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意思決定、責任、応答、欲望形成

意思決定は英語で、"Decision Making"である。Decisionには切り捨てる、という意味がふくまれている。

責任は、英語で、"Responsibility”である。Response、つまり応答する、という意味がふくまれている。

無意識に意思決定したの本人に責任が生じる、帰責すると考えている。しかし、切り捨てたのであり、応答はしていない。だから、意思決定すなわち責任が生じるはどうも矢印の方向が違うように感じる。

本来は、かかった声に応答するからこそ、責任が生じるのである。意思決定は切り捨てただけで、それと責任をセットにして考えるのは、誰かに責任を帰さないと社会システムが上手くまわっていかないからだ、と國分さんが書籍で書かれていた。司法の世界ではそうだろう。

だけど、自分の大きな決断や人生の道を決めるときに、「意思決定したから、あとはあなたの責任ね」は決めた人の周囲が押し付けたいことがあるから、手放したいことがあるからだろう。医療現場におけるインフォームドコンセントにもその一例ではないだろうか。「説明したから、あとはあなたで決めてね」という。その背後には、医師側が責任を背負わないですむように、患者に帰責している。

もちろん、医師が全権をもって判断するパターナリズムがよいとも思えないから、第三の道を模索したい。医療の現場では、共同意思決定という提案があり、実行にうつされている。切り捨てないまま、しっかりと応答する。そんな第三の道を考えていきたい。

歴史と地続きにある欲望、その形成を支援する欲望形成支援という考え方がある。これも第三の道の一つである。また、歴史を共有している関係者と共に意思を創り上げていく共同意思決定もその一つである。

欲望形成支援は、選択肢が複数生まれてくること、共同意思決定はその選択肢の中から歴史と未来の両面をにらみながら、優先順位をつけることだろうか。

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