格や性格を表す。

少なくとも480万円で、花束を神聖なるリングに投げるという行為は、我々ボクシング関係者に言わせると万死に値する。

リングというものは聖域である。

聖域だと知らず、または考えようとも思わない者を、リングに上げた人達も同等である。

自分が何も知らない世界を、話すな。
そういう時は黙って襟を正すものだ、と孔子は教える。

リングという聖域の意味を知らない者が、こういう蛮行を行う恐れがある場合、イベントの責任者が上記の教えを説き、それでも理解せぬ場合は上がらせるべきではなかった。

更に、花束を投げるという行為は、その花を栽培した人、売った花屋さん、投げられたメイウエザーからも、愚かな行為である。

花にも感情はある事は、科学で立証されており、私の様な花が好きな者からすれば、やはり蛮行、愚考な愚行だと思ってしまう。

金持の経営者に馬鹿はいないので、この人は頭は良いのだろうが、人の価値は行為がその人の心を表す。

そうするとこの人は、利己的で愛情もなく、常に自分が一番正しいと思う、反省を試みない人、と思うがどうだろう。

反省をせずに生きてきた者は、大体こうなる。

そして、こうも考えれないだろうか?

実はこの人は、自分よりお金を遥かに持つメイウエザーに嫉妬し、せめて嫌がらせをしたい。花束を投げた自分は凄い、勝った、と。

人と人の間にこのような勝ち負けはない。

ボクシングではここまで愚かな行為は殆どなく、あれば協会かコミッションから袋叩きに合う。

そう考えると、ボクシング界に生きてる事を、誇りに思う。

この人は、師を持ち敬を知り、まず恥じるべきだ。

こうして書いていると、我がジムの小学生の授業に持ってこいの事象だと気付いた。

明日のジムでの授業のお題は決まった。

題して「反面教師」。

これで行こう。

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