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犬牽と行く美術館・博物館⑤江戸東京博物館『大江戸の華ー武家の儀礼と商家の祭ー』2021/7/10~9/20
※この記事は日本の伝統的なドッグトレーナー〝犬牽〟の目線で美術館・博物館を巡る連続シリーズです。初めて読む方にもわかりやすいよう、犬牽の説明など他記事と重複する箇所がございます。ご了承ください。
〇はじめに
前回の記事との間に、随分と時間が開いてしまいましたね。
気を取り直して今回はお馴染み、江戸東京博物館です。
1日で2つの展示会を観に行きましたので、まずは前半『大江戸の華ー武家の儀礼と商家の祭ー』をご紹介。
〇『大江戸の華ー武家の儀礼と商家の祭ー』
江戸東京博物館にて2021年7月10日から9月20日まで開催された、本展示。
副題通り、江戸時代の武家や商家で執り行われていた儀礼や祭=ハレの日(非日常)に関する展示がされています。
と言っても、本展示で最も人々が群がっていたのは海を渡って里帰りした甲冑たち。徳川家康・秀忠からイギリス王室に贈答品として贈られた甲冑『色々威胴丸具足』と、アメリカはミネアポリス美術館所蔵の『金小札変り袖紺糸妻紅威丸胴具足』には多くの観客が。やっぱり戦国時代含めて、日本人は本当に甲冑が大好きですね。
しかし、私の目が行くのはまったく違う展示物でして・・・。
それは犬牽にとって、大変貴重な1点でした。
そんなこんなで今回は一点突破、1つの作品にフォーカスをグググッと絞って解説していきましょう!
〇『日吉山王社参詣図屛風』
私の目が釘付けになったのは、江戸時代前期に描かれた『日吉山王社参詣図屛風』でした。
こちらの屛風は寛永19年(1642)2月、徳川家光の嫡男である竹千代(後の家綱)が初宮参り/御宮参りとして日吉山王社(現日枝神社)に参詣する様子を描いています。
江戸時代の初宮参りは現代とは少し異なり、生後100日目に産土神の神社に参詣することになっていたそうですね。
更に徳川家の初宮参りとなると規模は拡大、最早パレードの様相で日吉山王社に向かっています。
さて、私の著書『江戸のドッグトレーナー』を読んでくださった方々ならば、この屛風に見覚えがあるかと思います。
更に京都芸術大学共同利用にて行った研究『失われた犬牽の芸能犬ー始原演劇の復元に挑む―』を知っている方々なら、詳細をご存知かもしれません。
実はこの屛風、犬牽にとって大変貴重な1隻なのです。
よく見ると、ほら、パレードの中に犬の姿が☟
この犬たちこそ、犬牽が担当していた通称〝芸能犬〟たちなのです。
芸能犬という名称は、犬牽が主に担当する〝鷹犬〟(鷹狩にて獲物を発見+追い出すことを役割とする専門犬)以上に聞いたことがない単語かと思います。
それもそのはず、何を隠そう私が命名させていただいたのですから。
そもそも芸能犬については当事者たちもこれといった名称を決めておらず、これまで取り扱う研究者もいなかったので、恐れ多くも京都芸術大学の研究の際に総称名を付けさせていただきました。
しかし芸能犬の歴史は古く、犬牽の前身である平安時代のドッグトレーナー〝犬飼〟も初宮参りのようなハレの行事の際に、犬を連れて歩いていたことが記録に残されています。
つまり芸能犬とは、犬飼/犬牽が行事の際に連れ歩く犬の総称なのです。
そんな芸能犬の工程は平安時代から江戸時代まで変わらず、次の3つでした。
①目的地まで歩くこと。
②その最中、食べ物の提供を受けること。
③到着後、行事が終わるまで休憩を取ること。
これだけ。
一見すると、なんとも不思議な内容ですよね。正直、わざわざやる意味あるの?と皆さん疑問に思うことでしょう。
しかし担当者が犬飼/犬牽とわかると、その意味が明快になるのです。
そもそも犬飼/犬牽のドッグトレーニングは、すべて〝犬の心のままに=犬の権利の尊重〟に則って行われていました。
それは犬の本能/意識決定が尊重されることを示し、例えば野外を歩く際も犬牽側が無理矢理に引っ張るのではなく、基本は犬の行きたい方向に追従する形で行われていたのです。
そしてどうしても方向を変えたい場合は、食べ物によって誘導が行われました。
まさしく、芸能犬の内容と一致しますね。
それを示すように『日吉山王社参詣図屛風』に描かれた芸能犬の引綱は弛み、白犬の前を歩く人物は振り返っています。つまり彼が時折、食べ物を芸能犬に提供することでコースを誘導していた可能性が浮かび上がってくるのです。
ではなぜ初宮参りのようなハレの日に、犬の権利が尊重されていると示す必要があったのでしょうか?
詳しい説明については、是非とも私の著書を買って読んでいいただきたい!
ところですが、今回はちょっとだけご紹介。
つまるところ、ポイントは犬飼/犬牽が鷹犬の担当者であることが肝なのです。
鷹犬が活躍する鷹狩は、そもそも豊穣儀礼/吉兆として行われてきた歴史があります。
その際に重要になるのが、鷹が自由になるというアクションでした。
それは同席する鷹犬も例外ではありません、彼らも共に自由になる必要があったのです。
そのため犬飼/犬牽は鷹犬の権利を尊重し、自由意志を行使できる存在になってもらっていたのです。
もう、おわかりですね。
つまり芸能犬は鷹犬の豊穣儀礼/吉兆としての役割を、鷹狩を省いて体現する存在だったということです。
まさに芸能犬は、ハレの日を形作る立役者だったというわけですね。
〇最後に
実は私、この『日吉山王社参詣図屛風』を生で観るのは今回が初めて。
これまでは図録で観るばかりだったのですが、今回ようやくご挨拶することができました。
しかもこの出会い、偶然の産物。私は本展示で屛風が展示されているとは、まったくもって知らなかったのです。
だからこそ、鉢合わせた瞬間は本当に驚きました。まるで映画スターと出会った時のような、まあ会ったことはないのですが、きっとそれくらい吃驚して、言葉が漏れるくらいに感動したのです。
本当に、出会いに感謝感謝ですね。
私のように、未来の犬牽たちも屛風と出会えますように。これからも末永く、どうか芸能犬と犬牽たちの姿を後世に伝えていってください。
よろしく、お願い致します。
ではまた、どこかの美術館・博物館で。
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