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試みて、つないでくれた第14期へ。

例年、卒業とゼミの修了に寄せて、蕪雑ながら一文を送っています。いくらか編集したうえで、noteでご披露いたします。

※ 秘伝のタレみたいなものなので、過去のメッセージと重なる文章がありますが、これは意図的なものです。


卒業式から丸二日経った。あらためて卒業おめでとう。みんなが色紙に寄せてくれた言葉たちをしみじみと読んだ。ありがとう。

もう遥か前のことのようにも感じるが、コロナ禍のなかで入学式さえできず、よくわからないままで全てオンラインでおこなわれる講義や基礎ゼミ。みんなにとって、予想もしなかった大学生活だったに違いない。とりわけ、みんなの場合は、それをもろに被った学年だった。まさか卒業式まで雨になるとは思わなかったが。でも、謝恩会も含めて気兼ねなくできたのはよかった。

こんな和歌がある。

飛ぶ鳥の送りの翼しをるらし雲路雨なる春の別れに

ーかなたへと飛んでいく鳥は春を送ってゆく。その羽ばたく翼は雨で濡れてしまっているようだよ。3月の終わりに降る雨のせいなのか、この春に別れを告げていくゆえなのか。

『玉葉和歌集』春下289/伏見院御製;現代語釈は私意による

ちょっと読むと悲しさを感じる一首なのだが、雲路の先には青空があると考えれば、見え方も変わる。コロナ禍という雲路をかきわけながら歩んできたみんなだ。その先へと飛び立っていく先には、広々として清々しい世界が必ず待っている。

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14th。何とかゼミ選考が済んで、可能な隙間を縫うようにして、やってきた。LINEのアルバムを見返してみると、プレゼミから2023年度はマスクしてるか、zoomか。それでも、輪読もプロジェクトも精一杯やってくれた。予約はもちろん感染対策まで念入りに準備していた合宿が直前でできなくなった(大学による指示)のはつらかったけど、それでも飲み会やBBQは何とかできた。とはいえ、卒業式の後の謝恩会から梅田に向かう道すがら、このメンバーで合宿できてたら楽しかっただろうなって、ふと思った。これが、大きな心残りではある。

それでも、この第14期はいろんなことを試みてくれた。
プロジェクトでも、まだコロナ禍が続いているなかだったから、できないことも少なくなかった。だから、というわけでもないと思うのだが、どこかでその制約を撥ね返そうとしていたのかもしれない。それぞれ設定したゴールが結実したものもあれば、そうではないものもある。それは結果だから、全く問題ではない。俺から見たら、どのプロジェクトも多くの知見と成果があった。

それ以上に、制約のなかで試行錯誤し、企て、実現しようとする執念といってもいい姿勢こそが、第13期からの継承と、第15期への展開を可能にした。みんなが気づいているかどうかはわからないけれども、第14期がプロジェクトを通じて試み、やってきたことは、この価値創造デザインプロジェクトにとっての一つの転換点(もちろん、いい意味での)となっている。それは、重要な成果として、確実に次の代に受け継がれている。

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2023年度の卒業論文。近畿大学経営学部のなかで、卒論が厳しいゼミであることを知ってウチのゼミに入ってきたメンバーもいれば、知らなかったメンバーもいるはず。ただでもコロナ禍で情報が少なかった世代だ。後悔したメンバーも、きっといるはず。けれども、ちょっとでも自分が興味を持ったテーマについて、とことんまで探求すること、それを言語によって表現し、他者に伝えることの難しさとともに、楽しさも感じてもらえたら何より嬉しい。

論文で書いたことそのものが役に立つことは、おそらく少ない(笑)けれども、自分なりに生じている現実を捉え、そこから問いを立て、先行する研究などを読み込み、調査分析などをして、考察し、自分なりの見解を提示するという卒論でやってきたプロセスは、みんなの意識しないところでベースになる。それだけの基礎は叩き込んだつもりだ。自信を持っていい。

卒論のゼミでは厳しいことを言い続けたが、いい仕上がりになった論文もたくさんあった。何やかんや言うても、みんな真面目にやってくれていた。21名それぞれに個性も特徴も気質も違う。それをベースにしながら、「完走」してもらうことが、俺のやるべき課題だ。そして、途中で挫折しそうになったり、ちょっと遅れたりしたのもいたけど(笑)、ちゃんと全員「完走」できた。ほんとうによく頑張った。

