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マインドコントロールについて思う事 カルト教団・創価学会を参考に

はじめに

 マインドコントロールなど存在しない、とか、定義が出来ない、等という言説が罷り通り、また、自民党と公明党、更には創価学会の反対によって、カルト宗教の被害者救済を目的とした被害者救済法にマインドコントロールという文言が掲載されず見送られた。
 そこでこの説の真偽を検証して行こうと思う。

マインドコントロールは存在しないのか?

 最初に結論を書きますが、存在します。
 存在しないとする主張自体が意味不明で理解できません。
 オウム真理教が実際に、どのようにして信者達をマインドコントロールしたのか、これについては散々語られている話ですので、ここでは詳細に触れませんが、そういった事実が語られ、何度も報道されているにもかかわらず、平然と「存在しない」と言い張る神経を疑います。
 どのような意図でそのような嘘を吐くのか、あるいは、主張するのかについては、その人の立場がある為、目的も意図も各々異なると考えられますから、十把一絡げには出来ませんが、一つだけ言える事は、そのような嘘が罷り通る事によって得をしているのは、信者達にマインドコントロールを働いているカルトだという事です。

定義が出来ないのは事実か

 これに関しては、要するにマインドコントロールと言うのは、教団に依存させ、教団の指示を絶対と考え、出された指示には絶対に従い実行する事、簡単に言ってしまえばこういう事です。
 この点、フランスのセクトの定義が非常に判り易いです。

 フランスでセクト的逸脱を判断する時に教義は考慮しないからだ。
 「セクト」という言葉には全く異なる2つの意味がある。
 このことを明確にしたのが、1995年(公刊は96年)の国民議会セクトに関する調査委員会報告であった(以下95年国会報告と記す)。 同報告は、「セクト」という言葉には「a語源」、「b社会学的」、「cセクトの危険性に基づく」、の3つのアプローチがあるとする。
 bは正邪善悪の判断なしに分類した宗教の一つのカテゴリーのことで「新宗教」とか「マイナー宗教」ともよばれている。cのセクトとは、宗教とは関係なく「心理的不安定化の策略を通じて信者から無条件の忠誠、 批判的思考の減少、一般に受け入れられている基準(倫理的、科学的、市民的、教育的)との断絶を獲得することを目指し、個人の自由、健康、教育、民主的な制度に対する危険をもたらす」グループのことであり、日本でいう「破壊的カルト」のこと。そして心理的不安定化は精神操作 (マインドコントロール)によって起こされる。
 創価学会が問題視されているのは「新宗教」だからではなく、cに分類される 「破壊的カルト」だからである。このcの意味を明確にし、法制度の中に組み入れたのが、日本で「反セクト法」といわれている01年の「人権と基本的自由を侵害するセクト的運動に対する予防と抑圧強化のための法」である(通称アブー・ピカール法)。

特集 カルト問題に揺れる 日本の宗教と政治一創価・公明&自民
フランスのカルト対策を歪曲して自己正当化を図る創価学会
広岡 裕児 国際ジャーナリスト パリ在住
FORUM21 2022年10月号

 信者から無条件の忠誠、 批判的思考の減少、一般に受け入れられている基準(倫理的、科学的、市民的、教育的)との断絶を獲得することを目指し、行う精神操作の事をマインドコントロールと呼ぶわけです。
 心理学ではかなり研究が進んでいるみたいで、少し調べただけでも様々な情報が出てきますが、では具体的な手口はどうかと言えば、当然の事ながら、無数にあるわけです。
 従って、定義に関しては、法律に盛り込むのであれば、かなり抽象度の高い文章にして、適用時の自由度を高めておくか、あるいは、省令その他で定めるとして置いて、定期的に専門者会議を招集し、どのような手口をマインドコントロールとして認定するのか、その都度、最新の情報に変更するような形にするのか、かなりの柔軟性が必要になるものと考えられます。
 これに関しては、法案を急ピッチで進め過ぎた為、とてもじゃないが定義して法律で縛るのには時間が短すぎたせいもあるのだろうと思います。

