激しく、憂鬱な生活から生まれた“生活の美”。ホイジンガ『中世の秋』を読む(1)第1章「はげしい生活の基調」&第2章「美しい生活を求める願い」
ちょっと間が空きましたが、今回からこちらを読みます。
前回まで、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を読んでいました。こちらについては、1章ごと順に読んでいくのではなく、最初は全員で、そのあと関心ある章を選んで分担するかたちにしました。今回は、以前のやり方に戻して、順に読んでいくかたちの予定です。
さて、今回は第1章「はげしい生活の基調」と第2章「美しい生活を求める願い」の2章を読みます。今までの読み方であれば「摘読」と「私見」という構成で書いていたのですが、読んでみて「摘読」が難しいというのを感じています。というのも、ホイジンガは当時において生じていたことを、該博な資料博捜を通じて描き出すという方法を採っているからです。私自身は、こういう書き方、論じ方は嫌いではないです。とりあえず、雑駁になりますが、まずは摘読からしてみようと思います。
摘 読。
ホイジンガが描き出そうとするのは、14世紀から15世紀前後のネーデルラントである。このころの生活は、民衆も貴族もきわめて激しいものであった。激情に動かされていた。祭礼や処刑、さらに富と虚飾への執着に対する攻撃などなど。それらの記述は、かなりの誇張も含まれていよう。けれども、そう書くことがよいと考えられていたわけである。シャロレー伯と呼ばれていたのちのシャルル突進侯が父侯に年金や知行を取り上げられてしまったときに家臣たちに語りかけた逸話(訳書30-31頁)は、それをものがたったシャトラン流のやり方である。そこで描かれているのは、叙事詩風のきまじめさのうちに発揮された君臣相互の信頼と忠誠の情の、そのもともとのかたちでの発露である。
当時の統治機構は、すでに複雑なものとなっていた。しかし、民衆の心に映る政治のしくみは、民謡や騎士物語にあらわれるそれであった。重税にあえぐ市民たちは、当然不満を抱いていたが、納めた税についての発言は封じられていた。その不満は、物語の領域に還元された。それゆえ、君侯たちは利害や打算だけでなく、情熱の衝動によっても動いていた。そこに、権勢欲が重なると、さらなる激しさを加えることになった。当時においては、18世紀のように社会生活のいりくんだメカニズムを通じ、さまざまなやり方で、ちゃんと決まった水路に、情熱の奔流が分流せしめられるということは、まだなかったのである。
そういった感情ないし情熱の激しさは、裁判や処刑においても同様であった。そこには、残忍さと慈悲深さが鋭く対照的に、生活の諸相にあらわれていた。貧しい者や身体障碍のある者への恐ろしいまでの残忍さと、心うたれる優しさが同時に存在していた。
残忍さと慈悲深さ、さらに華やかさが同居していた当時の生活は、多彩であった。極端から極端へと揺れ動いて生きていた。ただ、この当時の「明るさ」を今に伝える報告は少ない。この時代に大手を振ってまかり通っていた傲慢や憤怒、貪欲といった大罪は宗教改革以降、その影をひそめることになる。けれども、14世紀においてはまだ貪欲と古い傲慢が、激情とつながっていた。
そのようななかで、ひとびとは美しい生活を求めた。しかし、14世紀や15世紀はオプティミズムによって描き出そうとする時代ではなかった。自分の生きている時代への希望と満足を表明したのは、詩人でも宗教思想家でもなく、人文主義者だった。それはキリスト教の信仰ともつながっていた。にもかかわらず、たとえばユスタシュ・デシャンが詠いあげた陰鬱な主題の詩のように、ペシミズムが基盤となるものが多かった。
ただ、美しい世界を求めるということがなかったのではない。それには、三つの道がある。ひとつは俗世放棄、ふたつには世界そのものの改良と完成の追求、そしてみっつめに夢みることである。ここでホイジンガが留目するのは、みっつめである。文化がプリミティブであればあるほど、厳しい現実から美しいみかけへの逃避が生じる。そして、それは生活そのものを美をもって高め、社会そのものを遊びとかたちで満たそうとする。
