文理選択、鉛筆転がして決めた話
こんにちは、訪問いただきありがとうございます☺️
今回はタイトルのまんまなんですが
意外とこれって人生において使えるんじゃないかと思ったので
筆を執りました✍
さて、
これを読んでいるあなたは
二択を迫られてどうしても決め切れないとき
どうしていますか?
私は鉛筆を転がすことに決めています。
鉛筆を転がせないときは
ダイスアプリを使ったり、友達とじゃんけんしたり。
とにかくランダムな要素に身を委ねます。
理由はいくつかあるんですが
簡単にまとめると
からです。
①悩んでいる時間が勿体ない
これは言葉の通りですね。
本当にどっちでもいいのであれば
どっちも正解ということ。
どっちを選んでも正解になるのなら
早く選んで次の行動のために時間を使ったほうがいい。
もっと言えば、日常の些細な選択なら
悩んでいる時間を使って選択肢の両方ともこなすことだって
できるかもしれません。
②本当の自分の気持ちに気付ける
どっちも正解とは言ったものの
いざ「こっち」と決まると「そっちか……」と
思ってしまうことはありませんか?
それが自分でも気づいていなかった
自分の本心です。
私も文理を選択するとき
悩んでも悩んでも決め切れなかったので
鉛筆を転がしました。
出た結果は、文系。
そのとき私の頭に浮かんだ言葉は
「いや、3回!3回振って出た数が多かったほうにしよう!」
でした。
つまり、心の奥底では
「文系はイヤだな」と思っていたということ。
こんな風に、一度どちらかに心を決めることで
自分の本心に気が付くことができます。
③後悔をしなくて済む
もし心の奥底で
自分が望んでいることがあるのであれば
本当に望んでいた選択肢を選ぶことが出来るし
鉛筆を転がしても何も思わないのであれば
本当にどっちでも良いということなので
必要以上に悩む必要はありません。
以上のことから私は
「何か選択肢に迷うことがあればランダムな何かに委ねる」
と決めています。
自分で納得して、自分で決めました。
だから、もしその選択で困難にぶつかることがあっても
自分で選んだことだから。
と納得することができます。
この「自分で選んだ」というのがとても大事だなと最近思っていて
自分で選んでいないと
「なんで自分がこんな目に」だとか「○○のせいで」
といったように
周りのせいにしてしまいます。
でも周りのせいにしたところで
誰も責任はとってくれません。
自分で選ぶことで、その先に何が待っていても
自分で選んだことだからと受け止めることができる。
受け止めることが出来るから
困難が待っていても乗り越えようと努力することができる。
丁度先日話した友人が
「みんな、自分で選んだつもりになっている。
でも実際は消去法でそこに居るだけで
本当の意味で、自分主体で動けていない。」
と言っていました。
これ、すごく本質をついていて良い言葉だなと思ったので
是非この話も触れたいんですが
今回は長くなってしまったのでここまで。
またの機会に
私が考える「主体的に選択する」ということについて
お話出来たらなと思います☺️
最後まで読んでいただきありがとうございます🌱
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