実際のマインドコントロール手口
創価学会を参考に

創価学会は日蓮仏法の正統な後継者であり、常に正しく間違った事はしない絶対的正義の団体である

 創価学会は日蓮正宗の信徒団体である法華講から始まっています。
 そして日蓮正宗は日蓮を崇拝しています。
 だから日蓮がどんな人物なのか知らないと理解できませんが、このカルト団体の性質は、立正安国論を読めば概ね理解できます。
 立正安国論は大した分量でなく、1時間もあれば読める程度のものですので、詳しく知りたい方は現代語訳を読む事をお勧めします。
 この中でどんな事を書いているか、ですが。
 日本で天変地異や飢餓、戦乱が絶えないのは、日本が間違った仏教を信仰しているからである。日蓮が唱える仏法こそが正しい仏教であり、その他は邪教である。今すぐ幕府は日蓮の唱える仏教を国教として正しい信仰をすると同時に、邪教を徹底的に弾圧し、邪教の僧達を餓死させて殺し、信者達は折伏して正しい仏教を信仰させなさい。また日蓮の弟子たちは武器を手に取って邪教徒達と戦いなさい。さすれば国難は去るであろう。
 要約するとこんな感じです。
 日蓮がこのような考え方を持っている為、日蓮正宗は性質的に、仏教の宗派としては珍しく、多神教よりも一神教に近く、原理主義的であり、他宗派・他宗教に対する寛容性が極めて低く、また、非常に攻撃的です。
 また、こうした日蓮の思想から、自分達の存在が、常に正しく間違った事はしない絶対的な正義である、という考え方が現れます。
 同様の理由から、日蓮正宗と同宗を破門され新興宗教となった宗教団体には、我こそが日蓮仏法の正統な後継者だと主張し、互いに譲らない特徴があります。

日蓮仏法は国法の上位概念である

 イスラム教を見ると判り易いですが、宗教が国の上に来ます。
 創価学会もそれと同じで、日蓮仏法は国が作った法律よりも上に位置するものだと考えます。

学会活動が違法である場合、間違っているのは法律の方だから、破ってもよい

 日蓮仏法の正統な後継者である創価学会は、常に正しく、間違った事はしない絶対的正義の団体で、日蓮仏法は国が作った法律よりも上に位置するわけですから、創価学会の活動をしている際、それが違法だという事になれば、間違っているのは法律の方であって、破っても問題ない。
 昔から創価学会や学会員による犯罪が多発するのはこれが原因です。

仏敵(学会迫害の悪人)は厳罰(げんばち)で野たれ死ぬまで攻め抜け

 これは聖教新聞の寸鉄に乗った言葉ですが、この言葉は日蓮が立正安国論で記した内容を基礎としたものです。
 日蓮は邪教徒は殺しても問題ない、仏教が説くところの殺人には当たらない上、功徳で位が菩薩に昇るだの、直接武器を手にして殺すのがまずいなら、お布施しない事で餓死させればいいだの、こういう異常な事を本当に立正安国論の中で語っています。
 直接手に駆ければ殺人だが、お布施をせずに餓死させれば、殺意をもってそれをやったとしても、自分が直接やったのではないから殺人ではない(言うまでもない事ですが、仏教の性質を考えたら、こんな詭弁、通るわけがない)という考え方から、自殺に追い込んで殺害するのは、あくまでも手を下したのは本人だから、殺人には当たらない、同様に、執拗な嫌がらせで相手が精神的苦痛を感じようが、精神障害を発症しようが、それらも全て、本人が弱かったからそうなっただけ、仏罰を受けるような事をした本人が悪いのだから、実行した学会員は全く悪くないという、とんでもない考え方が出てきます。
 道徳的にも倫理的にも完全に破綻していますよね。
 学会員が徒党を組んで執拗な嫌がらせをし、自殺に追い込んで殺そうとするのも、日蓮が立正安国論で説いた事を忠実に実践しているだけです。