ホイジンガは、中世の生活をこの観点から捉えようとする。つまり、生活の美という観点である。ことに、ルネサンスとそれ以降では生活と芸術の分離という点で、潮目があるという。それが起こる以前=ルネサンス以前においては宗教的な倫理意識と美の感覚は分かたれてはいなかった。生活や儀式、さらには処刑においてまでも「礼法」が重視されたのも、そのあらわれである。美徳と美は別物ではなかったのである。戦争においてさえ、作法の無視は許されなかった。プリミティブな要素と激しい情動、そして洗練された作法、この三者が一体のものとして受けとめられていた。
そこにおいて、美は「芸術」としてではなく「モード」として表現されていた。それゆえ、美術や文芸などにかすかなりとも足跡を残すことなく通り過ぎてしまったのである。そういったことは、服飾などに具現化されていた。服飾は単にその人を飾るだけでなく、厳しい身分秩序をも示し、また人と人との関係性をもものがたっていた。
このように、あくまでも明晰に、入念をきわめて、人間関係にかかわる美学がしあげられていた。その美的内容が深く、精神的価値が高ければ高いほど、その人間関係の表現は純粋な芸術に近づく。これは、生活のなかにおいてしか表現されえない美だったのである。
私 見。
『ホモ・ルーデンス』のときにも感じたことだが、ホイジンガの叙述は、おそらく現代的な意味での科学的文体ではない。読みやすいか読みにくいかでいうと、読みにくい。歴史的な叙述をするにしても、現代であれば、もっと整理したうえで、ということになるだろう。
とはいえ、この読書会でブローデルなどを読んできたおかげか、私個人の好みなのかはともかく、こういった文体にある程度の「慣れ」も出てきたように思う。Wikipediaの「心性史」の項目によれば、アナール学派による心性や想像力の世界、日常的思考などを解き明かし、歴史を記述するアプローチという特徴を持ち、学派を生んだわけではないけれども同様の発想を持つ歴史家としてホイジンガも位置づけられている。
今回、この本を読みながら、このようなアプローチをより精緻なものにすると池上俊一『ロマネスク世界論』や『ヨーロッパ中世の想像界』のようなかたちになるのかな、などと思ったりもした。ちなみに、『ロマネスク世界論』では「直観や歴史的センスを頼りに叙述する」「従来の優れた歴史家」(17頁)という位置づけで名前が挙げられている。そう考えると、私の直感も、あながち外れているわけではないのかもしれない。
そして、今回このふたつの章を読みながら、さほどちゃんとは読んだことがないギアーツのアプローチをふと想起したのだが、手許にあるギアーツの『ローカル・ノレッジ』にはホイジンガへの参照も記載されていた。
最近なんだか忙しすぎて、ろくに研究らしいこともできていないのだけれども、Entrepreneurshipへの美学的・詩学的アプローチというとき、この心性史の方法は重要であるようにも思う。ちょっと前に買って、あまり読んでいないアラン・コルバンの著作とも併せて、このあたりは整理しておきたいところ。
さて、今回のふたつの章を読みながら、まだ“純粋な芸術”の生まれていなかった時代としての14世紀から15世紀にかけて、生活のなかに美が見いだされていたことを詩や絵画、音楽、服飾など、当時の生活のさまざまな表現(ある意味、これらは断片でもある)から読み取ろうとするホイジンガの姿勢が感じられた。本文のなかでも、生活の美化といった言葉が用いられていた。これらは、現代における“日常生活の美学”とはおそらくまったく別個に成り立っている。けれども、一方で生活と美がいったん別物として措定された近代を挟んで、何か共通するところがあるのかもしれないと思ったりもする。ことに、この叙述の方法という面では、かなり参考になりそうである。
ホイジンガの方法に関する論文として、以下をみつけた。
この論文が載っている『エモーション・スタディーズ』という論文誌、日本感情心理学会という学会が刊行しているようで、なかなか興味深い論文がいろいろある。
それはさておき、このホイジンガ『中世の秋』、じつは最初のうち『ホモ・ルーデンス』よりも退屈するかなとか思っていたのだが、なかなかどうしてそういうことはなさそうだ。時間はかかるかもしれないけれども、ゆっくり読んでいきたい。
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