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天岩戸伝説は最初の大嘗祭?

やまとみずほの国に生まれて  第十一話挿話

第十一話「八咫鏡は魔鏡(卑弥呼は二度死なない)」にて、八咫鏡魔鏡と書いた。八咫鏡は後に三種の神器になりますが、他の二つの神器は草薙剣八尺瓊勾玉、それぞれ大和王権の武力と祭祀力の象徴です。しからば八咫鏡も皇統の正しさの証しだけでなく、何らかの意味があるはずです。天岩戸とは卑弥呼の他界、ツクヨミが本当に隠れた後、アマテラスが引継ぎました。

現代は天皇即位の大嘗祭の際に、阿波忌部三木家より献上された麁服を纏うことにより天皇になります。ツクヨミが隠れた天岩戸からアマテラスが現れますから、この大嘗祭の儀式を神話化したのが天岩戸ではないでしょうか。しかし、天皇家は万世一系の祖である天照大御神が私と思って大事にせよと命じた八咫鏡を手放すばかりか祟りを畏れて、祀る場所が二転三転します。

最終的には天照大御神と共に伊勢神宮に祀られますが、持統天皇が参拝してから明治の世まで参拝する天皇はいませんでした。伊勢神宮に祀った理由を平城京との位置関係が、八咫鏡と草薙剣を宮中の外に祀った崇神天皇の宮があった美馬市と、阿波で最終的に八咫鏡を祀った小松島市にある日峰神社の位置関係が同じになるよう伊勢の地を選んだと阿波邪馬台国説は語ります。

持統天皇は孫の文武天皇の繋ぎとして女帝となることを正当化するために、天照大御神を女神に変身させました。日峰神社の主祭神は大日霊貴神です。霊が女の部首の孁ではないので、まだ女神には変身していないのでしょう。持統天皇は最後まで完成した藤原宮へ行かなかったとも言われているので、持統天皇が参拝したのは伊勢神宮ではなく日峰神社でないとおかしいです。

ちなみに阿波邪馬台国説では、持統天皇の宮は鴨島にあったと解説します。
歴史学者は飛鳥から吉野川までの長距離移動を考え、持統天皇の吉野宮への行幸が31回もあったことを疑いますが、鴨島なら阿波の吉野川は目の前。さらに鳴門市に大津の地名も残ることから、壬申の乱も阿波だと語ります。こちらも神速行軍や近畿に戦跡がないと訝しがる歴史学者を納得させます。

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