謗法者(=仏敵)、退転者(=脱会者)は地獄に落ちる

 これは書いてあるままです。
 謗法者というのは、邪教徒、即ち、創価学会以外の宗教を信仰する全ての人、並びに、学会批判者、退転者は脱会者の事です。
 1990年代に脱会者に対して嫌がらせが行われた際、週刊文春の記者が面白い事を書いています。

創価学会を脱会したから地獄に落ちるのではない。創価学会が脱会者を“地獄”に落とすのだ――。そう思えてならない。

創価学会脱会者3300人大調査 史上空前 ここまでひどい嫌がらせの実態
週刊文春1995年12月14日号

 このカルト教団の特徴は、学会員達に、「謗法者(=仏敵)、退転者(=脱会者)は地獄に落ちる」と刷り込んでおきながら、実際に地獄に落ちす行為を仏罰と称して学会員達に行わせて、その嫌がらせの被害によって人為的に地獄に落とされた姿を「仏敵(謗法者、退転者)に仏罰が下った」と言い張る点にあります。
 実は創価学会にはこんなエピソードがあるのを御存知でしょうか。

 池田氏はよく会員の前でピアノを弾くが、これも鍵盤を叩くだけで、実際には自動演奏のピアノだったり、うしろからメロディーを流しているのだそうだ。それでも女子部員たちは感激で、涙、涙なのだという。
池田が訪れる会場周辺の花を咲かせるという古典的な演出もあります。期日に合わせ、地元の人が何週間も前からドライヤーで花の蕾を温めるのです。多くの会員が梯子を持ち出して延々とその作業を行い、見事、満開の桜を咲かせたこともあります。 先生のお陰で一夜にして桜が咲いた、というわけです。池田は〝見事だ。よくやったね〟と満足げに言い、それを聞いて会員達はまた涙を流すのです。魚など一匹もいないドブ池に事前に鯉を放流して池田に餌を撒かせ、〝ここには魚はいないのに、先生が餌付けすると鯉まで現れてしまった〟と会員達を感激させた例もあります

創価学会とは何か ジャーナリスト山田直樹著

 一応指摘しておきますが、「自動演奏のピアノだったり、うしろからメロディーを流している」事を承知で聴いているのに、女子部員達は感激して涙を流しているのです。
 は?って思いますよね。
 花の開花やどぶ池の鯉なんか、学会員が演出してやってるのに、やった本人が感激して喜んでいる。
 理解不能でしょうが、浦沢直樹氏原作の漫画20世紀少年の映画版では、ホールの壇上で聴衆を前に仕掛けで空中浮遊をして見せて、聴衆が「おおっ」とどよめき、仕掛けを知っているセット裏にいた万城目が「馬鹿かよこいつら」と呆れていると、セット裏でワイヤーを引いて空中浮遊を炎暑つ下スタッフが、なんと、「浮いている……」と驚愕し、壇上で浮いている友達を驚きの眼差しで呆然と眺めていて、その姿に万城目が驚くというシーンが最終作で出てきます。
 無論、空中浮遊している事を信じ込ませる為の巧妙な仕掛けが幾重にも施されており、その状況で空中浮遊をした結果がこのような現象を起こしているわけです。
 マインドコントロールされたカルトの信者達を表現する象徴的なシーンとして挿入したのだと思われますが、創価学会の内部でも、似たような事が起きているという事なのでしょう。
 即ち、自分達が行動する事によって、人為的に相手を不幸のどん底に突き落としたり、自殺に追い込んだりしているのに、何故か、やっている本人達は、仏敵に仏罰が本当に落ちてそうなったのだと認識している、という事です。これなどはマインドコントロールされた人間に特有の現象でしょう。
 無論、マインドコントロールが解けていたり、解けかけている人であれば、人為的に嫌がらせをして自殺に追い込んだ、不幸のどん底に突き落としただけだと認識できるわけですが、できたらできたで、今度は「この異常なカルト教団にら逆らったら何をされるかわからない」という恐怖心が働く為、脱会や口外を阻止できる効果も期待できるわけです。

