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書評14年目、夫14年目、雇われ11年目、教育9年目、選書7年目、父親6年目、Kairos研究6年目、群馬県民5年目、人類学3年目 http://naokiyamamo.to Sense of Wander,Chance of Wonder,Source of Becoming

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    ノンフィクション書評サイトHONZ(2011−2024)のアーカイブ

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「未来」という科目が受験科目になる未来

お勉強を積み重ねた大人が起こす不可解な事件や嘘の発言。 偉い人を守るために嘘をついたら、その行為が報われる社会。 それは、(偉い人のために)努力するものが報われる社会、のあり方? 子どもたちに説明のできないニュースが多すぎる世の中、それは、模範がなく、規範が揺らぎ、未来が薄暗い社会である。 そんな中でも、希望をもって「こんな社会だったらいいな」と妄想を膨らませつつ、未来への期待と絶望の両方を考えられる子どもたちが増えること。それが僕の考える「こんな社会だったらいいな」であ

    • 子どもの2つ目の習い事を選んだ

      前提1:5歳10ヶ月のころ 前提2:急にピアノをやりたいと言いはじめた(1つ目の習い事) 前提3:過去に公文式の体験にいこうとしたら、建物にさえ入らなかった ①子どもが「やってみたい」というまで待った あるとき、ピアノをやってみたいといいはじめた。動機は仲のいい友達がやっているから。過去に公文式に無理やり連れていこうとしたら、教室にさえ入らなかったことがあり、無理はさせない。 ②さまざまなスポーツや習い事に見学と体験に行った 他にもやってみる?と聞いたら、前向きだった

      • 4444(ボンボンボンボン) de 四十路街道

        ベトナムのビールに333(バーバーバー)がある。30代に良さそうである。 40になって、気になるのは、4444。4はボンと読む。 ボンボンボンボン なんだか、金持ちのドラ息子が二人いるような、爆撃されているような。気分を転換して、英語で考えてみるなら フォーフォーフォーフォー レイザーラモン、いつも以上に叫んでいるやん。 シッシッシッシッ なんか、邪魔かなぁ。 ヨンヨンヨンヨン これが一番、優しいなぁ。 4444で考える40代4が4つ並べば、16である。これ

        • 40歳とかいう節目と向き合ったら、15000日のほうが大事じゃんとわかった件

          40歳になったけど、なりきれなかった事情2023年12月、夜中にサンタがプレゼントを枕元に置くのに忙しい日。 四十路街道に向けて右折した。行列ができ、信号待ちを4回程度して、ようやく曲がれた感じだ。ということで、左折ではなく右折である。 毎年思うことなのだけれど、年の瀬に誕生日があることはラッキーだ。1年を振り返る上で一石二鳥、一度に二度美味しい。 40歳になった2023年は前述の通り右折だった。修士論文執筆で気分も時間も脳内も身体も渋滞し、どん詰まりだった。 完全な想

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        記事

          「わかる!」の快感

          わかったとき、快感がある。 クイズとか、パズルとか、テストとかでも感じられるあれ。 万人に共通の答えがある問いに対し 「わかる!」 は快感がある。ただ、それなりである。 答えの見えない問いに対し、自分なりの答えが見えたときの 「わかった!」 はもっと快感である。 そして、答えのない問いに対しての自分の「わかった!」 は人に理解や共感してもらえるかわからない。それを共有するときのドキドキと共感や理解が得られたときの安心感と興奮は、こっそり心の中で楽しめるもの。 た

          「わかる!」の快感

          俯瞰と没入の往還

          抽象と具体、直観と論理、優しさと厳しさ、自由と権利、、両立が難しいことはたくさんある。 まだ、頻繁に語られていない両立が難しいものとして、俯瞰と没入(没頭)があると思う。 俯瞰は時間と空間をひいて、空間はマクロに時間は長期にもち、全体感をもつというイメージだ。 没入は時間と空間を忘れて、空間はミクロに、時間は消えるイメージだ。 俯瞰モードのときは、没入しているときのことを考えられておらず、そのため、計画の精度が落ちる。 没入モードのときは全体感を持てておらず、想定外の方

          俯瞰と没入の往還

          37歳で社会人大学院入学した経緯を、40歳で修了したときに書いてみる

          30代までに大学院を卒業したい30代までに、大学院卒業したい。考え始めたときのなんとなくの理由と動機である。そして、卒業から逆算し2021年10月、37歳10ヶ月に入学し、2024年3月、40歳3ヶ月で卒業。 半年休学したため当初の計画は後ろ倒しになった。時間の確保に悪戦苦闘しながらなんとか修了したのだけれど、修了したときに振り返ると、大事だったのは、大学院を選ぶ過程で逡巡したことだったと思う。2017年ごろから入学までの4年間、何を学ぼうか、お手つきしながら、選んでいった。