はっきり言って、卒論指導は手を抜いて楽にやろうと思えば、いくらでもできる。というか、世の中のことのほぼ全ては手抜き可能である。何に力を入れるか、それも人によって異なる。それでいい。ただ、山縣ゼミを志望してくれた段階で、ほぼ全員が「学びも遊びもガチで」に魅かれた、そう面接で言うてくれる以上、いい加減なことはしたくない。その、大学でのガチ学びの一つの到達点が、個人プロジェクトである卒業論文なのだ。ゆるくやることを悪いとは言わない。しかし、そんなのはみんなにとって何の意味もない。ちなみに、「こういうふうに論じていたら、もっとよりよくできたかもしれない」という思いは、何らネガティブなものではない。むしろ、完結してしまう学びのほうがダメなのだ。「学び続ける」とは、そういうことなのだ。小さな歩みでもいい。新しい世界が切り拓かれていくことを願っている。

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みんなにとって「学び」とは、大学の4年間を通じて、どういうものになっただろうか。これからおそらく、望むと望まざるとにかかわらず、「学び続ける」ことが求められるようになる。これからの社会は、われわれが思っている以上に動揺するかもしれない。動揺する社会のなかで、自由であるために、そして平和に過ごすためには、さまざまな状況をよく見て、よく考えて、そして自分自身の「構え」をしなやかに整えていくより他にはない。それこそが、「学び続ける」ということなのだ。だから、学び続けるとは、単に知識を増やすことではない。もちろん、知識も結果として増えるが、大事なことは自分の視座が拡がっていくこと、深まっていくこと、これが大事。そして、そこでは他者への想像力がクリティカルに重要になる。これは、ビジネス的な成功にだけ必要なことではない。日々の生活においても、欠かせない。このことの大事さがわかっていたら、大学で4年間学んだ意義は十分にある。

もう一つ。第14期に特徴的だったのが、上の代とも下の代ともつながりをつくってくれていたことだ。卒業式の日、もちろん全員ではないにせよ、第13期と第15期、さらに第16期まで来ていたのははじめて。なぜかまでは知らない(笑)。けれども、それはやはり第14期が前後をつなぐ役割を担ってくれていたからだと思う。

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ゼミで学んだこと、遊んできたこと。もちろん、その縁がずっと続いてくれるなら、それほど嬉しいことはない。ただ、いつの間にか距離ができてしまったとしても、それは消えない。ふとしたときに、この2年半ほどの時間のあいだに経験してきたことは、光を放つ。それは、きっとみんなが何かに迷ったときに、進むべき方向を示してくれるはずだ。その光の方向に自信が持てなくなったら、また来ればいい。磨き直してやるから(笑)

人生におけるさまざまなことたちは、光の当て方で映じる姿もかわる。自分自身という存在がわからなくなることだって、たくさんある。けれども、一人ひとりの人間という存在は、かかわりあった人たち、そして周りにあるモノたち、そういった諸々との関係性のなかで、つねに生まれ続けていくものだ。この2年半余りの山縣ゼミ第14期として生まれた、たくさんの関係性もまた、みんなそれぞれの「自分自身」を構成している。もちろん、私についても同じだ。それは、いつ、どこで、かはわからないけれども、必ずみんなそれぞれのこれからの人生を支えてくれる。

謝恩会で、ふと以下の歌が頭をよぎった。翌日に所用があるとはいえ、謝恩会だけで帰宅しなければならなかったからというのもあるのかもしれんけれども(笑)

「ここで起きた全てを / 裏表に刻む音 / うやむやに混ざる頃 / 帰りたくないのと / 形の無いなにかを / 共に過ごした確かを / 守りたいと思ったの」

『Cheers』(feat. Tani Yuuki & 菅原圭)作詞:Tani Yuuki

いつもの代よりも少し野生味がある、そしてそれゆえに現れるいい意味での渾沌さをもつ第14期の雰囲気は心地よいものであった。ぜひ、この関係性を続けてほしい。

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最後に、私の好きな言葉を贈る。

「幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ。多くの出来事を乗り越えねばならない。大勢の敵と戦わねばならない。負けることだってある。乗り越えることのできない出来事(中略)が絶対にある。しかし力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。これはおそらく至上命令である。幸福になろうと欲しなければ、絶対に幸福になれない。」

アラン『幸福論』岩波文庫、312頁

そして、アランはこうも言う。

「他人に対して、また自分に対しても親切であること。他人が生きるのを支えてあげること、自分が生きていくのも支えてあげること。これこそ、ほんとうの愛徳である。親切とはよろこびにほかならない。愛とはよろこびにほかならない。」

アラン『幸福論』岩波文庫、246頁

私がみんなに伴走するのは、これでいったん一区切りだ。もちろん、リズムを取り戻したいときには、いつでも戻ってくればいい。大学のカリキュラムとしてのゼミは終わるとしても、関係性としてのゼミはこれからも続く。だからこそ、ここはみんなに開かれている。

これからの長い人生、どうか心も身体も健やかであるように。ただただ、それを願う。また会おう。

2024年3月25日
山 縣 正 幸

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