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40歳とかいう節目と向き合ったら、15000日のほうが大事じゃんとわかった件

40歳になったけど、なりきれなかった事情

2023年12月、夜中にサンタがプレゼントを枕元に置くのに忙しい日。
四十路街道に向けて右折した。行列ができ、信号待ちを4回程度して、ようやく曲がれた感じだ。ということで、左折ではなく右折である。

毎年思うことなのだけれど、年の瀬に誕生日があることはラッキーだ。1年を振り返る上で一石二鳥、一度に二度美味しい。

40歳になった2023年は前述の通り右折だった。修士論文執筆で気分も時間も脳内も身体も渋滞し、どん詰まりだった。

完全な想定外!
すべては半年前に休学したことに起因する。
休学だって、不可抗力だった。家族の病気とそれにまつわるゴタゴタ、3回目のジョブチェンジ(転職)、全部重なって、論文など書いている余裕がなかった。その結果、半年の休学、人生の折り返し地点だと思っていた40歳に余裕が微塵たりともなくなった。

バッチリすぎるくらい締めくくられた30代

ただ、幸運なことに30代までを振り返るチャンスが外側から転がり込んできた。
Tama Design Highschool。
25歳のときに無謀な挑戦をしたデザイン・ハブ(思い出の場所)。
誕生日の2日前というバッチリなタイミング。
場所、時間とも神様がご褒美にくれたとしか思えない機会。
あれやこれやとコンパクトに詰め込んで、1時間も語らせてもらった。

収録を終えた時点で30代は完了、振り返りもできたと実感。本来であれば、さて、これから気持ちよく40代、のはずが、修論との取っ組み合いのゴングが鳴った。

年末の仕事を納め、実家に早々に帰省。修論に全集中する期間が始まった。帰省中に能登地震(帰省先は石川)、飛行機の炎上事故(北海道に行く予定があった)など、揺さぶられるニュースを横目に、1ヶ月で10万文字を書き切った。2月1日に提出。発表、論文修正の後、落ち着いたのは、2月22日。

閉じられた30代、開かれない40歳、その狭間で

バッチリすぎるくらい締めくくられた30代からは追い出された。公式年齢は40歳。しかし、修論執筆に没頭し、別世界に行っていたため、40代になったことに自分の気持ちがまったく追いついていない。30代でも40代でもない不思議な気分のままだった。で、ふと思ったのだ。今まで、自分は年齢に囚われすぎていたのではないか。振り返るために絶好なタイミングの誕生日と年末年始のおかげで、 年齢の節目を意識しすぎていた。振り返り自体が微妙に重荷になっていたことも薄々感じていた。意気込んで計画を立てても、半分近くは計画倒れに終わる。かけた労力に対し出ている成果だけを考えると完全に徒労に終わっていた。しかし、徒労に終わっているからといって、辞めることはしなかった。怖くて辞められない、と思っていた。

顔を上げて画面を見ると、パソコンのデスクトップにカウントダウンが目に入った。そう、30kというChromeの拡張アプリである。説明しよう、これは、人生を30000日(大体82歳)の旅路だと設定した時に、現在、どこまで進んでいて、残りがどれくらいかがわかるアプリである。ぐだぐだ説明したが、至ってシンプル。

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毎日、「1」づつ増えるという極めてシンプルなもの。あ、こっちのほうが毎年やってくる節目よりも、ランダムに節目がやってくる。例えば、500日で区切ってもいい。今まで通り、365日でもいい。

そして、この拡張機能を30代から毎日のように見てきた自分にとって、40歳という節目よりも、15000日のほうが急に大事になってきた。

折り返し地点としての15000日

実は自分だけではない。同世代が迎える節目なのだ。この節目、イニシエーションにできないか?という企みである。何かやりたい、何かやりたい。何かやろう。そんな気持ちだ。

15000日こそ、「中年」のイニシエーション、中年の危機を乗り越える劇薬(もしくは漢方薬)になる可能性を秘めているはずだから。



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