やまがたまさゆき
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文化は原初から遊ばれるものであった。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を読む(2)第2章「遊び概念の発想とその言語表現」&第3章「文化創造の機能としての遊びと競技」
文化の読書会、前回からヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中公文庫版)を読み始めました。ちなみに、講談社学術文庫版もあります(持ってます)。 https://amzn.asia/d/96CmsqB https://amzn.asia/d/3QUOsvi 今回は、「遊び」の言語表現を博捜する第2章と、ある意味で本書の総論的な位置付けともいえる第3章を読みます。 摘 読。「あそび」「あそぶ」の言語表現:第2章 ここでは、さまざまな言葉を通じて、「あそび」を意味する言
日常生活から、敢えて離れて「演じる」こと。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を読む(1)第1章「文化現象としての遊びの本質と意味」
文化の読書会、今回からはヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中公文庫版)を読みます。ちなみに、講談社学術文庫版もあります(持ってます)。 なぜ、この本にしたのか。今回は、私から提唱した記憶があります。 別に、私自身「遊び」が上手だという意識はありません。何なら苦手意識すらあります(笑)だからこそ、なのかもしれません。読みたくなったのは。 同時に、がっつり細かく計画を立てていくのも苦手。つねに「遊び」の部分を用意しときたい人間でもあります。そういう意味で、「遊び」とい
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【思索の漏れ落ち】サービスドミナント・ロジックをめぐって_01(続編があるかどうかは知らない)
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「語り」の根源性:語られた言論と書かれた言論の交錯、そこから哲学(史)が生まれる。納富信留『ソフィストとは誰か?』をよむ(7)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。今回は、納富先生の第2部第8章「言葉の両義性」と結章を読みます。 摘 読:第8章を中心に。ここで取り上げられるのは、今となってはほとんど注目されていないソフィスト・アルキダマスである。彼はゴルギアスの弟子であり、在世中にはきわめて重要で有名な弁論家であった。にもかかわらず、すでに紀元3世紀のフィロストラトスの『ソフィスト列伝』にお
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関係性のなかで定まっていく〈正義〉あるいは〈不正〉:道徳哲学の淵源として。アリストテレス『ニコマコス倫理学』をよむ(5)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試みの第6回。 今回は、アリストテレス『ニコマコス倫理学』の第5巻。毎回注記してますが、巻といっても、現代的な感覚でいえば“章”に近いです。今回は、正義と不正と題された巻。前の巻では〈中庸〉が採りあげられたが、それを他者との関係性に拡張した議論とみることができそうだ。 読書会での設定文献は↑の翻訳だが、最近になって以下の文庫版の存在も