やまがたまさゆき
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激しく、憂鬱な生活から生まれた“生活の美”。ホイジンガ『中世の秋』を読む(1)第1章「はげしい生活の基調」&第2章「美しい生活を求める願い」
ちょっと間が空きましたが、今回からこちらを読みます。 前回まで、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を読んでいました。こちらについては、1章ごと順に読んでいくのではなく、最初は全員で、そのあと関心ある章を選んで分担するかたちにしました。今回は、以前のやり方に戻して、順に読んでいくかたちの予定です。 さて、今回は第1章「はげしい生活の基調」と第2章「美しい生活を求める願い」の2章を読みます。今までの読み方であれば「摘読」と「私見」という構成で書いていたのですが、読んでみて「摘読
ことばの多面性と限界で遊ぶ営みとしての“詩”。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を読む(3)第7章「遊びと詩」&第8章「詩的形成の機能」
文化の読書会、前回からヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中公文庫版)を読み始めました。ちなみに、講談社学術文庫版もあります(持ってます)。 今回は、メンバーで関心のあるテーマの章を採り上げて読み合うかたちをとります。私は、詩をめぐる第7章と第8章を読みます。 いちおう、本書の構成を自分の備忘のために書き留めておきます。 摘 読。第7章遊びと詩 第7章において、ホイジンガは詩的創造について問う。というのも、高度に組織化されてしまった社会形態のなかでは、宗教、科学、
文化は原初から遊ばれるものであった。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を読む(2)第2章「遊び概念の発想とその言語表現」&第3章「文化創造の機能としての遊びと競技」
文化の読書会、前回からヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中公文庫版)を読み始めました。ちなみに、講談社学術文庫版もあります(持ってます)。 https://amzn.asia/d/96CmsqB https://amzn.asia/d/3QUOsvi 今回は、「遊び」の言語表現を博捜する第2章と、ある意味で本書の総論的な位置付けともいえる第3章を読みます。 摘 読。「あそび」「あそぶ」の言語表現:第2章 ここでは、さまざまな言葉を通じて、「あそび」を意味する言
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新自由主義って何っていうメモ。
この投稿を見るには メンバーになる必要があります【思索の漏れ落ち】サービスドミナント・ロジックをめぐって_01(続編があるかどうかは知らない)
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日常生活から、敢えて離れて「演じる」こと。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を読む(1)第1章「文化現象としての遊びの本質と意味」
文化の読書会、今回からはヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中公文庫版)を読みます。ちなみに、講談社学術文庫版もあります(持ってます)。 なぜ、この本にしたのか。今回は、私から提唱した記憶があります。 別に、私自身「遊び」が上手だという意識はありません。何なら苦手意識すらあります(笑)だからこそ、なのかもしれません。読みたくなったのは。 同時に、がっつり細かく計画を立てていくのも苦手。つねに「遊び」の部分を用意しときたい人間でもあります。そういう意味で、「遊び」とい
「語り」の根源性:語られた言論と書かれた言論の交錯、そこから哲学(史)が生まれる。納富信留『ソフィストとは誰か?』をよむ(7)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。今回は、納富先生の第2部第8章「言葉の両義性」と結章を読みます。 摘 読:第8章を中心に。ここで取り上げられるのは、今となってはほとんど注目されていないソフィスト・アルキダマスである。彼はゴルギアスの弟子であり、在世中にはきわめて重要で有名な弁論家であった。にもかかわらず、すでに紀元3世紀のフィロストラトスの『ソフィスト列伝』にお
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