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文化とビジネスの不穏な関係にちゃちゃ(!)を入れる

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文化をどう定義するかはさまざまですが、基本的に人が生きるための工夫です。そうなんですが、なんか本末転倒みたいな話って多いのです。例えば、はっきり言うかどうかは別にして「ビジネスの… もっと読む
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記事一覧

デザインとアートの接近をみる

従来の枠組みが壊されても、すべてがボーダーレスになるわけでもなく、なんらかの新しい区切り…

スマートホームにおける親子のもめごと

最近、欧州のある研究機関のアンケートに回答する機会があり、質問のひとつに「あなたは、技術…

インテリアの色の選択に潜む「内なる保守性」を壊そう!

インテリアの色を考えるのって、結構、保守的になりやすいと思います。白の壁を基調とすると、…

企業の採用担当者って、世の中のことをもっと勉強したら?

文系修士の採用を避ける人事担当者がいるなら、それは「採用担当のあんたが悪い!」と言わざる…

「悲観論は無意味で有害だ」と言った方が良いのか?

楽観的なことを言っているとアホかと思われ、悲観的なことを言っていると賢いと思われる・・・…

親が学校教育を終えた子どもにできること。

親が子どもの学校教育終了後の進路にどこまで相談にのれるのか、あるいはのった方がよいのか、…

快楽と幸福。“teleiosな状態”はどこにあるのか。リストテレス『ニコマコス倫理学』をよむ(10)。

アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。 今回は、アリストテレス『ニコマコス倫理学』の第10巻。いよいよ最終巻。毎回注記してますが、巻といっても、現代的な感覚でいえば“章”に近いです。今回は、幸福に関する内容。アリストテレスが、ひとまずこの本において述べられたいことのゴール(そして、その先)が述べられています。 読書会での設定文献は↑の翻訳だが、最近になって以下の文庫

活動なしに快楽は生じない。同時に、あらゆる活動を完全なものにするのも快楽である。

文化の読書会ノート。 アリストテレス『ニコマコス倫理学』第10巻 快楽の諸問題と幸福の生 …

ガストロノミーとしての「ラザニア」の楽しみ方

ガストロノミーが注目を集めつつあります。ガストロノミーは料理を中心として文化や歴史などあ…

友人の誕生パーティーで出逢った人たち。

先週末、ミラノから東南に300キロほどいったファエンツアに出かけました。アイルランド人の友…

書き言葉は話し言葉の影に過ぎない

文化の読書会ノート 納富信留『ソフィストとは誰か』第2部第8章 言葉の両義性ーアルキダマス…

『パーフェクト・デイズ』と国際コラボレーション

ヴィム・ヴェンダース監督の『パーフェクト・デイズ』をミラノの映画館で観ました。 イタリア…

ミラノサローネの模索の軌跡が面白い。

空間の「温度」は大切な要素です。摂氏何度ということではなく、空間の雰囲気が暖かいか冷たい…

伊仏の料理から新旧ラグジュアリーを考える場。

「ラグジュアリー」と呼ばれる、あるいは認知されることを多くの視点と長い時間からみることに意義があります。ラグジュアリーを一つの分野や歴史の断片で語ってもあまり意味がありません。その意図でForbes JAPANの連載も「ポストラグジュアリー  360度の風景」とのタイトルで書いてきました。 だが、料理をラグジュアリー文脈で正面から取り上げたことがありませんでした。ボローニャ大学の博士課程でイタリア料理史を研究する中小路葵さんから次のことを伺い、「これだ!」と思いました。