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日台交流会の追憶、日記 9/25

シーシャの匂いが充満した立方体、焼ける朝、人、レキシ

9/24,25  日記

仲の良い友達の紹介で、日台交流会というイベントに参加してきた。
そこは日本語を勉強する台湾人と中国語を勉強する日本人で溢れ、フリートークやゲームを通じて相互理解を深めるという目的の空間だった。

3時間という、母国語話者同士でも辟易としてしまうような時間が一瞬で過ぎ去ってしまうのは、ひとえに学びたいという気持ちがまだ消えていないということなのだろう。

その後、知り合いの知り合い、その知り合いと一緒に日台交流が盛んなバーに行かせていただいたのだが、そこでもたくさんの出会いがあった。

同じ趣味や信条を持った人々と話すのは刺激的で、先輩が語学学校で勉強していた頃の話や「何故台湾に来たのか」を聞くのはとても有意義な時間であった。

そこで感じたのは、自分の「何者」でもない存在だ。大学に入学する前は、
「中国語喋れるようになって、貿易とか商社とかで仕事するのかっこ良くね〜!」くらいに思っていたのだが、今現在の「何者」でもないからこそ「何者」にでもなれるという選択肢の自由度、広さは将来への希望であると同時に悩みの種である。

今は、音楽、映画、その他諸々のカルチャーを人と話すのが面白いと思うし、喋れるとは口が裂けても言えない拙い中国語を使って人と話すのが好きだし、キャッチボールも好きだし、深夜のクソでかカップラーメンも好きだ。

今は自分が楽しいと思うことをしたいし、するべきだと思う。その選択があっているかどうかは、半年後一年後、十年後noteを見返したときに判断すればいい。見返した時に正解だったと思える日々を、さまざまな人と過ごすことが、一番の経験であり、学びなのだと思う。

以前のnote「外国語を学ぶことに関する20歳現在での知見」で、言語という記号を持っていないまま外国というコミュニティーに来てしまったのを素直に「怖い」と表現した。

だが、純粋な好奇心を持って他コミュニティーに踏み込めば、未だ体験したことのない世界が待っているということを学んだ。

僕は希望を持って焼ける朝を迎え、泥のように眠った。

このシャツを着ているときはなぜだろういつでも向かい風の気がする/穂村弘



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