学会からの指示は絶対である(守らなければならない、実行しなきければならない)、学会からの指示に従わなかったり、歯向かったりすれば地獄に落ちる

 これも書いてあるまんまなんですが、創価学会は日蓮仏法の正統な継承者であり、正義の団体であり、学会活動は常に、絶対的に正しいという考えを刷り込んでいるわけです。しかも学会活動と法が抵触する場合には、間違っているのは法であり、破ってもいいとすら教えています。
 そこから当然、学会からの指示は絶対である指示に従わなければ地獄に落ちる、学会に歯向かえば地獄に落ちるという考えが導き出されます。

地獄縛り

 このように創価学会は、何かにつけ「地獄に落ちる」と教え込み、マインドコントロールの掛かり具合の強い学会員程、地獄に落ちる事を恐れて、創価学会の言いなりになっているという実態があるわけです。

信心のおかげ

 願い事が叶えば信心のおかげ、叶わなければ努力不足、いい事があれば信心のおかげ、悪い事があれば信心が足りない、何かにつけ信心のおかげという事にして、その人の努力を評価しなかったり、偶然による不幸などの予想を軽視するか、無視する傾向があります。
 このような思考を植え付ける事で、信仰心を更に強めさせ、マインドコントロールの掛かりをより強化する事が可能ですが、反面、頑張っても自分の努力が評価されず、認められない為、鬱病の原因になるとも言われています。

魔・宿命転換

 創価学会は、何かにつけ、「魔」という言葉を用います。
 魔の働き、魔の仕業、魔に勝つ為……等々。
 宿命転換という言葉も好んで使われます。
 それ以外だと、試されているとか、深い意図がある、だとか。
 簡単に言ってしまうと、生起する出来事を全て創価学会に都合よく解釈する為のロジックとしてこれらが存在し、そのような思考の枠内でしか考えない人間に仕上げる事によって、マインドコントロールが絶対に解けないような仕組みになっているという事です。
 これはマインドコントロールからは話題が逸れますが、学会員達は日蓮の説いた仏法というフィルターを通して現実に生起する出来事を見る為、それ以外にも、現証がどうのとか、かなり特殊なものの見方をします。
 その為、創価学会に限らず、これは日蓮正宗にも言える事ですが、これらの宗教や宗派を崇拝する人達に対して、オカルト的だと感じる人が多いようです。長井氏が言っている死に顔の相の話は有名ですが(ちなみに現在の創価学会では、流石に死に顔の相に関してはやらなくなったようですが――ただし一定の年齢以上の会員達は人によりけりです)、異様ですよね。

葬式での死に顔を視て「苦しんで死んでる、地獄に行った」と故人の家系の宗教のせいだと結論付け悪罵する』の部分がそうです。
 その人の死んだときの顔の相として人生の結果が現れる、というのが、創価学会が属していた日蓮正宗の考えのようです。
 日蓮正宗に過激で急進的なお坊さんがいて、かなりヤバい事をやっていたようで、やはりその人も、亡くなった人の顔を見て、相がどうのという発言をして、死者に対する冒涜だと物議を醸していた事がありました。
 その件について調べていたところ、別件ですが、こうしたものを見つけました。ツイートのアドレスはこちらです。削除される可能性が高い為、スクショを貼っておきますが、こんな事をやっていたら、オカルトだと言われるのも当然ですよね……。

池田大作に対する個人崇拝

 これに関しては、時期によって強化されたり、緩和されたりと、必ずしも一貫性があるわけでない事を指摘しておく必要がありますが、この件はよく知られていますよね。
 『謗法者(=仏敵)、退転者(=脱会者)は地獄に落ちる』の項で触れた池田大作の神格化等もその為に行われているもので、教祖や指導者に対する個人崇拝は、カルトではよく見られる現象です。御存知の方も多いでしょうが、池田本佛論という馬鹿げたものもあったくらいです。
 削除対策として、ウィキペディアの当該ページの該当項目をスクショしてアップロードしておきます。

