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景行天皇80人御子は天照素戔嗚誓約方式

やまとみずほの国に生まれて  第三十話

古事記は第十二代景行天皇に御子が80人がいたと記す。お妃不明で皇子が多いのは、第十話「天照と素戔嗚の誓約は女王と男王の確執」。皇子の一人である倭建が制圧した各地の酋長を御子として記録したからだ。日本書紀のみ天皇自ら熊襲征伐したと記録するのは、京都郡となる伊都国を隠すため。回想話「倭国の呪いが解けて邪馬台の由来が判明」、伊都は伊国の都です。

倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるわし」、古事記で倭建が詠った歌を日本書紀は奪い、さらに日向と名付けたのも景行天皇と。「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」、禊をしたのは皇祖神のととさんだ。地名は後から命名したと強弁する理由は、日向が投馬国だったことの暗号。ただ単に隠すだけでなく、復号化したら正史になるよう暗号化されている。

熊襲征伐は倭建同様に騙し討ちだけど、景行天皇のそれは現実離れしていて作り話だとわかりやすい。親分の拠点は不明なのにその娘を誘拐している。そして熊襲征伐の前に美濃行幸の逸話が記され、美人の乙姫元ネタの弟姫に拒絶され、姉の八尺之入日売(古事記も記載)を妃に迎えるのと同じころ、美濃国造の娘が美しいと倭建の兄を派遣したら木乃伊取りが木乃伊になる。

古事記のみに記される倭建の兄惨殺事件。天皇は食膳に来ない兄を教え諭せと言っただけなのにと後に恐れて冷たく当たる理由にしているが、日本書紀にはその惨殺は記されず、二人の関係は良好だ。どちらの記紀も正しいなら密通した倭建の兄を恨み、倭建に討たせたことになる。八尺之入日売は皇后の針間之伊那毘能大郎女が崩御した後立后されるが、初代皇后もおかしい。

第七代孝霊天皇皇子の和歌武彦の女が第十二代皇后とは如何に。木眉津彦と播磨から岡山へ攻め込んだことにしたいからの針間だが、讃岐から瀬戸内海を渡ったことを、第二話「吉野川は邪馬台国のナイル川」にて復号化した。伊那も長野県南部を想像させるが、実際は伊国の奈良坂だし、美濃は三野。第六話挿話「黄泉比良坂に倭国大乱の暗号」の通り、加茂野宮吉野宮だ。

制覇した土地を御子に記す暗号を隠すため女好き。奥床しく、さりげなく。

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