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神代七代も天を駆ける?駆けてた?

前々話、古事記序文の暗号「天と地が分れた」、中国神話では、盤古が天を押し上げて天地を分離します。古事記冒頭の天之御中主神の登場は、天地が分れた後です。前話、天之御中主神・別天津神は天を駆ける、さらに序文に天武天皇の道は黄帝に勝ると記す。

黄帝は道教の開祖、中国への対抗心が半端ないですが、古事記は天地開闢の創世神を天之御中主神ではなく、中国神話の天地創造の神である盤古に譲っていますし、天をプラネタリウムの天井、スクリーンとする宇宙観です。そして道教の最高神、玉皇大帝を北極星と同定しており、別天津神は全て身を隠すため、これを北極星の交代と紐解く。

紀元前10000年頃ヘルクレス座イオタ星、天之御中主神。紀元前7700年頃ヘルクレス座タウ星、高御産巣日神。紀元前5300年頃りゅう座イオタ星エダシク、神産巣日神。紀元前3000年頃、りゅう座アルファ星トゥバンは変光星、宇摩志阿斯訶備比古遅神を葦の芽の如く萌え上がると記す。

紀元前1100年頃コカブこぐま座のベータ星、天之常立神。今のこぐま座アルファ星ポラリスと、西暦500年頃交代だ。しかし1万年以上前から、星の観測をしていたのでしょうか、最古の楔形文字、シュメル語を粘土板に葦をペンにして記す。メソポタミア文明で使用され、最古は紀元前3400年頃、暦を記録するには文字が必須になったのでしょう。

しかし目印がない海原や、砂漠の海を渡るに絶好の道しるべ、文字が無くても、造化三神を語り続けたのでしょう。メソポタミア文明は遡れて紀元前6000年頃だから、紀元前7700年頃の高御産巣日神さえ届かない。長江文明紀元前14000年、しかし中国で決まりかは不明。遺跡や古墳は埋もれたままで、無いことの証明は難しい。

トルコ南部もうシリアとの国境近いギョベクリ・テペ、紀元前1万年から八千年の構造物は祭祀施設が有力だし、まだ未発掘の構造物は1万4千から5千年前らしい。この頃から中国と中東の交流があるなら、北極星は神だろう。砂漠のシルクロードだけでなく、海のシルクロードもあった。

別天津神は高天原にあった。高天原とは単純に天動説の天だ。次の神世七代も高天原、現在の西洋神話の星座でなく、中国の星座を尋ねたら、どの星かを特定できるかもしれない。しかし最初の二代国之常立神、豊雲野神も独神で身を隠した。オリオン座ベテルギウス、超新星爆発間近と同じ運命かもだ。

中国では天球上の領域を、三垣二十八宿と区分している。三垣は天の北極を中心に、紫微垣、太微垣、天市垣がある。紫微垣が最も中心、皇宮の異称「紫禁城」の「紫」に繋がる、。二十八宿は黄道上にあり、西洋占星術の十二座に充当する。四象にまとめ、東方青龍、北方玄武、西方白虎、南方朱雀。

東方青龍の第一宿の角宿、乙女座のスピカとゼータ星の2星。青龍の角の意味を持つ、これが神代四代の角杙神と活杙神か。五代の意富斗能地神と大斗乃弁神は斗宿、「斗」はひしゃく、北方玄武の第一宿、いて座の6星、玄武の蛇身の意味もある。南方朱雀の第一宿、井宿はふたご座の8星、単純に井戸、三代の宇比地邇神と須比智邇神、「比」の発音は「井」。残るは六代淤母陀琉神と阿夜訶志古泥神と西方白虎だが、西方白虎の第一宿は奎宿、白虎の足や倉庫や大豚を表す、アンドロメダ座とうお座の16星、名前には関連性がない。

オモダルは完成したの意味、アヤカシコネはその美称となる。「奎」は文章を司る「とかきぼし」、清書は文章の完成だし、「また、またぐら」、「両足を開いて行く様」の意味もある。七代の伊邪那岐神と伊邪那美神、まさに開いて国生みをする。イザナギとイザナミの前は、奎宿じゃないと繋がらない。だから北や東からではなく、南から星の回転と同じ向きに、三代南方朱雀、四代東方青龍、五代北方玄武、六代西方白虎。

イザナギとイザナミは、天の浮橋を伝って、天から地へ下る。だから両柱は天空には輝いていない名の有る地上の星。天津神の命を受けて、天の浮橋から天の沼矛をかき回す。かき回したのは鹽、塩は俗字にて日本でしか通じない。天の沼矛を引き上げ、滴る鹽が積もって淤能碁呂島ができる。【やまとみずほの国に生まれて】では、仁徳天皇の国見歌から特定、難波宮は鳴門から、元々吉備の和歌山に行幸する際に、淡路島に渡って、淤能碁呂島も淡島も見えると詠った。

塩を作るのはもちろん海水、天の沼矛は鳴門の渦潮だろう。オノゴロ島に天降り、八尋殿を立てて国生みを始める、しかしイザナミから声をかけたのが悪く水蛭子となり葦船に入れて流す、吉野川はヨシ野、吉原の宝庫だ。徳島市上助任町蛭子、吉野川の河口近くに地名が残る。

次に生んだ淡島、蛭子ではないが子の数に数えないのは、イザナギから声をかけて生む、正式な子の四国にあるから。淡路島から見えたオノゴロ島は、蜂須賀家が築城した城山。当時海岸線が迫る海城、旧名は「渭水」の「渭」の「渭山」、淡路島からは渭山の奥の眉山も島に見え、淡島は眉山、眉山は徳島のシンボル、さだまさしの小説は映画化された。

しかしイザナギとイザナミは、命じられて天降った。自らの意思ではない。天から地への島流しじゃないか。人類のグレートジャーニー、飽くなきパイオニア精神、食料を求めて山を越えても、島影がない海は渡れない 。渡海は口減らしか重罪人の島流し、運が良ければ生き残る。

仏教の宗教行為、補陀落渡海、浄土は南にあるとして、嫌がる僧侶を舟に閉じ込めて太平洋へ送り出す。補陀落渡海は中世に、土佐や熊野で行われた例が多い。古代中国でも太平洋への出航は、罪人の島流しではないか。徐福第一回目の出航は紀元前221年、実際には船出せず、秦の始皇帝から金品を巻き上げた詐欺師の伝説がある。二回目の出航は紀元前210年、詐欺師の罪の島流し。イザナギとイザナミの天降りは、徐福島流しの暗号。

徐福が目指した蓬莱山、蓬莱は竹取物語にも登場する。かぐや姫が車持皇子に与えた試練が「蓬萊の玉の枝」。かかさんが車持氏から、藤原不比等がモデルの説がある。これはもう「逝ってらっしゃーい」てことですね。

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