 文字が小さくて読みにくいですので、引用します。

 仏教学者の松野純孝は、創価学会で池田に対する「帰命」などが論じられたことを池田本仏論であるとした[7]。
 公明党の書記長・委員長を務めた矢野絢也は、池田大作本仏論の説明として、「(学会内部で)当時会長だった池田大作は日蓮聖人の再誕で、本仏に等しい指導者という思想だ」としている[2]。さらに矢野によると、1975年前後に一部の学会首脳によって「池田大作本仏論」なる考え方が囁かれるようになったが、その頃は池田はあくまでも信者(学会)の中の最高指導者であり、そのような個人崇拝を真面目にとらえる組織ではなかった[2]。しかし、創価学会が日蓮正宗に破門された1991年以後に宗門に置き換わるべき本尊が必要になり、(名誉会長の)池田こそ生き仏だという思想が学会内で市民権を得て一気に浮上したとしている[2]。矢野は、その原因を、創価学会における池田大作の独裁、私物化と「天下を取る」という野望から始まっていると思えてならない、としている[8]。
 自由民主党は創価学会が新進党の支持基盤であった1994年(平成6年)から1996年(平成8年)にかけて機関紙の『自由新報』に「創価学会ウオッチング」という学会批判記事を掲載。当時、起きていた池田大作に対する訴権の濫用などと絡めすでに終息していた池田大作本仏論を持ち出し、池田大作が千葉の清澄寺(日蓮が幼少の頃修学した寺)を訪れた際、そこに生える樹齢250年の千年杉に向かい、木肌を撫でながら、「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」と呟(つぶや)いてみせた件を批判した[9]。
 また自民党衆議院議員の白川勝彦によれば実現しなかったが池田大作の証人喚問が実施された場合、国会で池田大作本仏論を当の池田本人に聞く予定があったという[10]。
 日本共産党は創価学会が2002年に会則を変更し、初代牧口、第2代戸田、第3代池田の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れたことについて触れ「この規定変更はかねてより伝えられてきた池田本仏論の具現化だ」と批判した[11]。
 財団法人同和教育振興会理事の仲尾敏博は、池田本仏論を日蓮本仏論の当然の帰結であるとした[12]。

 杉の木のエピソードを別のところからも引用します。

 昭和四十九年二月十六日のことである。この日、日蓮大聖人生誕の地、千葉・小湊に蓮生寺が建立された。午前中、池田は初めて付近にある遺跡をめぐり、大聖人が法難で受けた傷を洗ったとの言伝えのある井戸までくると、側近のまえで、「たしか、あの時もこのメンバーだったなあ」とのたまわった。そして十二時ちょうど、立宗宣言の午の刻と同じ時刻に、清澄寺に登るのである。境内にある千年杉という老木のまえまでくると、やおら、「なつかしいなあ!」と声をあげた。側近達はびっくり、「これはすごい。やはり池田先生は日蓮大聖人の生れ変りに違いない」と吹聴して歩いた。

崩壊する池田創価学会 継命新聞編著

 今でもネットでネタにされる「700年ぶりだねえ」のエピソードは、池田大作が日蓮の生まれ変わりであり、杉の木と再会したというフィクションを前提として成り立った演出が出典元なんです。
 このエピソードにより、矢野氏の証言は別として、池田大作の神格化は、かなり昔から行われていた事がわかります。

奇跡の演出

 これはガスライティングとも被るのですが、昔は行われていたようです。池田大作を神格化する為に行われた演出もこれに当てはまりますが、ここで触れるのは、個人に対するものです。
 例えば、その人が、悩み事や願い事を持っていたとします。
 それは人力で叶えてあげる事が可能だとすると、水面下で本人に気付かれないように創価学会が動いて、その願い事を叶えてあげたり、悩み事を解消してあげたりするわけです。
 そうして「学会員が言ったとおりにしたから叶ったのだ」と入信勧誘を掛けたり、あるいは、かける伏線としたり、「信心の賜物で叶ったのだ」と、学会員達に対するマインドコントロールを強化する手段とするわけです。
 奇跡の演出はカルトの特徴と言われていて、教祖が終末論を唱えていると、大規模テロを起こす事で、現実に終末論が起きたのだという事にして辻褄合わせをしようとしたり、非常に危険な部分として語られています。