          37歳で社会人大学院入学した経緯を、40歳で修了したときに書いてみる

          Wayfinding the Future

          幸せへと続く人生への道を歩む。これが想像以上に困難であるのは、道には分岐点があるからだ。できれば、誰かのあとをついていきたい。 自己決定が将来の幸福につながるらしい。だけど、自分で決めるのは怖い。流されるままに、できれば、人と違うことをしたくない。 あれこれあるが、幸せは完全には科学できない。最後は自分に合った答えで決める。自分なりの道が見つかる、自分らしい道を見つける。 なんとか、自分の考えをまとめようと、四苦八苦していたとき、向田邦子のエッセイ『手袋を探す』を読んだ

          Wayfinding the Future

          意思決定、責任、応答、欲望形成

          意思決定は英語で、"Decision Making"である。Decisionには切り捨てる、という意味がふくまれている。 責任は、英語で、"Responsibility”である。Response、つまり応答する、という意味がふくまれている。 無意識に意思決定したの本人に責任が生じる、帰責すると考えている。しかし、切り捨てたのであり、応答はしていない。だから、意思決定すなわち責任が生じるはどうも矢印の方向が違うように感じる。 本来は、かかった声に応答するからこそ、責任が生

          意思決定、責任、応答、欲望形成

          NIKE、野茂英雄、1995

          野茂英雄、1995,、SHOE DOG 中学校に入学して間もない、5月2日。野茂英雄がドジャーブルー、背番号16を背に大リーグ・デビューした。その日からドキドキしながら、NHKのスポーツニュースで登板結果のダイジェストを見ることが習慣になった。 野茂が大リーグの選手たちをストレートとフォークできりきり舞いにした映像は未だに残像として頭に残っている。そして、時に思い出したくなり、youtubeを1年に1回は見てしまう。 同時に1995年はNIKEが流行していた。Air M

          NIKE、野茂英雄、1995

          36歳の振り返りと37歳へのバトン

          クリスマスに37歳になりました。 誕生日は猛吹雪の万座で過ごし、翌朝はパウダースノーを満喫することができました。今年はコロナもあって一度も滑れなかったなぁと悲しみにくれていたので、思わぬ形での、妻からの最高の誕生日プレゼントでした。 去年はフフ山梨に1泊2日の一人旅をプレゼントしてもらって、その一晩でゆっくりと考えたこと、翌朝に撮影した富士山の写真は今でも自分の中で大切な思い出になっています。普段、なかなか感謝をうまく伝えられないのですが、改めてfacebook上ではありま

          36歳の振り返りと37歳へのバトン

          黄金色の空

          子どもが二人もいると、悲しむ暇さえない。子どもは素直で敏感だから、親の変化に気づいてしまう。 6時10分高崎発湘南新宿ラインのグリーン車の左座席 変わりゆく空の色を横目に、ローソンで買ったカフェラテを口にして、あなたを想う。 黄金色になりゆく空が、その空の色があなたに見える。 いつも背中を蹴飛ばして、命を燃やして言葉を紡いでくれたあなたに見える。 あなたがかけてくれた言葉を幾度となく思い出しながら、けれどメッセンジャーのやりとりを確認する勇気は持てない。データで残ったも

          黄金色の空

          朝の色、これが最期の人が毎日いる。

          誰かがこの世界からいなくなったとき、言葉が自然と紡がれる。2020年もまた、2021年もまた、大切な人がこの世を去った。ともにしばらくあっていない人だった。けれど、その出会いが間違いなく今の自分を作っていた。 陽はまた昇るわけではない。また、昇る陽は一回きりだ。世界のどこかで同じ空を見ている人はたくさんいる。だけど、見れなくなった人はもっといる。 明日死ぬかのように生きる、生きるに貪欲になる。 誰かの死を生きるための燃料にして、無駄にしない。

          朝の色、これが最期の人が毎日いる。

          君が大人になるころに

          成長期と比較しない、未来の語られ方をしていてほしい 昨日楽しかったけど、明日はもっと楽しみ と言える前向きな時代に 過去を懐かしむのではなく、未来を描くように

          君が大人になるころに

          「決める」に「やりたい・なりたい」は必要か

          前回はこんなことを書いた。 やりたいことがなくても、決めることができる。それが本質だと思う。やりたいことがないと、前に進めないのであれば、大半の人の人生はずっとやりたいこと探しの旅になってしまう。人生にはその一面もあるっちゃあるが、大半の人は割り切って、物事を決めていって前に進んでいく。その現実的な方法について、これまで考えてきたことを書いてきたいと思う。 タイトルの問いに対しての結論を述べるなら、決めるのにやりたい・なりたいは必要条件ではない。おそらく十分条件(やりたい

          「決める」に「やりたい・なりたい」は必要か

          「決める」を考える

          パンクに、DIY精神で、イェー、と言えるような日々を送るためには、まず自分で決めることからはじめる必要がある。決める自由と決めた後の責任、この2つがセットになっているのが、自分で決めることの本質だ。決める自由はほしいけど、責任はとりたくない。だけど、誰かが決めたことについては、もっと責任は取りたくないだろう。責任の押し付けあいも不毛だ。それなら、自分で決めて、責任を取るという結論に容易にたどり着くのではないだろうか。だけど、自分で決める、というのは案外難しい。とりあえず、やっ

          「決める」を考える