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K君への手紙6)発達障害とひきこもり

 やっほー。手紙ももう6通目になるんだねぇ。相変わらずK君から音沙汰はなく、一方的にわたしが手紙を書いているだけだけど、まあ、そもそも届いたら奇跡、と思って勝手にやってるだけだから、いいんだけどさ。

 今日はさ、いま巷で流行っている、発達障害について書いてみようかと思って。いや、もう、この書き方でさ、「このひと発達障害ってことば好きじゃなさそう」ってなんとなくわかっちゃうね(笑) はい、キライです(笑) えっと、そうだなあ…。発達障害の人がきらいなんじゃなくて、発達障害っていうラベルを多用する世の中がきらい。昨日はなした、「自律神経失調症」とかのトリックと同じでさ、名前がついたら安心するというか、原因がわかったような気になって安心するみたいな、そういう効果はあるけど、実際なんの役に立ってるのよ、っていう…そういう、根本的な解決を先送りにしている感じがして、けっこう腹が立っているの。

 いや、ごめん、これも一個人の感想です(笑) 自分でも、こういうところ、ひねくれてるなあって思うよ。もちろん、発達障害…そうだな、ADHD(注意欠如・多動症だっけ?)とか、ASD(自閉スペクトラム症)とか、そういうラベルによって、救われる人も大勢いるんだと思う。こう…、社会で生きづらい原因がさ、自分の特殊な性質によるものだったんだ、って分かって、ちょっと楽になる気持ちはわかるよ。わたしもさ、まあ、なんていうか、自閉傾向があってさ、自閉症の人の自伝とか読むと、そうそう、これこれ、そうなんだよ! ってめちゃくちゃ共感できるし、今まで思ってたモヤモヤが言語化されると、それだけでスッキリする感じがある。そうだな…、人と目を合わせられないのとかね、自分の努力が足りないとか、人見知りが過ぎるとかじゃなくて、自閉傾向のせいだとわかると、ちょっと免罪された気分になる、とかね。まあ、楽になった部分もあるよ。

 まあね、そういう点はいいところだよね。何事にもメリット・デメリットがありますからね。うん。
 でもさ、ここからはデメリットだけど…。こう、そういう…「ちょっと変わった人」が、社会にあいまいに溶け込めなくなってるってことじゃん、そもそもさ。「発達障害」っていうラベルを、わざわざ自分で自分に貼り付けて、「発達障害だから、こういうことは苦手です。どうぞご配慮ください」って、社会に向けてプレゼンしないと、社会に居場所が作りにくいっていうね…。そういう世の中が、そもそもの生きづらい原因なわけですよ。「ちょっと変わった人」を、ことさらに槍玉に挙げて、コイツ仕事できねーな、とか、コイツ普通にできないのかよ、とか、そういうね…。分断の視線、というのかな。排除の視線。ちょっと変わった人を、ちょっと変わってるけど、でも、ま、いっか、ってかんじで、ゆるっと仲間扱いすることが、できない人が増えてる感じがするの。だからこそ、「発達障害」ってラベルは、社会になじめなくて困っている本人が、世渡りに使えるカードのひとつとして有効になるんだよね。でも、でもさ、「発達障害」ってラベルを多用することによって、そういう…ちょっと変わった人を排除するようなさ、世の中の風潮は、さらに加速していく気がするんだな。
 「LGBT(Q)」とかも、おんなじ説明があてはまるよね。個々人での、「ちょっと変わった」ケースが許されないから、こう、「LGBT(Q)」っていう知識体系を作り上げて、ラベルの知名度を高めて、そこに属する人間として、周囲の人から認めてもらうようにする…っていうさ。LGBT(Q)の情報が広まったり、その当事者が生きやすくなったりするのは、とてもいいことだと思うんだけど、でも、そのひと個人が生きやすくなるために、「LGBT(Q)」っていうラベルが必要になるような、そういう社会は悲しい。

 ラベルとかがなくても、その人ひとりひとりを見て、「あー、この人は…こういうところが苦手だったり、こういうところがちょっと変わっているけど、でも、こういうの得意で、なんか独自の視点を持っているなあ~」ってね、そういう風に、人間をとらえることができて、ちょっと変わっている人のことも、「仲間だ」って思えることができたら、いい社会なのにな、って思うんだ。そういう社会だったら、「発達障害」の人も、「LGBT(Q)」の人も、そのラベルなしでも、居心地よく生きていけると思う。理想をいうようだけどね。

 K君は、こういうの、どう思うんだろう? K君になにかラベルをつけるとしたら…、そうだなあ、「HSP」かな? ハイリ―・センシティブ・パーソン。日本では、「繊細さん」ってことばで知られていってる…ような気がするなあ。ざっくりいうと、感受性が豊かであるからこそ、ちょっと生きづらくなっちゃってる人のことだよ。どうかな、こういうラベル…。こころは楽になる? それとも、ちょっといやな気分になる? いやだったら、ごめんね…。
 でもさ…、やっぱりいちばん困るのは、「ひきこもり」っていうラベルかもね。「不登校」もそうだなあ。なんとなくさ、ひきこもる前の知り合いと、ひきこもりになってからの知り合いは、ちょっと違うんじゃないかなって。「K君が、ひきこもりになった」と、「ひきこもりの、K君」は全然ちがうもん。なんか、わたしは、だけどさ…。やっぱり、ひきこもってても、発達障害でも、LGBT(Q)でも、最初から最後までわたし個人でしかないから、「わたし」を見てくれる人とつきあいたい。ラベルじゃなくて、その人自身を見ることができる人と、かかわりたいと思うんだよね。

 ま、でも、ラベルはね…似たようなことで悩んでいる人との、つながりを作るときには便利だよね。「#ひきこもり」、で、つながれるんだもんね。そういういいところはあるよ。
 でも、まあね、空間を超えて、そうやってつながることができても、結局は、近くにいる人と、それなりに友好的にやっていかないと、ストレスが減らないような気がするんだよねえ…。「理解してくれる人」に理解してもらうだけじゃ足りなくて、「理解してほしい人」に理解してもらわないと…しんどいんだよね。「理解してほしい人」って、家族、友達、地域の人、学校の人とか…結局、近くにいる人、実際に会う人たちなんだよね。

 やれやれ、今日もなんか、複雑な話をしちゃった気がする。飲み会トークでは絶対に話せない話だ(笑) 大勢で盛り上がれない話でも、手紙だと書けるから、うれしいよ。わたしの変な話を、今日もきいてくれて、ありがとう。
 今日も、ご飯ゆっくり噛んで食べて、お風呂に入れたら入って、ゆっくり寝てね。天気が良ければ、のんびり散歩するのもいいねえ。自分のからだにやさしくして、ゆっくり休んでね。
 また手紙書きます。またね。

                           20XX年X月X日
                         やまのうえのきのこ

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