平気で人を傷つけ、法を犯す学会員達

 マインドコントロールによってこうした思考を植え付けられた学会員達は、学会な批判的な人や脱会者を平気で傷つけ、嫌がらせをして人為的に不幸のどん底に突き落としたら、精神的苦痛を与え続ける事を平気でし、相手を自殺に追い込んで殺害したとしても、仏敵に仏罰が下ったとしか認識しないような、極めて反社会的な人格を持つようになるのです。
 また、功徳の為なら何でもやるような人間に改造されている為、それで無冠の友と呼ばれる聖教新聞の配達をしたり、公明党への投票依頼を熱心に行うといった事もしているわけです。
 多額の財務をするのも、マインドコントロールされているが故です。

危険な急進日蓮主義

 これは触れておいた方が良いので触れますが、創価学会と言えば、大幹部の藤井富雄氏が亀井静香氏ら反創価学会の活動をしていた四名の暗殺を山口組系後藤組組長・後藤忠政氏に依頼したり、1971年にクーデター計画を練る等の問題を起こしていますが、そうした問題の背後には、戦前に猛威を振るった危険思想としての急進日蓮主義が関係していると考えられます。
 クーデター事件である226事件の皇道派青年将校の理論的指導者であった北一輝は日蓮主義者として有名で、暗殺テロ事件である血盟団事件も主導した井上日召は日蓮主義者として知られています。
 急進日蓮主義は暗殺テロやクーデターの温床となったと言われていて、旧日本軍内部でも猛威を振るったと言われているようですが、終戦後、創価学会にはそうした急進日蓮主義を信奉する旧日本軍の軍人らが入信してきたそうです。
 その事が原因で、創価学会を足場にクーデターを起こすのではないかとの噂が流れたとか、その為に国から警戒され、公安警察の監視対象に、公安調査庁の調査団体になったのではないかとする話もある程です。
 また藤井氏自身が『旧制日本大学高等工学校(現:日本大学理工学部)卒業。陸軍士官学校、第二次大戦終戦直後に創価学会に入会し、池田大作の側近として折伏大行進時代の学会を支えた』(Wikipedia『藤井富雄』より引用)とあり、そうした旧軍の将校の一人だった可能性もあります。
 また、Wikipediaの日蓮主義のページに『長松による日蓮主義は、極度な原理主義、純粋主義に依ったため、智学や日生らのそれとは逆に国体思想や国家神道、それに基づく神社参拝などの行為すべてが日蓮の教えに背く謗法として、「謗法払い」などの過度な排他性も帯びるようになった。日蓮主義との間接的な影響が見受けられる戦後の創価学会、顕正会による「国立戒壇」論や「折伏大行進」はこうした影響の産物であることは否めない』との記述もあり、創価学会が日蓮主義の影響を受けていた可能性についての言及もあります。
 学会員達が仏敵や敵対者に異常な好戦性を持ち、平気で自殺に追い込んで殺そうとしたり、執拗な嫌がらせを加えても平気の平左でいる事の裏には、マインドコントロールされている事もさる事ながら、こうした急進日蓮主義の影響も全くないとは言えないのでしょう。

人間理解を文学的に行う事の害

 人間は理性を持っただけの動物に過ぎず、狂暴である。平気で人を殺す事もする。しかし、人間は、そのような人間の凶暴性や凶悪性を直視したくないから、理由をつけてそのような行為を働いた者を「普通の人間ではない」と線引きをする事によって、精神的な安定と平和を得ようとする。
 このような解釈は間違いではないでしょう。
 事実の部分もあると思います。
 しかしそれをカルトが信者達をマインドコントロールして行われたカルトに特有の組織犯罪まで当てはめるの間違いです。
 考え方としては、このようなもののようです。
 カルトが起こしたテロ事件や異常な殺人事件の数々を、同じ人間が起こしたものだと考えたくない。そこで異質な人間が起こした問題だった事にして誤魔化そうとするロジックとして使われたのがマインドコントロールだ。人間は凶暴で凶悪であり、カルトが起こした犯罪も、所詮、人間のそういった野蛮な側面が出ただけでしかない。
 全然違いますよね。
 その人間の持つ価値観や倫理観、道徳観をぶっ壊す。カルトに都合のいい価値観や歪められた倫理観、道徳観を植え付け、カルトの指示通りに動く忠実なロボットに仕上げる。そうして作った信者達に起こさせた事件が、一連のテロ事件と殺人事件であり、マインドコントロールは確かに存在します。
 これが理解できないのは、恐らく、マインドコントロールされた人間の姿を見た事がないのでしょう。私は実際に嫌がらせに手を染めている学会員達の姿を知っているからわかりますが、マインドコントロールされると、そもそも顔つきからして変わりますし、物凄く異様ですよ。
 人にもよると思いますが、多くの人がマインドコントロールされた人間の表情として指摘するのが、無表情だというものです。感情の籠らない鉄面皮のような顔つきになると言われています。

