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倭国の呪いが解けて邪馬台の由来が判明

やまとみずほの国に生まれて  回想話

卑弥呼アマテラスではなくツクヨミだろうと必死に考えたが、これはもう神話の罠に落ちている。魏志倭人伝に登場する人物最初から神の分けない。そして、出雲と日向で戦争するから、その当時の国が大きいと勘違いする。ギリシャのポリス、都市国家ぐらいに考えるのがちょうどいい。そしてもっと勘違いして、不毛な議論を呼ぶのが倭人が発する言葉の漢字表記である。

出雲大社大国主を禁足するためですが、封印する側から派遣された祭祀の家に伝わる口伝は、阿波を隠す神話の補完に過ぎません。大体九州や出雲から東征して吉備をどう通過するのでしょう。大和王権が吉備を征服するのは崇神天皇四道将軍が初めて、しかも和歌山を含む四国の南海道へ派遣していない理由は明確ですね。歴史は繋がるから後世も見ての推理が必須です。

ちなみに、第十三話「国譲りはユダヤ天津神vsインド国津神?」にて阿波の出雲神話の舞台と紹介した高志村は、明治時代に出来た村でした。しかし、第十一話挿話「天岩戸伝説は最初の大嘗祭?」にて壬申の乱の舞台と紹介した鳴門市の大津の周りには、越の地名が数え切れないほど残っていました。前の越まであり、継体天皇の出身地も阿波、記紀とはスケールが違います。

そして卑弥呼や狗奴国の誤読や誤訳から真理から遠ざかるのですが、呪われているのが「倭国」です。第十五話「少彦名命も大物主神も大国主神」には金印奴国倭面土國の「委」も「倭」も阿波を現わす「伊」と書きました。倭のルーツは弥生時代に長江や日本列島で稲作した倭族。多少発音が違っても小人の侮蔑を込めて置き換えました。したがって、倭国は阿波なのです。

倭国を日本と考えるから倭国大乱です。実質は阿波内の小競り合い。金印は第十二話「倭面土は伊面津(橘港)金印隠しました」にて委奴が匈奴の意味と知って隠したと語りましたが、奪われそうになったから隠したかも。安全に朝貢できるよう、第一話「国生みは壮大な王権拡大プロジェクト」です。大国に成長しても伊の国です。倭の五王が阿波王なら本当に呪われてます。

伊都国だけは発音の漢字表記ではなく、本当に伊の都の意味でした。朝貢の返礼に送られた使いは伊都を訪問したので、正確に記しました。伊都国には一大率御所ヶ谷神籠石に置きます。白村江の戦いの後に山城に整備された以北を監視する適地です。伊都が都なら邪馬台も都、弥真都なんて奴もいてますが、卑弥呼いる阿波の山の都が「山都」、やっと由来がわかりました。

地名は歴史を多く語ります。水行を始めるのは中津長国である奴国の港でしょう。長国は那賀だけでなく福岡の那珂にも名を残します。魏志倭人伝には二万余戸と記される奴国は県をまたぐ大国でした。不弥国宇佐神宮のある宇佐でしょう。アマテラスの神勅により、宗像三女神はその宇佐から宗像に遷座させられますが、末廬国は宗像です。神話は意外と事実を語ります。

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