マインドコントロールとガスライティングはカルトの信者掌握の両輪

 ガスライティングには、相手を心理的に支配する目的で行われる効果もある事を御存知でしょうか?
 以下は専門家のサイトからの引用です。

ガスライティングとは

ガスライティングとは『意図的に行われる心理的操作と虐待の一形態』です。

 相手に嘘をついて間違った情報を与えます。相手の現実感覚を狂わせて、相手に彼らが言ってることが本当だと信じ込ませるマインドコントロールの方法なんですね。
 職場、親子、恋人や夫婦関係など意外と身近な人にガスライティングをされることもあります。
 ガスライターは人間の思考やメンタルを計画的に破壊して、心理的に誰かを支配する嫌がらせの手口としてガスライティングを使います。
 悪意のないガスライティングは問題ありませんが悪意のあるガスライティングをされた場合は私たちのメンタルに大きく影響するので時に大変危険なこともあります。
 ガスライティングをする人は相手の弱っているところをついて上手にマニピュレート(操作)して感情的に操作します。
 ガスライティングをされているかもというサインがたくさんあるので、『自分はガスライティングをされているかもしれない』と気付いたら『まずこの状況から抜けるにはどうしたらいいのか』について考えると思います。

ソシオパス・マニピュレーターが心理的に人を支配するテクニック
ガスライティングを止める方法

 こちらは別のサイトになりますが。

これってもしかしてガスライティング?
 前述の通り、ガスライティングは当事者も被害に気づきにくいもの。まずは自分や身近な人がガスライティングを受けていないか、次の項目をチェックしてみて。
■ガスライティングの兆候をチェック■
◆気がつけば家族や友人と疎遠になっていた
◆ 「君が間違っている」と言動を強く否定されたり、嘲笑されたりする
◆二人の間に上下関係があり、対等なパートナーとして扱われない
◆ペットや子どもを利用し、言うことを聞かされる
◆「相手の言うことは正しい」と信じきってしまっている

モラハラ、ガスライティング…知っておきたい「精神的DV」の知識

 こちらのサイトでガスライティングに関して深く掘り下げています。

 ガスライティングについて誤解を生まないように最初に注釈すると、この行為は、実は昔からあるものです。用語として成立してからが比較的新しいだけで、手口そのものは、それこそ大昔からあります。
 そしてガスライティングが行われるのは、カップル間、夫婦間、親子間、その他、職場や師弟関係にある者等の閉鎖的空間で、その中でも最もよく起こる場所が、宗教団体の中です。小規模の宗教団体では非常に起きやすくなり、カルトの場合であれば、ほぼ100%、発生します。
 これなんかはもろに当てはまりますよね。

■支配(操作)する
ダークトライアドを有するASPDはマニピュレーターの一種でもある。ゆえに良心や罪悪感は無い。何の躊躇もなく利益目的で支配的行為を行う。最初はターゲットに対して異様に友好的であり、親切。二面性を容易に使い分ける。次にデマを流すなどしてターゲットを孤立化。親切な行為と不親切な行為を巧妙に使い分けることで、信頼関係を依存関係へと変化させ、継続的に搾取できるようにする。※詳しくは→→【身近に潜んでいる陰湿で邪悪な支配者『マニピュレーター』】

今後、激増するかもしれない『職場のガスライティング』その種類と対策について

マニピュレーターの主な支配パターン
威圧的または暴力的な支配とは異なり、マニピュレーターの支配手口は陰湿で巧妙なため通常、周囲に悟られません。
まず最初にマニピュレーターはターゲットに対して、親切に接したり特別扱いすることで信頼関係を構築。
次にデマを流すなどしてターゲットを孤立化させます。同時に親切な行為と不親切な行為を巧妙に使い分けることで、信頼関係を依存関係へと変化させます。
マニピュレーターに依存してしまうことで、ターゲットの牙は抜かれたも同然。
ターゲットは【この人に嫌われたら一人ぼっちだ ・ この人を敵に回すと何をされるかわからない・この人に嫌われるとみんなに嫌われる 】等、思うようになり、結果的に【反撃する・ 誰かに相談する・拒絶する・表沙汰にする 】等の動機が打ち消されるわけです。
しかも第3者を経由させる支配的行為などの巧妙な場合もあるため、ターゲット自身が支配されていることに【気付けない・気付きたくない・なんとなく気付いたが確証が無い】という場合もあります。
そして仮に気付けたとしても、マニピュレーターの多くは初期の段階でターゲットを孤独に追い込んでいるため、現場の誰かに相談するということが非常に困難。
また相談するにしても多くの場合、支配が陰湿なため確証(または証拠)が無く、依存関係の影響で動機も弱くなり、説得力が無くなります。次に考えたくもないことですが、相談相手がマニピュレーター側の人間である可能性も充分にありえることです。更には責任者(学校では教師、職場では上司)を抱き込んでいることも。
つまり、いつの間にか孤独や自己嫌悪に陥り、ターゲットの思考は停止。マニピュレーターにとって継続的に利益を搾取できる都合の良い人間と環境が完成しているわけです。

身近に潜んでいる陰湿で邪悪な支配者『マニピュレーター』

 読んだ人で気づいた方もいらっしゃると思いますが、これは福岡県篠栗町5歳児餓死事件で赤堀がママ友にやった手口そのものです。
 そして多くの方がこの事にもお気づきだと思います。
「ここまで強烈じゃないけど、学会員のやり口とよく似ている」
 まずは相手に近づく。友好的な態度で接し、少しずつ、さりげなく、また気取られないように、個人情報を引き出していく。人によっては、あの人があなたの悪口を言っていた、と事実無根の嘘を吐いたり、あの人は危ないから近づかない方がいい、と嘘の情報を伝えたりして、歓心を買おうとすると同時に、自分に対する依存度と信頼度が高まるように工作する。宗教の話だと分からないように、それとなく、自分の信仰する宗教に関する話を散りばめて、教義に関連する話題を入れられるように誘導する。頃合いを見計らって、これは行けそうだと踏んだら、勧誘をかける。
 これは創価学会の手口を意識して書きましたが、他のカルトにも当てはまりますよね。新興宗教の中にも当てはまるところはあると思います。
 カルトの勧誘活動は、大なり小なり、ガスライティングを働いているという事です。それが露骨であるか、そうでないかの違いはありますが、まず、入信に至るまでは、ガスライティングによって、勧誘を行う主体である信者側に、勧誘対象者の関心を引き寄せる必要があるわけです。無論、この時点で、マインドコントロールの触りに当たるような部分を実行し、既にマインドコントロールを緩やかながら実行する事もあります。
 そうして入信させたら、マインドコントロールをどんどんかけて行くわけです。それと同時に、組織や信者達に依存させ、脱会させない目的で、強力にガスライティングを仕掛けて行く事もします。
 創価学会には「外部」という言葉があります。
 学会内部の「内部」に対して、非学会員達が形成している一般社会の事を「外部」と呼んでいるわけです。敵味方の線引きを鮮明とし、内と外とに社会を分断するやり方も、ガスライティングそのものです。マインドコントロールでもこのような手法が取られます。
 このように、カルトにとっては、ガスライティングとマインドコントロールは、入信勧誘から信者達を教団に縛り付けて、教団を営んでいく上での重要な両輪になっているという事です。

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